現在、今勤めている会社のメンバーの3分の2くらいがリモート勤務となっている。
会社には家が近い人しか来ていない。
朝10時くらいに家のパソコンを立ち上げ、ほぼ無言で作業する。
途中何回か会社に行ったが、もう1ヶ月以上リモート勤務をしてきた。
なんか体の疲れが抜けにくくなっているような気がする。
早く普通に会社に行きたいと思う今日この頃、でもかなり先になるんだろうな。
現在、今勤めている会社のメンバーの3分の2くらいがリモート勤務となっている。
会社には家が近い人しか来ていない。
朝10時くらいに家のパソコンを立ち上げ、ほぼ無言で作業する。
途中何回か会社に行ったが、もう1ヶ月以上リモート勤務をしてきた。
なんか体の疲れが抜けにくくなっているような気がする。
早く普通に会社に行きたいと思う今日この頃、でもかなり先になるんだろうな。
私は毎週末競馬の馬券をネットで購入し、レースが終わった数時間後にレース映像を見て結果を確認している。
テレビやラジオの生中継で結果を確認するのではなく、結果が出た後も結果を意図的にシャットアウトして時間差で生中継を見ている感じだ。
時間差生中継を実現するために気を付けなければいけないのは競馬のニュースサイトを誤って見てしまうこと。
これをやってしまうと生中継の興奮があっさりと無くなってしまう、馬券が当たっていたとしてもまったく面白くなくなる。
知ってうれしい情報とそうでない情報があると思う。
で、それは人によって違うし時によっても違う。
天気予報なんかは早めに知りたいと思う人が多いだろう。
明日が晴れだとしたらまあ大体うれしいし、1週間後の天気が早くわかるとまあ得した気にもなる。
でもだ、ここに恋愛関係になりそうでならない相思相愛の2人の人間がいたとしよう。
2人はともに東京都内に住んでいて、2人は1週間後にデートをすることになった。
その日は千葉県だか神奈川県だかにある水族館に行き、水族館の近くのおしゃれなカフェでランチを食べてから、公園でお散歩でもしよう、などと2人はお約束をしたのだ。
この2人にとって一番楽しい時間はいつなのかを想像してみてください。
それは約束した日から当日の待ち合わせ時間までの1週間である、実際に会ってからの時間では断じてない。
メールだか電話だかLINEだかで、AからなのかBからなのかわからないが、とにかくどっちかがデートのお誘いをする。
そいで、AだかBが「いいよ」とお返事をする。
その瞬間から待ち合わせ時間までが一番楽しいのだ。
だから、1週間後が雨だったらとか曇りだったらとか台風だったらとかはその日まで知らない方が楽しい。
もちろん当日の朝になって窓の外を見て雨とか台風だったら落胆は限りなく大きいだろう、でもデート前の胸の高鳴りとドキドキの方が大事だ。
とにかくそうなのだ。
この2人にお天気アプリやお天気ニュースは重要か、本当に重要か、そうではないだろう。
と私は声を裏返しながら声高に絶叫する。
2人がデートのお約束をした直後に、どちらかがお天気アプリを開いて当日の天気が大雨だと知ったとしよう。
「その日大雨だって」とどちらかがどちらかに伝える。
「じゃあ2週間後に延期にしよう」となったが2人は永遠に会えなくなった。
なぜなら2週間後も大雨のため約束は3週間後に延び、さらにまた3週間後も大雨のため4週間後に延び… 以下続く。
2人のどちらかが当日の朝に部屋の窓から外を見て、一方に「今日どうしようか」と伝えたとしよう。
気持ちが高まっている2人は結局雨の中新宿かなんかで映画を見るのだ、帰り際「雨だったけど楽しかったね」みたいになって「水族館は今度だね」みたいになるのだ。
こっちの方が絶対楽しい。
当日までのドキドキと当日の楽しさが損なわれていないではないか、そうではないか。
情報、と思えるものをたくさん知っていた方が生物が生き残っていく上では重要だ。
台風が来るのを知らなくて外に出て飛んできた何かに当たって死亡するとか、明日寒いのを知らずに裸で外に飛び出して風邪を引くとか。
ただ、何が言いたいかというと、何だろう。
うーん。
たぶん、その人の置かれた状況と、その人の頭の中の状況によって知ったことの意味が違ってくるということ。
知ったことがその人を幸せにするか、その人を不幸にするかは状況次第ってこと。
Cさんという人間がいたとしよう、そのCさんにとって下のような情報と呼べるものがあったときに一番大事なのは何だろうか。
Cさんが今後数十年生き延びるためにはYahooのトップページに表示されているD社の株価の情報なのかもしれない。街のライブカメラにはCさんが関わる何か重大な事件が映されているかもしれない。
でも、目の前で激怒している恋人をなだめる方が重要でしょう、そうでしょう。
