仕事から家に帰って、洗面所で手を洗おうとしたら、社会の窓が開きっぱなしのおじさんが鏡に映っていた。
いつも電車に乗ったときに社会の窓が開いているような気がして心配になるので、まわりの目を気にしつつ、さりげなくズボンのチャックのあたりをさわって、チャックが開いているかチェックする。
チャックをチェック、チェックがチャックじゃない。
チャックって10回言ってみましょう。
チャックチャックチャックチャックチャックチャックチャックチャックチャックチャック。
言えましたね。
さあもう一度。
チャックチャックチャックチャックチャックチャックチャックチャックチャックチェック。
お尻がチェックになってます。
さあ、しつこくもう一度。
チャックチャックチャックチャックチェックチャックチャックチャックチャックチャック。
お尻はチェックになってませんが、真ん中辺りがチェックになってます。
さらにしつこく。
チャックチャックチャックチャックチャックチャックチャックチャックチャックチャック。
チャックチャックチャックチャックチャックチャックチャックチャックチャックチャック。
チャックチャックチャックチャックチャックチャックチャックチャックチャックチャック。
チャックチャックチャックチャックチャックチャックチャックチャックチャックチャック。
この中に3個のチェックが入っています、いえウソです。
PCだとコピーが楽です。
で社会の窓に戻ります、社会の窓って言い方、今の若い人に通じるのでしょうか。
彼らは何て言うのでしょうか。
社会の窓ってなんかちょっと洒落てますね、なんかこう、公な感じがします。
「こう」、ではなくて「おおやけ」です。
「社会」という文字と「窓」が「開かれた」感じを想起させるということでしょうね。
でも、社会の窓はまあ公共的なものでもなんでもなくて、公共の場で全開されているとすこし問題というか、結構問題になるわけです。
電車に乗って社会の窓が開いているか気になったときはホトンド開いていたことがなくて、気になってないときに大体開いています、私のチャックは。
だからと言ってさりげなく「マイ社会の窓」の全開具合をチェックして、開いていたとしてもいきなりヂャっと上げると、それはそれで怪しいのです。
タイミングが非常に難しいのです。
「おじさん車内でチャック上げる」なんて、もうなんかダメな感じがしますね。
最近は物忘れがひどくて、トイレに入ってチャックを下ろした直後にチャックを下ろしたことを忘れて、「アレ、オレ、キョウズットチャックアイテタ?」となることも多々あります。
やばいですね、おれ。