続編はまだ出ない 『タフの方舟』

タフの方舟

  • 書名:『タフの方舟 1 禍つ星』、『タフの方舟 2 天の果実』
  • 著者:ジョージ・R・R・マーティン
  • 訳者:酒井昭伸
  • ISBN:978-4150115111、978-4150115166
  • 刊行日:2005年4月30日、2005年5月20日
  • 発行:ハヤカワ文庫SF
  • 価格:840円、700円(ともに税別)
  • ページ数:479、351
  • 形態:文庫

大昔の失われた技術で作られた巨大な宇宙船・方舟号(全長30キロメートルくらいある)に乗るのは船長のタフとその飼い猫達。

方舟号には宇宙の様々な種類の生物のDNA情報が蓄積され、そのDNAを持つ動物を短時間で「創造」する事ができる。
夢のような船である。

タフは自称「環境エンジニア」であり、失われた古代のクローン技術を使い、さまざまな生物を作り出しトラブルを解決する。困っている惑星があると、そこにフラリと”タフ”と方舟号は現れる。そして法外と思われる値段をふっかけて笑ゥせぇるすまんのように「私に解決出来ますが、ドーン!」、と迫る。

最初は「そんなにお金払えない!高い!」と言っていた困っている惑星の人々も結局その金を払う事になってしまう。

という連作短編集が本作である。
SFの装いをしているが、中身はいわゆる名探偵モノに近い。

ちょっと変わった刑事か探偵(古畑任三郎やとかポワロみたいな)が、まわりをヒヤヒヤさせながら事件を解決する、というようなあれである。

また、酒井昭伸氏の翻訳がいいのか、出てくる生物の名前が面白くてかっこいい。
艨艟(もうどう)とか、鋼牙(こうが)とか、『獣の奏者』に出てくる闘蛇を思い出したが、あれより名前のレパートリーというか引き出しが多い気がする。実際の英語版ではどんな名前になっているのだろうか。

「もうどう」なんて、どうやって訳したらその名前が出てくるのか、なんかよくわからんけどスゴイ化け物感ってのが出てて、スゲーなー。スゲーなーってプロに失礼か。

酒井昭伸氏は私の大好きなハイペリオンシリーズも訳しているので、この人の翻訳が私は好きなのだろう、たぶん

巻末の解説で酒井氏も書いているが、ハイペリオンが好きな方であれば本作も好きになること請け合いである、カヌーとかアイネイアーとかシュライクは出てこないけど。

このシリーズの唯一の欠点というか大いなる不満点は、まだタフの方舟シリーズは2巻までしか出ていないということである、ページ数で言うと800ページちょっとだ。連作の大SFシリーズになる余地があるのに残念な事である。

今後、大SFシリーズに育っていくことを期待したいが、作者のジョージ・R・R・マーティンは大人気シリーズである『ゲーム・オブ・スローン』(氷と炎の歌)で忙しそうなので酒井さんが続編を代わりに書いてくれないだろうか、どうかな、やっぱダメかな。

ハイペリオンシリーズの続編・・・ではないんだけど 『宇宙船とカヌー』

宇宙船とカヌー

  • 書名: 『宇宙船とカヌー』
  • 著者: ケネス・ブラウアー
  • 訳者: 芹沢高志
  • ISBN: 978-4480022363
  • 刊行日: 1988年6月28日
  • 発行: ちくま文庫
  • 価格: 950円(税別)
  • ページ数: 420
  • 形態: 文庫

本書は理論物理学者のフリーマン・ダイソンとその息子で科学史家であるジョージ・ダイソンを主人公とした、伝記ノンフィクションである。

著者はジョージ・ダイソンと一緒にカヌーでの旅などをしていたケネス・ブラウアーというノンフィクション作家である。

本書が普通の伝記モノと大きく違うのは、主役となる人間が2人いて、その2人が親子であるということである。

フリーマン・ダイソンと言えばダイソン・スフィアやダイソン・ツリーなどのSFでよく使われる小道具を考え出した人として私は記憶していたが、実際には物理学者であり数学者であり、原子力発電の研究にも携わっていたという、まあつまり科学界の有名人である。

伝記モノらしくダイソン親子の生い立ちなどにも触れつつも、ページの多くはジョージ・ダイソンのカヌー(カヤック、バイダルカ)を中心として話は進んでいく。

科学技術で宇宙のフロンティアを見つけそこに小さな共同体を作ることを夢見る父、カヌーによって地球のフロンティア(主に北極圏周辺)を旅しそこに小さな共同体を作ることを考える息子。

