電車の中で読む本は

最近、電車での通勤時、技術書を読むことが多くなった。

主に会社で購入してもらったオライリー(O’Reilly)のWeb技術系の本である。

今までは電車の中では文庫本しか読まなかったのだが、勉強をしないとやばいのではないかと思い始め、どこで技術書を読むのかと考えたときに結局通勤電車の中で読むのが一番集中できるし手っ取り早いということになった。

本がでかくて重いのでかばんも重くなってしまうのがイヤなのだが、まあしょうがないと思い読んでいる。

文庫本と違い、デカいので混雑した車内では読みにくくなるのだが最近は慣れた。

でも困っていることがある、ブックカバーが無いことだ。
本がでかいのでそれに被せるような大きなカバーがないのだ。

私は読んでいる本のタイトルを他人に見られるのが裸を見られるよりも圧倒的に恥ずかしい、だから文庫本にもカバーをかけて読んでいるのだが技術書にはかけられない場合がある。

だから泣く泣く裸のまま取り出して読んでいるが、パンツはいてないみたいで恥ずかしいんだよ。

本のタイトルが『サルでもわかるJavaScript 初級編』とかだと、あ、コイツ初心者だ!とか思われているんではないか?と、まあ初心者なんだけどね。

以前京王線の新宿行きに乗っていたとき『女の機嫌の直し方』という本をカバーをかけずに読んでいたおっさんがいたけど、あれはちょっとアホなおっさんだったのか、それとも宣伝だったのか、おっさんスゲーなと思う。

フワフワした依頼

会社で後輩2人と打ち合わせをしていたのだが、仕事上での私の失敗談で盛り上がった。
というか、その失敗がいかに大変だったかを私が後輩に愚痴っているというのが正しい。

色んなエピソードを話しているつもりだったが、すべてのエピソードに共通しているのは、いかに仕事が適当に投げられてこちらに飛んで来て大変なことになるか、みたいな話が多いことに気づく。

つまり、フワフワした依頼をこちらでしっかりとキャッチして「これってこういうことですよね?」とまとめてあげなくてはならないということだ。

そもそも、仕事ってそういうものかもしれない。

後輩2人へ、先輩の愚痴を聞いてくれてありがとう。

渋谷のブックオフがなくなっていた

仕事が早い時間に終わったので会社の近くにある渋谷センター街のブックオフに行ったら、GUになっていた。

調べてみると2018年の7月に閉店していたようだ。

無くなってから半年以上気づかなかった、さらに私は半年以上センター街に行っていなかったっつーことだ。

ブックオフの存在を知ったのは私が大学生の頃だが、そのときは黄色い下品な看板で、八百屋みたいに威勢よく本を売っていたので敬遠していたが、100円コーナーに掘り出し物があるのに気づいてからは1ヵ月に1回くらいは通っていた。

私は渋谷のブックオフが潰れたことに気づくのに半年以上かかったが、半年に1回すら来ないようなお客さんばかりだったらそりゃ潰れるだろう。

初めてブックオフに入ったとき、なんだか汚いなと思ったのだが、ブックオフにはいまだにその感じが残っている。

それはある意味すごい事で、上場してもこなれた感じが出てこないのである。別にけなしているわけではない、ブックオフの汚い感じみたいなのを私は今は嫌いではない。

ブックオフに入るとドヨーンとした空気と特有のニオイ、これも私は嫌いではない、何と言えばいいのだろう、落ち着くというか親戚の家というか何というか。

さらにマンガの棚の前にズラーっと並んで立ち読みをしている老若男女。ホントに何て言えばいいのだろう、これは2019年の光景ではないような感じがするのだ。

コンビニに入るとおでんのニオイがプ~ンとして、雑誌コーナーで立ち読みする老若男女、みたいな光景と被るのだ。
懐かしいでしょ。

ブックオフに入ると、これは現代なのか?と私はタイムスリップしてしまったのか?と思ってしまうのだ。

店内をキラキラとキレイにしてインスタ映えしそうな感じにするか、中野ブロードウェイのまんだらけみたいな感じの魔窟を目指すかしないとブックオフは生き残れないのではないのだろうかとも思う。

でも、このままの少し汚い感じとドヨーンとニオイは残してほしいな。

打ち合わせは何分が妥当なのか、そして声の大きさは

会社で同僚と自席で仕事の打ち合わせをしていたのだが、打ち合わせが終わったあと会社の上司から「打ち合わせが長くなる場合は会議室を使え、話し声がうるさい」というメールが来た。