目の前で激怒している恋人を放っておいてスマホでTwitter見てたら、自分の幸せにいろんな影響が出てくるのはわかるでしょ。
情報を知ると、というか人間の頭が目とか耳から入ってきた情報を”有益だ”とか、”重要だ”とか判断するとたぶん脳内に気持ちがよくなる物質が分泌されるのだ、たぶん。
でも、よく考えてほしい、目の前で起きてることの方が重要よ。
だから知らない方がいい情報もあるってこと。
あ、でもこの場合、街のライブカメラに映っているCさんが関わる何か重大な事件の方が重要か。
今務めている会社がリモートでの在宅勤務がOKとなった。
これまでは私を含めた一部のメンバーしかリモート勤務をしていなかったが、徒歩や自転車で来られない遠くの人は「リモートでもいい」というお達しが出た。
今まで
「届け出を出せばしぶしぶOK」
これから
「しばらくはリモートも仕方ない」
前はいやだけど認めるだったのが、しょうがないから認めるに前進した感じである。
なので先週は5日間全部リモート勤務にした、自転車で会社まで行くこともなかった。
1回も外に出ない日もあり、引きこもり生活が続く。
自転車で会社に行き始めた。
住宅街をノロノロと行くので1時間半くらいかかるが、いろんな建物があって楽しいし、毎回道に迷いかけるのが非常にスリリング。
大通りを行けば楽なのだが、大通りは道に迷わないのでワクワクしないし、危ない。
何回か大通りに出なければいけないのだが、バスにトラックに車も飛ばしているのでまあ怖い。
30歳の時に車の免許を取ってからだが、車がというか道路を車が通るということが非常に恐ろしいことであるということに気づき、それ以来道路を歩くときとか自転車で走るときは安全第一にしている。
1時間以上自転車に乗っているので1時間の中で1回は、あ、危なかったかもということがある。
ちょっと間違っていたら車と接触してたなとか。
コロナ対策で自転車で行っているのに自転車で事故ったら笑えないので気を付けないといけないねという特に内容のない話ですいま千円。
コロナウィルスの影響で3週間近くリモートワークをしていましたが、そろそろ行かないとクビになるかなと思って久々に会社に行きました。
電車は密閉された空間で多くの人と一緒にいる必要があり、それは怖いので、家(調布付近)から自転車で会社(渋谷付近)まで行きました。
以前、会社の近くまで自転車で行った際、道が狭いのに車が多くて危ないので二度と行くまいと思っていたのですが、Googleマップで調べてみると住宅街を通る裏道コースでわりと簡単に行かれることが判明しました。
大きな道は環七と環八くらいで、そこも超えるだけなので危ない思いはしなさそうでした。
土地勘のない見知らぬ住宅街で迷子になるのが私は大好きなので、会社までの道はかなり楽しかったです。
少し迷うこともあったのですが、Googleマップで予習しておいたので大きな間違いはせずに1時間半くらいで会社に着いてしまいました。
Googleマップでは会社まで1時間と出ていたので、2倍はかかるかと思っていたがそんなでもありませんでした。
もっと苦難や冒険があるかと思っていたのですがちょっと残念です。
会社に着くと、「あれ来たんだ」みたいな感じでワザワザ来なくてもクビになる心配はなかったかなという感じでした。
マスク率も思ったほど高くなく、半分くらいの人間はマスクをしていないようでした。
なぜか会社に来るまではマスクをしていて会社に着いたらマスクを外している人もいて、なんじゃそりゃと思いました。
社内で感染すると考えていないとはずいぶんおめでたいですね。
上司も「ちゃんと手洗い、うがい、換気もして、気が緩み始めているので引き締めて行きましょう!」と言っていたが自分はマスクをしていなかったです。
なんじゃそりゃ。
会社の人たちと話してわかったのは、多くは自分は感染しても大丈夫だと思っているようだということです。
確かに大丈夫な可能性の方が高いかもしれないけど、治療法が確立されていないうえに実態がよくわかっていないのだから気を付けるに越したことはないと思うのですが、なんかもうとにかくノンビリしています。
いろんな情報がありすぎてわからないんだよね、ハハハ。
みたいな感じで話が終わってしまいます。
私はわからないから怖いのだけど、なんというかものすごい断絶を感じます。
今の状況と似たような状況として思い出すのが2011年の東日本大震災の時ですが、あの時怖かったのは放射能で、放射能の出ているところはわかっていました。
あの時平気だったから(数十年後に重大な影響が出るかもしれないけど)、今回も普通に過ごせば大丈夫なんじゃない、みたいに思っていないですかね、会社の皆さん。