物理学の世界で生きる父と、カヌーの世界で生きる息子であるが、目指すものは非常に似通っているというのが面白い。

本書を前に読んだのは今から10年前、当時私は独身であった。だから私は息子であるジョージ・ダイソンに自分を投影して読んだ、しかし私には数年前に息子ができたので、今回は父であるフリーマン・ダイソンに自分を投影して読んだ。

わかりあおうと努力する父と息子、でもお互いに理解しがたい壁があり、でも他人から見ると2人は双子のように似通っているというかそっくりである、という関係。

私は息子(4歳)と仲がいいと思っている、ケンカをするとときもあるが、ダイソン親子のように数年間会わないというような関係でもない、というかそんな風になる時が来るとは想像しにくい。

だがまあしかし、息子が思春期に入ると私のことを「オヤジ」とか呼び始めてヒゲとか生えてきて、少し臭くなってくるんだろうな、ああ悲しい。で、結局息子は私の元から離れていくのだろうか、寂しいな。

で、最初に本書を読んだ10年前はちょうど、ダン・シモンズの「ハイペリオン」シリーズを読み終えた直後だった。

シリーズの後編の主人公の1人であるエンディミオンはカヤックで宇宙をめぐる川を下る旅に出るのだが、そのエンディミオンにジョージ・ダイソンが重なり、さらにハイペリオンシリーズに出てくるアウスターという種族はフリーマン・ダイソンの哲学を実地で行くように自分たちの体を宇宙空間に適用させて進化をしている、さらにシリーズの重要な乗り物となるイグドラシルはどう見てもダイソン・ツリーである。

「ハイペリオン」シリーズは私の読書体験の中で一番の興奮と楽しさを与えてくれて、まあとにかく面白かった。それを読み終えて放心状態になっていて、かつ続きが読みたい!という欲求が強かったからなのか、本書はハイペリオンの続編なのではないかと思いつつ読んだ記憶がある。

実際、ハイペリオンシリーズの続編かもというべき「イリアム・オリュンポス」シリーズはちょっと違うなと思ったし、ハイペリオンシリーズの本当の続編である「ヘリックスの孤児」は短すぎて歯ごたえが無さ過ぎた。

だから、本書はハイペリオンの正しい続編である、ってなんのこっちゃ。

本書は1978年に発表されベストセラーになったようだが、それをダン・シモンズが参考にしなかったという保証はない、まあ「ハイペリオン」シリーズの続編がハイペリオンの発表(1989年)の10年前に書かれているというのはおかしな話だが、まあとにかく何かが似ているのだ。

当時も似ているなと思って何が似ているかよくわからなかったのだが(カヌーとかダイソンの考えたアイディアとかが出てきているという以上に何かが似ている)、今回読んで、確かになんか似ている気がするのだが何が似ているのはやっぱしよくわからなかった。

本書のタイトルである『宇宙船とカヌー』ってハイペリオンシリーズの副題でも通じるかも、実際には「宇宙船とカヌー、時々シュライク」になるはずだけど。

SF書評家の大森望あたりがそんなこと書いていないのかな。

本書の主役の2人はまだ生きていて、フリーマン・ダイソンはこの動画(フリーマン・ダイソン「太陽系の外れに生命を探そう」)の中で動いて喋っている。興味がある人はぜひ。

この動画の中でフリーマン・ダイソンは宇宙の生物について語っているが、息子のことにも触れている、まあ見てみて。

あ、これは「ハイペリオン」シリーズの続編なんだぁ!と強引なことを私は言ってるんだけど、シュライクとアイネイアーは出てきません、あしからず。

ドレッシングから私のカバンを守ってくれた 『影武者徳川家康』

影武者徳川家康

  • 書名: 『影武者徳川家康』上・中・下
  • 著者: 隆慶一郎
  • ISBN: 978-4101174150(上)、978-4101174167(中)、978-4101174174(下)
  • 刊行日: 1993年8月25日
  • 発行: 新潮文庫
  • 価格: 上下巻705円(税別)、中巻743円(税別)
  • ページ数: 544(上)、564(中)、534(下)
  • 形態: 文庫

私にとっての隆慶一郎の最高傑作は『鬼麿斬人剣』(隆慶一郎の最高傑作はテレ朝時代劇にピッタリ 『鬼麿斬人剣』)で間違いないのだが、その次に好きな作品はどれかと聞かれれば本作『影武者徳川家康』である。