今勤めている会社は、IT系の会社で社員たちは自席でシコシコとプログラミングをしていて、キーボードの音以外はあまり音のしない静かな会社である。

だから、打ち合わせというか仕事の話をしていると周りからは何の話をしているのかがわかるくらいにはバックグラウンドは静かである。

だからと言って打ち合わせの声がうるさいと言われたらたまらない、会社で話ができないということのなのか。

こっちは大声を張り上げて罵り合っているわけではない、隣に聞こえれば十分な程度の声の大きさである。

静かな環境だから気になる人もいるのだろうけど、仕事の話を注意されるとは思わなかった。

色々言いたいこともあるし、メールじゃなくて直接言ってくれよと思うのだけども、会社には色んな人がいるよなほんと。

以上。

電車の中で読むべし 『パンク侍、斬られて候』

  • 書名:『パンク侍、斬られて候』
  • 著者:町田康
  • ISBN: 978-4043777037
  • 刊行日:2006年10月
  • 価格:-
  • 発行:角川文庫
  • ページ数:360
  • 形態:文庫

「爆笑の時代劇だ!」と聞いていたので、文庫になったら読もうと思っていて遂に読んでみた。

町田康は「マチダヤスシ」だと思っていたのだが、どうやら「マチダコウ」だという事がわかった。

作家の名前の読み方を間違えるという事はよくあるが、正しい名前がわかった時になんだか損した気分になるのは私だけだろうか。

設定は時代劇でありながら、登場人物達は現代の言葉と文化を身につけている。

だから刀を差した浪人がフランク・ザッパやボブ・マーリィの事を唐突に話し出したりするのである。

仕事に行く途中の電車で読み始めたのだが、笑いを堪えるのがとても苦しかったので家で読むことにした。

だが家で読むと、たしかに笑えるのだが、爆笑とまではいかないことに気づいた。

けして『パンク侍、斬られて候』が面白くないというわけではなく、電車という一人で笑っていてはマズイ場所で読むというスリリングな快感がなくなってしまったのだ。

私の敬愛する「かなざわいっせい」というおじさんが、本は立ったまま読むのがよろしいと言っていたのだが、たしかにその通りだと思う。

私も電車のドアの脇に立って、あのドア脇の手すりのような部分に寄りかかって本を読む時が一番読書に集中できる。

家にいると、パソコンやらテレビやらと読書中の私を誘惑してくるものが多いのだ。

電車だとせいぜい車窓の風景を眺める事くらいしかやる事がない(私はスマホは車内ではできる限り見ないようにしている)、さらにまわりは他人ばかりなので読書をする事で他人ばかりの外の世界から自分だけの世界に入り込めるという効果もある。

電車の中で笑いを苦しみながら堪えて無理にでも読み続ければさらに面白かったのではないか?と思っている。

ヘリックスの孤児はハイペリオン読者へのご褒美 『ヘリックスの孤児』

  • 書名:『SFの殿堂 遙かなる地平2』
  • 編者:ロバート・シルヴァーバーグ
  • 著者:ダン・シモンズ、フレデリック・ポール
  • 翻訳:酒井昭伸
  • ISBN: -
  • 刊行年:2000年
  • 価格:-
  • 発行:ハヤカワ文庫
  • ページ数:-
  • 形態:文庫

ハイペリオン4部作シリーズのその後の話が短編(中篇かな?)として掲載されていると聞いていたので買ってしまったSFの大家達のアンソロジーである。

ハイペリオンシリーズの続編は「ヘリックスの孤児」達という題名であり、シリーズでは脇役だったスペクトル・ヘリックスという一族達のお話である。

ハイペシオンシリーズを知っているという事が大前提としてはあるのだが、いつものハイペリオンシリーズの楽しさと面白さは健在であった。

他の作家達の作品もこの本には収められているのだが、実はしっかりと全部読まなかった。

全ての作品が人気シリーズの続編か外伝となっているため、そのシリーズを知っていないと楽しめないのである。

唯一読んでしまったのがフレデリック・ポールの『ゲイトウェイの外伝』である「いつまでも生きる少年」。

設定に古臭い感はあるもののちょっと荒廃しかけた地球の描写などは光るものがあり、謎の種族が残した宇宙船という設定もわかりやすく面白く読めた。

まあ、この本はホントにSFが好きで、さらにここに入っている作品を書いている作家に興味が無いと買わないだろう。

私もダン・シモンズの「ハイペリオン」の続編(外伝かな)が気になったから買っただけである。

この日本で今SFを読む人はどれくらいいるのか見当もつかないが、ホントウにSFに興味があってもこの作家達に興味がなければ面白くないのであまり強烈にオススメは出来ない。