東日本大震災の時も”自粛”という言葉が出てきて、テレビでずっとACのCMが流れるみたいな事態になっていたが、今回も”自粛”という言葉が頻繁に出てきています。
ただ、前の大震災の”自粛”は大変な人もいるのに楽しんではいられない、という意味の自粛でした。
今回は”自粛”ではなく中止か延期という言葉を使うべきだと思います、だって危ないのだから。
あと、すごく気になるのが「いろいろな情報に惑わされずに”正しく怖がりましょう”」みたいな文句。
怖さの原因のほとんどは”わからなさ”なのであって、私は”正しく怖がって”います。
正しく怖がっている人に向かって”正しく怖がれ”というのは、ちょっと違うでしょ。
私の正しい怖がり方が間違っているのなら、正しくわかりやすく教えてください。
「仕事で成長」って、本当に必要ですか? というブログ(みたいなサイト、ニュースでもない、なんだろ)の記事が面白かった。
“成長”が目的になっちゃうと大変だよ、という話。
私の今の会社のほぼ全メンバーがエンジニアかエンジニアを目指している人達である。
私は自分がエンジニアなのかエンジニアを目指している人なのかはわからないが、仕事自体はエンジニアがする仕事をしている、だからたぶんエンジニアと呼んでいいのかもしれない。
以前の会社ではデザイナと呼ばれちょっと違和感を感じたが、エンジニアにも少し違和感を感じる。
デザイナとかエンジニアとかいう言葉に含まれる「万能感」と「専門家感」みたいなものに気おくれを感じる、大いに。
で、その話は今回関係なくて、会社にはいろんな種類の”エンジニア”がいる。
私は”1”になりたいとは思っているが実態は”2”から”5”のどれかなのかなとも思っている。
「仕事で成長」って、本当に必要ですか?の記事で面白かった部分は、”成長”はなんらかのリスク(生活の危機)を回避するためにやっておく保険のようなもので、リスクがないのであれば”成長”って必要なものなの?”成長”が目的になるのは違うんじゃない?というところ。
“成長”が自体が目的になっちゃうというのは思い当たる節がある。今の会社は新年の挨拶で今年の目標を言わなきゃいけないのであるが、そこで「今年は新しいプログラミング言語を学びます!」なんて私は言っていた。
「今年は健康に過ごすことです」などと”9”の人が言っていて、ああこの人は”成長”したくないんだ、と心の中でバカにしていたが、”成長”はリスクのための保険という考え方をすると少し見方が違ってくる。
要は、リスクに対する対処法が人によって違うということに他ならない。
私は”成長”して強くなることでリスクに対処すると言っていて、”9”の人はリスクはできる限りよけて生きる、と宣言しているのだ。
どっちが正しいかは他人が決めることではないだろう。
バカにしてごめん。
私は今の仕事ではほぼプログラミングをしている。
プログラミングをしている時は非常に楽しい。
私は何かを作るという作業に楽しさを感じるから、プログラミングも楽しいのだと思う。
ただ、何かを作る作業にも楽しさを感じやすいものとそうでないものがあると思う。
前の会社で Adobe Illustrator を使ってレイアウトのデザインをしていた時は、確かに楽しさを感じる時もあるにはあったが締め切りに追われている圧迫感と、デザインセンスがある上司に私のレイアウトデザインをけなされる恐怖感があった。
残業を続けて泣きたくなりながら作業をして、なんとか終えたときは非常な満足感と達成感を感じたが、あれは楽しさとは違う。
危機を乗り越える、という事に快楽を感じたのだろう。
でも前の会社でデザインがメイン業務になる前まではプログラミングをしていた。
ActionScript という JavaScript の兄弟言語で社内には詳しい人がいなかったので、めんどくさいことを言う人もいなかった。
出来上がったものを見せても、けなされたりしないので非常に楽ちんだった。
会社も景気が良かったし、あまりビジネスに直結しない部分だと思われていたから何も言われなかった可能性も高いが、まあその時はとにかく楽しかった
ActionScript でのプログラミングの仕事は半年くらい続いた。たぶん会社的にとっては空白の半年だろう、でもそれが私の今の仕事の原動力になっている。
楽しかったけどできなかったこともたくさんあって、悔しかったが、今は ActionScript の兄弟の JavaScript を楽しく書いている。
小さいころミニ四駆いじってて楽しかったけど当時の能力じゃ限界があって、でもいまは金と経験があるから当時よりもすごい性能のミニ四駆というかラジコン買えるぞ、当時のオレ見て!