まずタイトルがいい、影武者と徳川家康、タイトルだけである程度内容がわかるというのはよい、買うときに迷わない。影武者という設定がイヤだったら買わなければいいし、影武者と聞いて心踊るのであればすぐに本をレジに持って行けばいいのだ。

ここまでシンプルな歴史小説の書名も珍しい、新田次郎の『武田信玄』レベルのシンプルさである。

主な登場人物は、もちろん影武者徳川家康こと世良田二郎三郎、敵役の徳川秀忠、秀忠の参謀となる二郎三郎の親友・本多正信、二郎三郎の参謀兼護衛である甲斐の六郎、その舅である風魔小太郎の父・風斎、そして島左近、あと前半の関ヶ原で二郎三郎が家康を演じ続けるきっかけを作った本多忠勝、二郎三郎の妻(恋人)となった元家康の側室お梶の方などである。

関ヶ原の合戦で家康は島左近の放った忍びである甲斐の六郎に殺されるがとっさの機転で二郎三郎は影武者が死んだこととし、家康を演じ関ヶ原の合戦を勝利に導く。

二郎三郎はすぐに家康役を辞めるつもりだったが、周りがそれを許さず、家康を演じ続けることになる。その秘密を知るのは本多正信、秀忠にお梶の方、本多忠勝、そして甲斐の六郎と島左近等である。

徳川秀忠は家康のニセモノである二郎三郎を殺したい、しかし世間的には実力者家康は生きていることになっていて、家康が生きているからこそ徳川家に従う大名も多く、その家康を殺してしまっては徳川家に反抗する勢力が出てきてそれを自分の力だけで倒すことはできない。

その反徳川勢力の最先鋒が豊臣家であり、逆に豊臣家がいるからこそ実力者家康の重さが生きてくるのである、二郎三郎にとっては徳川家の仮想敵である豊臣家の存在が自分の存在価値を認めてくれるものなのである。

豊臣家と徳川家の勢力の均衡の中でこそ自分は生き続けられると考える二郎三郎は、豊臣家存続を願う島左近と甲斐の六郎と手を組むことになるのである・・・そして二郎三郎は駿府に自分の城である駿府城を築き、そこに自分の国を作っていく。

それを面白く思わない江戸の徳川秀忠からの暗殺指令を受けた柳生忍軍の総帥・柳生宗矩は二郎三郎暗殺を何度も試みるが、甲斐の六郎と風魔軍団に守られた二郎三郎はその野望を叩き潰す。だが、その失敗の度に秀忠と柳生宗矩は少しずつ成長をしていくのだ、だから本作の裏主人公は徳川秀忠である。

本作では自分のことしか考えず、残忍で酷薄で、人の命をなんとも思わないくせに臆病などうしようもない小人物として徳川秀忠は描かれている。彼はとにかくしつこい、ホントにしつこい。いい加減二郎三郎を解放してあげたらどうだと思うのだが、まあしつこいんだ、ほんとに。

私は『影武者徳川家康』を数回読み直しているが毎回その面白さに興奮している、本書の特徴はフィクションと正史を合わせて、さらにチャンバラで味付けしたというところで、本書が無ければ『ふたり道三』も『徳川家康 トクチョンカガン』も書かれなかっただろう。

で、そんな名作歴史小説を私はドレッシング漬けにしてしまった。会社に行く時にカバンに本書の中巻と弁当を入れて持って行ったのだが、弁当のドレッシングがカバンの中で漏れて中巻がそれを吸ってしまったのだ。冒頭の書影をよく見るとわかると思うが、中巻だけ左下が少し膨れているのだ。

しかしそのおかげでカバンの中があまり汚れずに済んだ、『影武者徳川家康』が本来汚れるはずのカバンの身代わりになって影武者的な役割を演じてくれたのである、なんつって。

おい吉祥寺、話題のツイートなんか流さないでくれ

私は毎週ネットで馬券を買っているが、テレビの生中継は見ない。家にいたとしてもテレビの生中継は見ない、見ないったら見ない。

なんでかというと、家族と過ごしているからだ。家族と一緒に見ればいいかと思うのだが、妻があまりいい顔をしないのだ。独身時代は当時は恋人だった妻と一緒に競馬場によく行ったのだが、結婚してしまうと色々変わってしまう。

馬券を買ったレースの生中継を見ないというのは、馬券の楽しみの75%くらいをドブに捨てているようなものなので、非常に悔しい。

で、考えた。

結論はすぐに出てきた。馬券を買ったらネットの情報をシャットアウトして、さらにテレビのニュースも見ないようにする、もちろん競馬仲間からメールやらLINEなどが来ても絶対に見ない。

そいで、夜に家族が寝静まったらゆっくりとPCの電源を入れ、ブラウザを立ち上げ、JRAのサイトに行って、当該レースの結果ページまで行き、レース映像の再生ボタンをポチっと押すのだ。

なんでJRAのサイトかと言うと、トップページからレース結果のページに行くまでの間に結果がどこにも書かれていないのだ、レース映像も結果を見る前に見ることができるようになっている。

当日の大レースの結果くらいトップページに載せとけよ!みたいに言う人もいるかもしれないのだが、JRAは私に気を遣ってトップページには結果を載せていないのだ。エライぞJRA!

