20年前の小説とは思えない 『ダイヤモンド・エイジ』

ダイヤモンド・エイジ

  • 書名:『ダイヤモンド・エイジ(上・下)』
  • 著者:ニール・スティーブンスン
  • ISBN:978-4150115524(上)、978-4150115531(下)
  • 刊行日:2006年3月20日
  • 発行:ハヤカワ文庫SF
  • 価格:各840円(税別)
  • ページ数:447(上)、438(下)
  • 形態:文庫

この本を初めて読んだのはたしか7年前。ちょうど前の会社に入って1年ばかり経っていて、業務でプログラミングを始めた頃のことだ。当時私はプログラミングのド素人だったが、誰にも余計な口を挟まれずに、毎日プログラミングの本を読みながら楽しく仕事をしていた。

プログラミングが楽しくて仕方なかった、そんな黄金時代は1年ほどで静かに終わりを告げ、私の業務は誰かに口を挟まれる楽しくないものになっていった。会社の業績が悪くなり始めたのだ。

その後も会社の業績はゴンゴン下がり続け、遂に会社が潰れるかもしれないとなり、私は今の会社に転職した。

今の会社に入って1年近く経ったが、7年前のプログラミングが楽しくて仕方なかった時期に少しだけ戻ったような充実した仕事ができている。ああよかった。

で、そんな時期に再度本書を読み直した。

舞台は21世紀中葉の中国の上海周辺、技術の進歩から今までの国民国家という枠が取り払われ、世界の人々は信条や趣味などに分かれた種族に属して暮らしていた。

三大種族のひとつである新アトランティスに属する技術者ハックワースは、支配層である「株式貴族」から「若き淑女のための絵入り初等読本(プリマー)」の開発を依頼される。

「若き淑女のための絵入り初等読本(プリマー)」は子供向けのインタラクティブ(相互作用的なという意味)な機械で、操作する人によって内容がダイナミックに変わる高度なRPGゲームのようなものが入ったiPadみたいなものだ。

株式貴族は自分の孫の将来に不安を抱き、プリマーを使って孫を逞しく(肉体的にというわけではなく色んな意味で)育てられないだろうか、と考えたのである。

そのプリマーを偶然にも少女ネルが手に入れた事から物語が始まる。プリマーは最初3個のコピーが作られ、ネル、フィオナ(ハックワースの娘)、エリザベス(株式貴族の娘)の3人が所有することになるのだが、プリマーを一番使いこなし、かつプリマーに飽きて放り出したりしなかったのは環境的には一番恵まれていないネルだった。

ネルの父はネルが産まれる前に死に、兄と母親とは離れ離れになり、ネルはプリマーを通して話しかけてくる女優ミランダの中に母親的存在を見出し、ミランダもネルを娘のように思い始める。

ネルの「母親探し」、ミランダの「娘探し」、そしてハックワースの「自分探し」の物語を縦軸に、ナノテク、MC(マターコンパイラー)、ラクティブ(没入型のインタラクティブ劇)、ナノテクで空に浮かぶ建物、シェバラインなどの未来の乗り物などSFとしてのガジェットを横軸に本書は展開されていく。

あと、印象的なガジェットというか物語の核となるような存在なのがフィードである。MC(マターコンパイラー)は原子を使って色んなモノを作り出す機械なのだが、そのMCに素材となる原子を提供するのがフィードである。

で、そのフィードはソース(水源のようなところ)から街まで川のように流れているのである。って、どういうこっちゃ、まあつまり水道水を供給するみたいに、フィード(原子の素材?)が街まで流れてきて、街に流れてきたフィードは各家庭に小さなフィードのラインに分かれて供給されていくのである。

物語の語られ方は「若き淑女のための絵入り初等読本」が劇中劇のような役割を果たし、現実と本の中との事が交錯し、ズルズルと引き込まれる。

初回にも感じたことだが、「非常に今っぽいな」と思った。プリマーはスマホだし、MC(マターコンパイラー)は3Dプリンターであるし、ラクティブは今流行のVRだ。主人公の一人であるネルはプリマーに没頭するのだが、プリマーは今の私にはスマホ(iPadか)に見える。

この小説の発表は1995年、なんと20年近く前である、その時に書かれたものがこれぐらいい今っぽいというのも驚きである。逆に世界は20年近く何も変わっていないということなのか。

ニール・スティーブンスンは『ダイヤモンド・エイジ』の次に書かれた『クリプトノミコン』以来日本での訳書の発売がないが、早く翻訳して出してくれないかハヤカワさん。