みたいな。
でも一番楽しかったのは当時であって、いまではない、それを追いかけてる感じ。
その一番楽しかったというのも、当時は気づかずに後で思い起こして気づくというような。脳がそのころの快楽を記憶しているみたいな、そんな感じ。
で、それをまた求める、みたいな感じなのです。
そういうのがなかったらあまり今のプログラミングづけの毎日は楽しくないかも。
なんか話がまとまらなかった、すまんす。
床にモノが落ちるとアルコール除菌のティッシュで拭く。
友達が帰った後、ゲームのコントローラをアルコール除菌のティッシュで拭く。
コンビニで買ってきた雑誌も家に着いたらすぐにアルコール除菌のティッシュで拭く。
床に落ちたものを拾ったとか、少し汚れが付いたなと思っただけで石鹸で手を洗い、新しいタオルで手を拭きそのタオルを洗濯カゴに放り込む。
1日で洗濯カゴはタオルで溢れ、手は石鹸の残りかすで真っ白になる。
コロナウィルスの影響でアルコール除菌のウェットティッシュが店から無くなるはるか以前に私は大量のアルコール除菌ティッシュで家の中を拭きまくり、手を洗いまくっていた。
それが始まったのは登校拒否になった中学2年生の時だ。
当時は潔癖症という言葉自体あまり一般的ではなかったと思う、いや、一般的だったかもしれないが、私はその言葉をよく知らなかった。
ただ自分がちょっとイっちゃってるなという感覚はあり、家族を除く人前ではアルコール除菌のティッシュで何かを拭くというのは見られたら恥ずかしい行為だと思っていた。
自分の変な性癖を見られるようなそういう恥ずかしさである。
自分は少し汚いものにも耐えることのできない、弱い人間であると思っていた。
だからそれを人に見せることが怖かったし、自分の潔癖症は治さなくてはならないものだった。
電車のつり革にも掴まれなかったし、外でトイレに入れなかった、宿泊施設の風呂などもできれば入りたくなかった。
外出先でおしっこは何とかできたが、うんちをしたくなると家まで我慢、というのが30歳になるくらいまで続いた。
つまり自宅を出て外で活動をしていく際に困ることがたくさんあった。
このままではヤバイと思ってはいたのでアルコール除菌のティッシュの使用は少しずつ減らし、石鹸で手を洗うのも少しずつ減らしていった。
やっとなんとか外出先でもうんちができるようになったときはかなり感慨深かった。
潔癖症がひどいままではまともな人間になれないと強く信じていたので、なんというか大人になった、というか、やっと普通な人間になった!と、トイレの個室で一人で感動した。
新型コロナウィルスの影響が今後どうなるかはわからないが、今回の一件でアルコール除菌と手洗いに目覚めちゃう人に教えたいのはやめるのがとても大変ということである。
頻度は減ったがいまだにこっそりアルコール除菌ティッシュでいろいろ拭いているよ、私は。
拭かなきゃいけないと思っちゃうと、ずっとそのことが頭の中に残る、結構疲れるんだ。
いつも夢に出てきていた豪華な自宅が建て直しをしたようだった。
以前は豪華だけど排水がちゃんとできない汚い風呂場があったのだが、今回の夢ではその風呂場の存在が確認できなかった。
汚かったので風呂場そのものを取り払ったのかもしれない。
豪華な自宅には初めて自分の部屋ができた、名前はわからないが茶色い豪華な木材が使われているような部屋だった。
モノもたくさん置ける。
いい部屋だ。
でも何故か小学校の同級生が布団で寝ていた。
俺の部屋だから出て行けとは言えなかった。