その点netkeiba.comは競馬のニュースサイトのためうっかり開くと悲惨なことになる。トップページにレースの結果が載っているのだ!恐怖、恐ろしいサイトである。

昔、サッカーの試合をよくテレビで見ていた頃も似たようなことをやっていた、深夜とか早朝の試合を録画しておいて情報をシャットアウトしてから、次の日の夜に家で見るのだが国際試合などだと、というか1日たっているため電車などに乗ってしまうとスポーツ新聞の1面に結果が載っていたりしてその計画がおじゃんということがよくあった。

おっさん、電車の中でサッカーの結果の載ってるスポーツ新聞読むなよ!みんなから見えるように開くなよ、と思ったが、そんなのおじさんの自由である。

先週、競馬のジャパンカップの馬券を買った(ネットで)のだが、もちろん生中継は見なかった(というか見られなかった)。

で、その日は夜に友人と吉祥寺で会う用事があった。私は京王線のつつじヶ丘に住んでいるので吉祥寺に行くのには自転車か、バスか、電車(明大前経由)になる。一番速くて楽なのは自転車なのだが、その日はあいにくの雨であった、で、電車に行くことにしたのだ。

それが大きな間違いだった。

夕方(ジャパンカップの結果は出ていたが私はその結果をもちろん知らない)、つつじヶ丘駅で新宿行きの電車を待っていると、ホームに滑り込んできた電車がちょっと混んでいた。何でかなと思ってすぐに気づいた、府中にある東京競馬場から帰る人たちが乗っているのだ、それも私の買ったジャパンカップを見終えた人たちである。結果を喋っている人がいるに決まっているので非常に危険だ、バスに変えるか?と思ったがまあしょうがないと思って乗ってしまった。

で、明大前駅に着くまで競馬帰りの人達の話が耳に入ってこないように、と祈るような気持ちで電車に乗っていたが、みんなこれから何食べる、とか来週の馬券は、とかなんとか未来の話をしていて過去の話をしている人はいなかった、幸運にもジャパンカップの結果は耳に入ってこなかった。

よかった、と思って明大前のホームに降りた瞬間、降りた人の口から「キタサンブラックに全部突っ込んでおけばよかったよ・・・」、ああついに聞いてしまった。

実際に勝ち馬を言っているわけではないが、少なくともキタサンブラックが馬券に絡んだことは確かであろう。なんだよ・・・、さらにキタサンブラックが馬券に絡んでいるとなると私の馬券が外れている確率が非常に高くなる。

で、さらにふざけんなは続く。

明大前から井の頭線に乗り、吉祥寺で降りた。井の頭線改札を出るとすぐにJR吉祥寺駅の改札の前にでるのだが、その改札の上辺りに横長の電光掲示板(デジタルサイネージというの?)があって、なんとそこに「キタサンブラック」という文字が・・・

何でだ?と思って見ると「話題のツイート」というタイトルで1位から3位までの今話題のツイートが載っているのだ。さらにご丁寧に2着に入ったであろうサウンズオブアースの名前まで出ている。

私の馬券は99%外れである、夜にJRAのサイトでレースを見て馬券が当たるかどうかをワクワクドキドキしながら見る楽しみはどこかに行ってしまった。

どうでもよくなったのでnetkeiba.comでジャパンカップの結果を見た、たしかに1着キタサンブラック、2着サウンズオブアースである。

私の馬券は外れた。大はずれである。

家に帰って調べてみた、何で吉祥寺に「話題のツイート」か。するとこんなページが出てきた。

住みたい街ランキング常連のあの駅で話題のツイートが見られるようになりました

Yahoo Japanの公式ブログなのだろうか、吉祥寺駅で話題のツイートが見られるようになったとのこと。たぶんYahooの「話題のツイート」の宣伝として吉祥寺駅で流しているのだろう。

でも、こんな掲示板に宣伝効果あるのだろうか、と思ったがJR吉祥寺駅はWikipediaによると1日の乗車人数が14万人ほど、で、この掲示板があるのが南口(公園口)、おそらくここをその半分の7万人が通るとしてこの掲示板を見るのが10%とすると7000人が見るのである、結構な数字である。

で7000人のうち少しでも実際にYahooの話題のツイートにアクセスしてもらいたいのである、って知るか!

