2024年3月14日 木曜日

9:15

駒場東大前で降りて東大の中のイタトマに行く。

このイタトマのいいところはだだっ広いこと。

さらに朝の時間はほとんど人がいないのもよい。

昼にはどれくらい学生で混むのだろうか。

21:00

帰りの電車で光秀の定理を読み終わる。

垣根涼介が戦国時代を書くとこうなるのか!という感じ。

バディもの、かつそこに明智光秀が絡み、さらにモンティ・ホールの問題が話の伏線というか根幹になっている戦国モノと言ったらよくわからなくなるだろうがそんな感じの話だった。

光秀が「暗く」書かれていないのもよかった。

2024年3月13日 水曜日

9:20

駒場東大前で降りる。

河野書店で大槻ケンヂの『リンダリンダラバーソウル』を買う。

300円也。

もう2冊くらい欲しかったが我慢した。

9:40

歩いて神泉まで行く。

カラスがゴミの中からラーメンの麺を見つけたらしく、それを咥えて街灯の上に飛び上がって食べていた。

カラスはラーメンも食べるのか。

麺はいい具合に茹でられていて柔らかいように見えた。

20:40

駅で降りて家まで歩く。

今日は暖かいかなと思ってダウンジャケットは着なかったが寒い。

夜に外でビールが飲めるくらい暖かくなってほしい。

2024年3月4日 月曜日

9:25

今日も明大前の渋谷方面ホームに出るエスカレーターの降り口で人が多くて怖かった。

明日からは階段経由で出た方がいいか。

19:35

帰りに明大前で降りてダイソーに行く。

明大前の駅ビルに啓文堂があったはずだが、ちらりと見た感じでは看板がなかった。

つぶれたのだろうか。

19:55

駅で降りて駅の改札前にあるドラッグストアに入る。

レジでの会計をしてくれた店員が「ありがとうございます」と言ったときの角度の深さにおどろく。

ちょっとやりすぎではないか。

21:30

明大前の啓文堂を調べると今年の1月に閉店したとのこと。

つつじヶ丘は書原が潰れて啓文堂が残ったが明大前は啓文堂もつぶれてしまったということか。

諸行無常。

2024年2月28日 水曜日

9:30

駒場東大前で降りて河野書店に寄る。

100円コーナーで垣根涼介の『光秀の定理』と木村幸治の『馬は誰のために走るか』を買う。

200円也。

安い。

9:35

まいばすけっとで今日のお昼に食べる冷凍の混ぜ麵などを買う。

459円。

4(ジ)・5(ゴ)・9(ク)也。

15:00

トイレで鏡を見ると目が赤い。

さっき目がかゆくてかいたのがよくなかったようだ。

花粉が飛び始めた。

22:10

今日は早く帰ろうと思っていたが結局この時間に。

ダイソーで買い物をしたかったが明日になった。

本の雑誌も買いたかった。

2024年2月27日 火曜日

9:35

明大前で井の頭線に乗り換える。

新宿行きホームから井の頭線の渋谷行きホームに直通しているエスカレーターが危ない。

エスカレーターを使う人が多いのに加え、歩いて降りる人もいるのでエスカレーターの降り口に人が溜まり非常に危ない。

出るところに人が溜まっているのに上からトコロテンのように歩いて降りてくのは止めてくれ。

10:30

風が強いからなのか、会社の中にも隙間風が吹いている。

そのせいで会社の中が寒い。

暖房をガンガンつけたいが役員に怒られるのでそれもできない。

20:45

駅を降りると書原がない。

書原が無くなってもう1か月以上経った。

私はまだ「本の雑誌」の今月号が買えていない。

どこで買えばいいのだ。

2024年2月8日 木曜日

9:13

駒場東大前で降りて会社まで歩く。

ここから会社までの道は大体全部制覇してしまったので面白くなくなってきた。

今度はどこの駅で降りようか。

21:45

会社からの帰り、電車の中で『おばあさん』(獅子文六)を読み終わる。

早く読み終わりたかったが結構かかった。

1941年の東京を舞台にした話で、どんどん戦争の色が濃くなっていく感じに気が滅入る。

頼りなかった孫の丸子、三男の三平、丸子の結婚相手の恒夫などが「戦争」によってたくましくなる、みたいな描写にさらに気が滅入る。

1942年から1944年にかけて連載された作品だからしょうがないのか。

『悦ちゃん』の快活な感じはゼロ。

私が読んだのは2017年の朝日文庫版で本のカバーの裏表紙には「昭和初頭の家族をユーモア満点に描いた痛快小説。」とある

いやまったく違うよ。

『悦ちゃん』がちくま文庫だったので、これもちくま文庫だと思っていたが朝日文庫だった。

2024年1月30日 月曜日

21:30

帰りの電車で『記憶術全史 ムネモシュネーの饗宴』(桑木野幸司)を読み終わる。

覚えたい単語の頭文字だけを並べて覚えるみたいなことは昔からしていたが、覚えたいことのイメージを頭の中に建築物を建ててその中に配置し、思い出したいときはその建物の中に自分が入る、みたいな記憶の仕方があるとは知らなかった。