とにかくハイペリオンの続編が読みたいならぜひオススメである、『ヘリックスの孤児』はハイペリオンファンへのご褒美である。

最終小説 『エンディミオンの覚醒』

  • 書名:『エンディミオンの覚醒(上・下)』
  • 著者:ダン・シモンズ
  • 翻訳:酒井昭伸
  • ISBN: -
  • 刊行年:2002年
  • 価格:-
  • 発行:ハヤカワ文庫
  • ページ数:-
  • 形態:文庫  

ハイペリオン4部作の完結編が『エンディミオンの覚醒』である。

『ハイペリオン』で巡礼に旅立った7人のお話は、『ハイペリオンの没落』で、一旦終わりとなるが、『エンディミオン』では巡礼の7人の一人の娘であるアイネイアーとハイペリオン出身のエンディミオンとの長い旅が始まり、『エンディミオンの覚醒』で旅が終わり4部作の多くの謎が解かれる事となる。

『エンディミオンの覚醒』からいきなり読み始めると何が何だかわからないはずなので、読むなら『ハイペリオン』からをオススメする。

『ハイペリオン』を読めば、その続きが読みたくなり、続きが読みたい気持ちがドンドンとエスカレートして『エンディミオンの覚醒』にまで至る事になるのである。

浦沢直樹の『MONSTER』というマンガ作品がある。

読み始めから読者を引き込み、ラストでどう終わるのか?と期待させるがラストが恐ろしくつまらない(私見です)作品である。

私は『MONSTER』を最初からずっと読んでいて、一体どうなるのか?とワクワクしていたのだがラストを読んで時間を返して欲しいと思った。

大風呂敷を広げたはいいが、畳み方がわからなかったから適当に終わらせたという風に私は感じた。

ダン・シモンズのハイペリオンシリーズも大風呂敷は『MONSTER』の比ではないくらいに広げられる、しかし浦沢直樹とは決定的に違うところがある。

大風呂敷は一応閉じられるのである、もちろん明かされない謎とか整合性の無い部分もあるけど。

読者を最後まで楽しませるというのはかなり難しい事だと思う、それをこの長い長いハイペリオンシリーズでやってのけてしまったダン・シモンズに拍手拍手。

夢枕獏がこの本(文庫版)の解説で、ハイペリオンシリーズは「最終小説」(それを読むだけで小説の全てを知る事が出来る理想の小説)に近いモノなのではないかと言っているが、私もそれに大いに賛成します。

気になった方はまず『ハイペリオン』を読んでみて、スゲー面白いよ。

既読の私から見ると、『ハイペリオン』をまだ読んでない人は、もし読んだら至福の時間が訪れるのだろうと知っているので、スゲーうらやましい、ああ、いいなー。

もう一回感動したいからハイペリオンシリーズを読んだ記憶が頭の中からなくならないかな~

幸福な読書体験 『エンディミオン』

  • 書名:『エンディミオン(上・下)』
  • 著者:ダン・シモンズ
  • 翻訳:酒井昭伸
  • ISBN: -
  • 刊行年:2002年
  • 価格:-
  • 発行:ハヤカワ文庫
  • ページ数:-
  • 形態:文庫

 
ハイペリオン4部作の中の第3作目にあたるのが本書である。

4部作のハイペリオンシリーズだが、全て上下巻で出ている。

私はamazonで8冊分(4部作分)をまとめて買ったのだが、8冊全てを重ねると結構な厚みになった。

今回の『エンディミオン』で3部作まで読み終わったことになるのだが、3回ともかなりのスピードで読みきった。

読み始めると通勤の電車の中と会社の昼休みの時間に貪るように読んでしまい、仕事中なども続きが気になって仕方なくなってくる。

終盤に近づけば近づくほど読むスピードは上がっていき、通勤の行きの電車で上巻を読みきってしまい、帰りの電車で何も読むモノがないという状況もあった。

ハイペリオンに向かった巡礼達の時代から300年あまり経ち、人類の住む世界はパクスという「帝国」に支配されていた。

そしてハイペリオンの巡礼の一人である”詩人”マーティン・サイリナースに命を助けられた青年エンディミオンがサイリーナスにアイネイアーという女の子を助けてくれと頼まれる事から物語は始まる。

今回のお話はエンディミオンとアイネイアーが帝国の追手から逃れながら、転位ゲート(どこでもドア)で繋がったテテュス河を下り「ある場所」を目指すという流れである。

本書はエンディミオンとアイネイアーの追われる側の話、帝国の追う側の話が時間軸にある程度沿いつつ交互に書かれていくシンプルな形でありながら、終盤に向けて一気に読み手をスピードアップさせる力を持っている。

まあとにかく気になったら書店で手に取るか、amazonで買ってみてください。

1部~3部までの間で広げた大きな大きな風呂敷をダン・シモンズがどう畳むか見もののハイペリオン4部作の最後の4番目『エンディミオンの覚醒』は明日か明後日紹介します。