話題のツイートを流すのはまあいい、許す、というか私には関係ない話だ。でも私が前を通る時は話題のツイートは流さないでくれ、だからと言ってその代わりに競馬のニュースなんかも流すなよ。

本を探す楽しみ

休日に転職活動の勉強のために近所の図書館(三鷹)に通うようになったのが今から2年ほど前、その時に図書館の文庫コーナーを覗くと前から読みたかった本がズラリと並んでいた。

その近所の図書館はできたばかりだったので、新刊の文庫ばかり並んでいたのだった。それ以来図書館に行くたびにちょこちょこと本を借りるようになった。

最近では遠出をして調布の駅前の中央図書館に行ってみたが、そこはビルの中の快適な空間でこれは穴場を見つけてしまったと興奮した。

休日にもかかわらず、イスがうまっておらず、かなり空いていた。

近所の三鷹の図書館は狭いせいか、休日の午後ともなるとイスが埋まってしまうのだが、調布はそんなことはない。

妻からは昔の調布の図書館は掃き溜めのようだったと聞いていたが、その時から建物も変わっているのでそんなことはなかった。

帰りに調布のブックオフに寄ると図書館の空き具合とは対照的に、立ち読み客が多くレジに列ができていた。

ブックオフのユーザと図書館のユーザは重なることはないのだろうか、重なるはずなんだけどな。

10年くらい前までは本は新刊書店でしか買っていなかったが、欲しい本が新刊書店になかったり高すぎたりすることがあり、それ以来古本屋でも本を探すようになった。

よく行っていた古本屋は主に近所の大型古本屋(昔吉祥寺周辺に数軒あったブックステーション)だったが、近くにブックオフができたせいか潰れてしまいそれ以来ブックオフを利用している。

黄色いと青の下品な看板で、「いらっしゃいませー」と連呼する八百屋みたいな古本屋なんて・・・と最初は思っていたが、最近では慣れてしまった。

ブックオフで楽しいのは、というかブックオフといえばこれ、なのだが、それは100円コーナーである。

聞いたところによるとブックオフの100円コーナーというのは、その本の価値がどうかとかではなく同一店舗に同じ本が5冊以上そろうと100円コーナーにまわされるというのである。

つまり、自分の欲しい本がその店に集まっていた場合、100円コーナーにまわる可能性が高くなるのである。だから本の多い大型店舗のブックオフほど100円コーナーに、欲しいものが見つかることが多くなるのである。

これは、結構大事なことである。

昔、つまりAmazonのようなネット書店の無い時代。私はどこで本を買っていたかというと、吉祥寺のパルコブックセンター、新宿の紀伊国屋(高島屋隣の方)、神田の三省堂である。

何でかと言うと、当時(10年くらい前)の吉祥寺のパルコブックセンターは私が住んでいる三鷹地域では一番大きな本屋だったからで、新宿の紀伊国屋と神田の三省堂は電車でちょっと行くけどおそらく東京で一、二の品揃え、だと思っていた。

つまり、自分の欲しい本が「ありそうな」本屋に行っていたのである。これがAmazonの進出によって変わる。

Amazonには無い本がほぼ無い、無い本が無いという表現自体おかしいのだが、Amazonだとつまり普通は無いはずの本が「ある」のである。

もちろん、それは中古であったり、値段が高騰していたり、送料がバカ高かったり、するのであるが、基本的にはある程度のお金を出せば、新品ではないにしても買えるのである。

Amazonで検索し、カートに入れると他の本も薦められて、それもカートに入れると1,500円以上は送料無料!(今は2,000円以上?)となって、街の新刊書店に行くより安いや、となってポチっと注文してしまう。

で、次の日かその次の日に家に本が届く、わあ、うれしい、となるのだが、そのまま積読になってしまう。なんで積んだままになるのかというとAmazonで買うと購入したという記憶があいまいになり、なんでその本が自分の部屋にあるのかよくわからなくなるのである。

