- 書名: 『独裁体制から民主主義へ―権力に対抗するための教科書』
- 原書名: FROM DICTATORSHIP TO DEMOCRACY - A Conceptual Framework For Liberation
- 著者: ジーン・シャープ(Gene Sharp)
- 訳者: 瀧口範子
- ISBN: 978-4480094766
- 刊行日: 2012年8月10日
- 発行: ちくま文庫
- 価格: 950円(税別)
- ページ数: 155 + 巻末に13ページのリスト
- 形態: 文庫
独裁体制から民主主義へというモノモノしい感じのタイトルの本書。
マガジン9で想田和弘という映画作家がジーン・シャープの別の本(『非暴力を実践するために 権力と闘う戦略』)を紹介していて、その本をすぐにAmazonで検索したのだがその時は特にアクションを起こさなかった。
で、しばらくして私のAmazonのページにオススメ本として本書が表示されるようになった。
でも価格が税込みで1000円を超えていたので古本で買おうと思っていたのだが、つつじヶ丘の書原に寄って店内をフラフラしていたところ目に入ったので買ってしまった。
昔は毎月ちくま文庫の新刊をチェックしては気になったのを買っていたが最近はあまり買わなくなった。私が自分のために使えるお金というのは残念ながら年々減り続けており、それに比例して新刊の本を買うということが今では年に数回だ。
最近は古本屋の100円コーナーもしくはそれに準ずる「お買い得価格」のコーナーで本を買っている。1000円の文庫を買うということは100円の古本が10冊買えなくなるということでありコストパフォーマンスを考えると非常によろしくない。
大人になったらもっと自由に自分の好きなものが買えると思っていたがどうにもそうはなっていない。原因は何かと考えると私がお金をあまり持っていないからということになるのだろうが、果たしてそれは私だけのせいなのだろうか。
どうにも私の住んでいる日本という国にはお金が足りていないわけではなさそうであり、じゃあ私にお金があまり回ってこないのは政治が悪いということになり、政治家たちがアホだからということになる。
さらにその政治家たちを選んだヤツらが悪いということになると、ああ悪いのは俺なのかとなるかもしれないがさにあらず、ちゃんと仕事をしないやつが悪い。
で、そのアホな政治家たちのまわりにはどうにも不穏な空気が立ち込めている。2022年にウクライナで戦争が始まり、わが日本もどこかの国に攻め込まれるのではないか?大丈夫なのか?防衛費を増額しないと!みたいなことを言っている。
私の住んでいる日本という国がどこかの国に攻め込まれる、もしくは日本がどこかに戦争をしかけるということになった場合どうなるかということを2022年の2月以来よく考えるようになった。
ロシアが攻めた側、ウクライナが攻め込まれた側であるが、どちらの国も戦時体制になり非常に息苦しそうだ。
どちらの国も「一致団結」して「敵」をやっつける必要があり、攻めた側も攻め込まれた側も社会は暗くなり政府は強権的になり統制が強まっているように見える。それっていわゆる「独裁体制」と似たような感じだよねと思っていた。
「戦争」が起きないにしても好戦的なことを隠さない政府の下で暮らすというのは「独裁体制」の下で暮らすのとあまり変わらないだろう。
そんな時にこの本を知ったので読まなきゃと思っていたのだ。1000円分の古本を読むのをあきらめてこの160ページに対して1000円あまりを投入してみた。
何が書かれているか
本書は「非暴力」こそが民主化を求める市民たちが取りうる現状での最良の抵抗方法だと説いている。積極的な抵抗ではなくても、意識的なサボタージュや非協力により非民主的な独裁的な体制は崩れやすくなるということなのだ。
私は具体的なサボタージュの方法がどんな感じのものなのかというのを期待して読んだが、理性的に「戦略」を持って運動に臨め!という理論寄りの本だった。
私が知りたいこと
たとえばサボタージュや非協力的な行動をした場合に、それが自分の命の危険に直接は結びつかないとしても、サボタージュの結果会社とか役所を解雇されてしまい、それにより生活ができなくなる可能性もある。その場合はどうするのか?というのも知りたいところだ。
非民主的な政権の下で生活をするということは、つまりその非民主的な政権に連なる自治体や営利もしくは非営利団体で働く、またはそれらに何かを売るということで生活の糧を得ることになる。
さらにそれで得たお金を国や自治体に税として納入しないといけない。
それをしないと生活の糧を得られず死んでいくか、また税金を払わないと何が起きるかわからない。つまり税金を払わない場合は殺されないにしても拘束などをされてさらに自由が制限される可能性もある。
つまりそう考えてしまうと非暴力的な抵抗はできなくなってしまう。
ただ、本書が言いたいのはよく考え、そして少しでいいから非暴力的な抵抗をしろということなのだろう。多くの人が少しずつやるだけで変わっていくよと。
でもやっぱし生活が成り立たなくなったら抵抗はできなくなる。
独裁政権があったとして、その中で抵抗を一番必要とするというか、抵抗を「最初に」しようと考えるのは、自身の生活(実際の生活、精神的生活)が苦しいと考える層だろう。
その層はおそらく時間やお金を持つ人たちではなく時間やお金のない生活の苦しい人たちだろう。
その人たちがサボタージュをしてどうなるのだろうか、一時的にかなり生活がさらに困窮するのではなかろうか。
その恐怖をどう乗り越えて抵抗をするのかを私は知りたい。
あと私が気になったのが、抵抗運動におけるインターネットの使い方。本書が出されたのはインターネットが普及するかなり前の1994年のようなのでしょうがないことではあるが、その方法を知りたい。
本書の巻末には「非暴力的行動 198の方法」と題されたリストが載っているがインターネット普及後のこのリストがどうなっているのかは非常に気になる。