彼と別れた後、ぼくは小さくホッとため息をついた。そして、持っていたリュックを開けて、手だけをいれ中身をまさぐり、指先に触れたものをギュっと握りしめた。
「本当はこれを見せたかったんだよな…」
そう嘆息すると、見せられなかったことが寂しいような悔しいような、そんな気持ちになってくる。今それができなかったことも、やはり残念だったのかもしれない。
ー今日は電車なんですね、どうしたんですか?ー
さかのぼって、4時間前、中上駅の前で、横を歩く同僚からそう聞かれていた。
ー野暮用でね…学生時代の友人と会うんですー
ーおーじゃあ久しぶりに会うんですかねー
それに、なんとなくうなずいていた。適当な返事だ。本当はそれでも半年ぶりくらいだしその友人とはそんなに離れていた気はしない。よくよく考えれば、自分の返答は、今目の前にいて話している、仕事場でも毎日会う人なのにそうゆう人ほど今近いはずなのに、その実際の距離感の遠さのようなものを実感するばかりであった。
じっとりと汗ばむ陽気のなかで、4月に職場異動してから今日までの慌ただしさを振り返れば、やはりいつも緊張していたし、大変だったなと思い返す。やはり、やっぱり、少なからず自分には重かったんだと。
握りしめた手には赤い布の感触がした。
先程別れたのは学生時代からの友人の彼で、結婚して子どもが生まれてからも時々連絡を取り合っている。特に仲は良い方だ。
それでも頻繁に会う機会があるわけでもなし、今手の内にあるものをまた次の機会に。というわけにもいくか分からない。
実はこの赤いものが、自分のまさに今の姿のひとつであり、気持ちに変なものを挟まないで話してくる彼に対しては、何らかの反応がほしいところであった。
だとしても…、と思い直す。
これをさっき見せられたとして、ちゃんと説明できただろうか?
自問自答した先に、やはり難しいのだろうなと呟く。
それは、正解などはないのに、実はこちらが待ち望んでいる彼からの反応というのがちゃんとあるのであった。もしそれと違うことが起きたときにはただ恥ずかしい思いをするだけの結果になりうるわけで、そこまで考えて筋道立てて話しきることは到底叶わないという思いなのであった。
手にある赤いものを開くとそこにはDULLという文字が浮かんでいた。いつも周りにいる人達や家族がこれをみたとして、想像するに自分の現在地は芳しくない。でも、それでも、大げさでも、これを支えに生きている時間が確かにあった。それは寝つけない夜に頭の中に何度も浮かんできたり、仕事終わりまであと一時間なんとか頑張ろうとする奮起する瞬間だったり、自転車で通勤途中に遠くの川面の流れがキラキラではなく、わずかにチラチラとしか見えなくなったことで世界がまた少し見えなくなってきて、また少し自分に失望してしまったときに思い起こすなぐさめだったりしてきたのだ。
だから、そう。だから、バッグの中にまた赤いものを押し込み、なんとか立ち上がる。目の前では電車の揺れに我慢しきれず、吐瀉物を戻してしまった女性がいて、彼女は開く扉から逃げ出すように走り出ていった。
ぼくはそれらを踏まないように注意して、静かに跳びながら、後について外に飛び出していった。背中のバッグには赤いものが確かにあることようだった。そしてぼくは赤いんだぞ、ぼくは今赤いんだぞと誰にも聞こえないように何度も繰り返した。