たぶん、その本が10万円くらいして、買うかどうか逡巡した上でのAmazonでの購入ならそうはならない。

あまりにもスマートにすっと自分の部屋に本がやってくるので、購入するまでのストーリーがないのである。

つまり、楽しくない。

で、気づくのだ、実際の店に行ってサイフから金を出して買った方が楽しいと。

そのドラマ、過程が楽しいのである。

なのでAmazonで買うというのは、本の楽しみを半分くらいなくすような行為なので私はできる限り本屋かブックオフか、図書館で探すようにしているのだ。

新・さ迷える転職大変記 第10話 「おたく、何の会社ですか?」

早く帰りたい

かなり間が開いてしまったが、今回も唐突に始まる。

家を買う話は順調に進んでいく

仕事と家のことで精神的にきつくなったので心療内科に行き始めた、心はすこし楽になったが、会社は経営が苦しいようで社員への締め付けが厳しくなってきた。

転職が先か倒産が先か、みたいな気分になり転職活動が進まない焦りがドンドンと募ってくるが、ワケありの私でもお金を借りられそうだということになりローンの面接に行くことになった。

お金を貸してくれそうなところは大手都市銀行系列のローン会社である。都市銀行系列なのでどの支店でも貸してくれるのかと思ったがそういうものでもなく、知り合いの工務店の近くの郊外の私鉄沿線にある支店での面接となった。

私はスーツを着て、妻と一緒に転職の面接よりもある意味緊張しつつ郊外の都市銀行の支店に隣接するローン会社に行った。

が、工務店側とある程度話が進んでいるらしく、顔合わせという感じで無事にローンの面接は終わった。

おそらく、お金は借りられるであろう、なので、土地を買いそこに家を建てることになる。

だから、転職活動は頑張らなければならないし、さらに転職が決まるまでは今の会社がつぶれないように頑張らなければならない。

なんだかプレッシャーがさらに重くなってきた。

仕事は拘束時間が長くなる

多くの会社には繁忙期があるようだが、私の会社の繁忙期は秋だった。

主力製品2個を毎年この季節にリニューアルしてリリースする、そのためのパッケージやらチラシやらを作るのだが、それはほぼ私の仕事であった。

売れる売れないはパッケージ次第!という空気が社内には色濃かったのでダメ出しがとにかく多い、さらに昨日OKが出たから印刷会社に出稿したのに、今日になり「やっぱやり直して、印刷会社には待ってもらって」みたいなこともあり、印刷会社との連絡も私の仕事だったのでその連絡に時間を取られ作業が進まない、というような事態になることもあった。

1日中印刷会社とのやり取りで終わってしまい、作業が全く進まない日もかなり多かった。

心療内科でもらえる薬のおかげでそこまで最悪というところまではいっていなかったが、徐々に心が心療内科に行く前の状態に戻りつつあるような気がしていた。

土地を買って家が建ち始めるが、私が採用した後輩が辞める

仕事は大変だったが、家の話は順調に進み無事にお金を借りて土地も購入でき、工務店が建設工事に入った。

だが、仕事が遅くまで続き家の新築のことはお金のことも含めて妻にまかせっきりという状態が続いていたので何度か妻とケンカをした。

心の平衡状態はなんとか保っているというか、いろいろなプレッシャーの中でなんとか平衡を保っているという感じ。つまり心配事がひとつじゃなくてたくさんありすぎて、それらが上から下からバランスよく圧力をかけて来ているので崩れずに済んでいるという感じ。

で、そんな中、2年前に私が面接して採用を推した後輩から話があると昼ごはんに誘われた。

その後輩は、最初はバイトとして入社していて、社員になって1年くらい経っていた。会社の先も見えないし、自分の給料も安い(手取りで17万くらい)ので辞めることにした、とのこと。

オレより先か・・・と思ったし、そうも言ったが、しょうがない、その後輩は私より若いし家族もいないので簡単にやめることができる。

昼ごはんのメインの話題は後輩の新しい仕事よりも、私の悩みになってしまって、その後輩から励まされる始末である。

おたく、何の会社ですか?

そして、また面接をすることとなった。

所在地は渋谷の道玄坂上、会社から歩くと15分くらいのところである。

あちらから興味通知オファーというのが来て、「ありがとうございます、そちらの会社に入った場合私はどんな仕事をするんでしょう?」と返したら、「じゃあお会ってお話ししませんか?」と返されたので、近いし会ってみるかとなったのである。