言われてみれば、確かにだけど私には思いつかなかった。

21:31

私もその「記憶術」に従って昔住んでた家とか、昔バイトをしていた問屋の倉庫とかに覚えたいイメージを配置したい。

でも私は何を覚えたいのか。

昨日の夕飯とかが思い出せないから、昨日の夕飯あたりを並べてみようか。

2024年1月12日 金曜日

9:45

駒場東大前で降りて東大のイタトマに行く。

今年初イタトマ。

チョコなんちゃら570円なりを頼んでみるが思っていたのと少し違った。

10:05

小川哲の『君が手にするはずだった黄金について』を読み終わる。

作家本人っぽい主人公が周りの人々について語るフィクション。

「偽物」に出てくる実際には自分では何も作ってない漫画家の話が興味深かった。

“創作”ってのは一体何なのだろうか。

誰かの作ったものを借用して加工して誰かに提供する行為はどれくらい加工したかで評価される場合もあれば、加工しない方が評価される場合もある。

10:05

オガワテツだと思っていたが、オガワサトシと読むらしい。

wikipediaで調べてみると前に読んだ『異常論文』の「SF作家の倒し方」を書いたのがオガワサトシのようだ。

そうだったのか。

20:00

今日は数年ぶりにリアルでの地元の友人との新年会。

忘年会の予定だったが予定が合わず新年会となった。

新宿の騒がしさに体が慣れない。

2024年1月11日 木曜日

9:35

電車のドア横の手すりみたいなものとシートとの間にある空間、あそこにシートもしくはシートの区切り的な手すり側を背にして立つ行為に名前はついているのだろうか。

通勤電車に乗ってシートに座ると窓を背にする形になる、混んでないと大体の人がこの形で電車に乗ることになる。

混んでいるとシートに座る窓を背にする組と、シート客に相対して吊革につかまり窓側を向く人たちの組が出来上がる。

そんな2組とは違う方向を向いているのがドアの横のシートを背に立っている人たちの組である。

あのドア横の地帯の名前は椎名誠の著作のどれかで「愛の三角地帯」と名付けられていたと記憶するが、googleで「椎名誠 愛の三角地帯」と検索したもののそれっぽいものは出てこなかった。

で、本題に入る。

会社に行こうと京王線に乗ったら、ドア横の手すり付近(愛の三角地帯)的なところが空いていたのでそこに体を滑り込ませた。

滑り込ませたと言ってもそんなに混んではいなかった。シートは全部埋まっているが立っている人たちはドア付近に固まってる程度の乗車割合だった。

そこで本を読もうと思ったのだが、私の目の前に男性がドアに寄りかかって立って、さらに私の方を向いている。

ドアの真ん中のあたりに寄りかかって立ってくれればちょっとはいいのだが、真ん中よりその男性はこちらに寄っている。

で、彼はスマホをいじっているので私の本とぶつかりそうなのだ。

いや、私の本の下に彼のスマホが潜り込んでいるくらいだ。

そんなにこっちに寄りたいのか青年、私のことが好きなのか。

いや、彼のスマホも気になるのだが彼はさらにしきりに鼻をすすっているのだ。

ズルズル。

本に集中したいがスマホの画面が視界にチラチラと入る。そうかインスタグラムを見ているのか、そうか。

インスタで鼻がズルズルしているのか、だったらしょうがないか。

君に名前を付けてあげよう、インスタ・ズル夫だ。

私はズル夫が気になって本に集中できない、あっちは私のことが好きで寄ってきていてこちらも気になっているとなれば2人は恋の道にまっしぐら。

やっと明大前に着いたと思ったらズル夫も降りた、私たちは気が合うようだ。

ズル夫が私の前を歩いていく、思ったより背が小さかった。さっきは気づかなかったが上着もズボンも同じ茶色だった、うーん、あまり私好みではない。

あ、そういえば私も今日は上下とも茶色だった。

私とズル夫はかなり気が合うようだ。

まる。

2024年1月9日 月曜日

9:45

会社の最寄りのまいばすけっとできんぴらごぼう、カップみそ汁、飲むヨーグルトを買う。

300円ちょっと。

これと家から持ってきたご飯で昼ご飯を食べる。

高校1年生の時によく食べていたからあげ弁当が500円だったことを思い出した。

高校の玄関に12時くらいになると毎日近所のお弁当屋がやってきて弁当を売っていた。

生徒たちが群がってお金を握りながら売り手の女性に自分の欲しい弁当を連呼しているという輪の中に私もいた。

特にからあげ弁当が好きではなかったが、他の弁当よりはマシという理由で選んでいた。

私の手に握られていたあの500円はたぶん学校に行く前に母さんからもらっていた500円玉だろう。

それから20年以上経ったが、私は毎日の昼めし代に500円は出せない。

どういうことだ。

11:30

今日会社に来ているのは6人。

新年明けたが会社はスカスカだ。

今年の漢字はたぶん「空」になるのではないだろうか。