転職サイトで見たところその会社はWeb系である、つまり何をやってるかよくわからない。だから、面接当日にどんな会社か教えてくれるのだろう。

私は面接というよりも、軽い雑談のようなつもりであった。

面談日時は会社の昼休みに合わせた。

会社をいつものラフな格好(パーカーだったが一応中はシャツ、でも下はジーンズ)で出て道玄坂上に向かった。

会社は道玄坂上交番の奥にある大きなビルの中にあった、そこの何階だかに上がるとキレイなエントランス。

笑顔を絶やさない人事の女性がやってきた、彼女がおそらく転職サイトで連絡をした人間だろう。

彼女に履歴書を渡すと、デザイナ?のような男性が登場した。

まず自己紹介をしてくれと言われたので、自己紹介と職務経歴の紹介をしたが、この面談ってまずは人事と軽い雑談をするのが目的じゃなかったっけと頭のなかにクエスチョンマークが出てきた。

で、私の番が終わるとデザイナ男性が

「私らの会社が何やってるか知ってますか?」

と聞いてきた。

いや、その説明を受けに来たんだけど、と思ったが

「Web系ですよね?」

「どんな?」

「よく知りません」

「あなたね、面接に来るのなら普通会社調べてくるでしょう、私たちはインターネットを世界に広めるための仕事をしてるんです!その理念に共感できない仲間はいりません!」

「そうですね」

面接が終了した。

どんな会社かの説明も何もないが、会社の雰囲気はよくわかった。

あと、何やっているかも。

プロバイダだ、たぶん。つまりイケイケな社長がいて、それについてくるイケイケな営業部隊がいて、それらのまわりにいろんな部署がぶらさがっているのだ。

それで私はおそらくそのぶらさがりの中のデザイン部みたいなとこで、暗い顔した上司にこき使われるはずである。

よかった、今の会社の方がいい。

面接は破談となったが、いい経験はした。

まず、面接って言うか雑談ですよ、ハハハみたいなメール内容であっても、一応相手の会社のことは調べておいた方が話がこじれない。

でも今回の場合はとくに行きたいという気持ちはなかったので、その気持ちの再確認ができたから下手に調べないでよかった。

お互い時間の無駄だったのではという疑いも大きいが、私にはいい経験になった。

その後は何事もなかったかのように会社に戻り、業務を再開した、面接はすぐに終わったのでホントウに昼休み1時間分でなんとかなった。

連載 「新・さ迷える転職大変記」バックナンバー

かなりまともなお話 『不愉快な現実』

不愉快な現実

  • 書名:『不愉快な現実 中国の大国化、米国の戦略転換』
  • 著者:孫崎享
  • ISBN:978-4062881494
  • 刊行日:2012年3月20日
  • 発行:講談社現代新書
  • 価格:760円(税別)
  • ページ数:274
  • 形態:新書

かなりまとも、日本国中が感情論になっているようこのご時勢、かなりまともなことを言っている。筆者の孫崎享は外務省出身のおじさんのようである。

彼の主張は下記の通り。

  • 米国は日本の利益を考えていない、当たり前だけど自国の利益を考えている
  • 尖閣諸島問題は中国側と話し合え
  • 自国の主張の正しさを主張しすぎると武力衝突になる
  • 相手の主張がどうあれ、相手はこちらに対して主張があるので聞くべき
  • 中国と戦争しても勝てるわけない
  • 米国は日本より大きい貿易相手である中国と日本のかわりに戦争なんかしない

というもの。

相手の国よりこっちの国が優れていて、ここは美しい国だし優秀な国民しかいない、みたいなことを言っているだけの人たちもこれを読めばいい。

中国や、韓国や、北朝鮮をバッシングするような報道をしたり、まあそういうことをネット上で展開しているこの状況って異常だぜ。

お隣同士なんだからさ、仮にむかついても仲良くやるしかないんだよ。

去年隣人が、あなたの家が深夜に毎日大声でケンカしててうるさいんだけど、迷惑です、出るとこ出ますよ!と言ってきたことがある。

私の家族は10時くらいには寝てしまい、そもそも深夜にお話などをほとんどしないのでまさに寝耳に水だったし、何をこの人は言っているのだろうと思って、コノヤロと思ったのである。

マイクとカメラを設置して、こちらの無実を証明するしかない!と思ったが、結局そんなことはやらずに今に至っているし、アレ以来お隣も何も言ってきていない。

たぶん、こちらに苦情を言ってきた時に、コリャ何か言ってもムダだと思ったのか、それともうるさいのはこの家じゃないと思ったのかはよくわからない。

だが、我が家と隣人はその問題を今のところ棚上げしている状態である。

仮にどちらかが正しいかを突き止めるために、カメラとマイクを設置して裁判になったとしたら、どちらかが負けるか、どちらも主張を曲げずに泥沼の戦いに陥っていくのである。

そりゃそうだ、お隣同士なんだから、紛争状態になったら近所も巻き込んでの激しい争いになる。

だったら棚上げしておけばいいのだ、お互いそのことをわかっているだけ日本と中国に比べてよほど賢い、我が家と隣人の関係は数年だが、日本と中国は1,000年以上付き合っているはずだ、何で賢く立ち回ることを考えないか。

つーか、扇情的なことを言う政治家もアホだし、それを真に受けるネット民たちもアホ、さらにそのネット民に煽られてさらにクソみたいなことを政治家が言ってと、アホスパイラルに陥っている。

自分らが優秀だと思っているんなら、争うのやめて日本から引っ越せよ、ほんと。

って私も感情論になってしまった。まあ落ち着け。

中世ドイツの星を継ぐもの? 『異星人の郷』

異星人の郷 Eeifelheim

  • 書名:『異星人の郷』
  • 原題:”Eifelheim”
  • 著者:マイクル・フリン
  • ISBN:978-4488699017(上)、978-4488699024(下)
  • 刊行日:2010年10月29日
  • 発行:創元SF文庫
  • 価格:各940円(税別)
  • ページ数:349(上)、366(下)
  • 形態:文庫

舞台は中世ドイツ南部フライブルクの近くにある上ホッホヴァルトという小さな村。ある日その村に異星人の宇宙船が不時着する・・・

主人公は上ホッホヴァルトに住む少しワケありの神父ディートリッヒ。彼と異星人であるクレンク人とのファーストコンタクトから物語は始まる。

クレンク人の姿はバッタかカマキリのようで、村人の多くはクレンク人を悪魔だと思ってしまう。キリスト教の世界観が支配する中世においてこの事件は外に漏らしてはいけないものだった。もしこの事件が外に漏れると、村人は悪魔と交流を持ったということになり、異端審問にかけられ命の危険もある。

クレンク人はワープ?中に事故にあい、中世ドイツの森に不時着したようだ。これから自分たちがどうなるのかわからないという不安がありつつも徐々に村人と打ち解けていく。自分たちの世界に戻ろうと乗り物を修理しようと躍起になるが、場所は中世ドイツの村なので修理に必要な材料はなかなか集まらない。

異星人とファーストコンタクトする際に一番の障壁となる「言葉の問題」はクレンク人たちが持っているハインツェルメンヒェンというスマホのような機械が言葉の翻訳をしてくれるので、地球人とクレンク人の間には簡単にコミュニケーションが成立する。

面白いのは、クレンク人たちがディートリッヒの説明するキリスト教の神に興味を示し、キリスト教に改宗をするクレンク人も出てくる。クリスマスには主が降臨すると教えられ、その主が自分たちクレンク人を助けてくれることを期待するが、実際に主が降臨することはなくクレンク人たちは落胆してしまう。

ディートリッヒがクレンク人の必要としていた銅線を調達するために奔走した結果、クレンク人たちはなんとか船を修理して、地球に残ると言う4人だけを残して故郷にたどり着けるからわからない旅に出発する。

クレンク人たちが出発した後、ペストが上ホッホヴァルトにもやってくる。村人たちの一部はクレンク人がペストを持ち込んだのではないかと疑うが、4人のクレンク人たちは懸命に看護をする。

物語は中世ドイツのディートリッヒの視点、現代パートである歴史学者トムの視点を交互にして進む、現代パートの分量はあまり多くなく、そもそも必要があったのかどうかは少し疑問なのだが、物語のリアル感というかSF感を出す効果は出ている。

基本的にかなり淡々とお話は進んで行き、出てくる村人も多くて、誰か出てくるたびに冒頭の登場人物一覧に戻って名前を確認するような読書が続くのだが、この物語の面白さはたぶんストーリーのホントっぽさにある。

宇宙人とのファースコンタクトSFものの舞台は大体にして未来なので、リアルさはあまり感じないのだが、本書は設定が過去の話だからなのか本当にあったことではないのかと思ってしまう。

やってきた宇宙人の悪魔のような格好は『幼年期の終わり』(アーサー・C・クラーク)のオーバーロードを思い出すが、現代パートで中世ドイツに宇宙人がいたのではないか?という仮説を検証しようとするところは、設定も時代も違うが『星を継ぐもの』(ジェイムズ・P・ホーガン)を読んだときと同じような興奮を覚えた。

そして中世の生活も面白い、異星人と地球人の遭遇であるから異星人の生活と考え方が気になるはずだが、中世キリスト教の世界に縛られていないクレンク人の方が現代人寄りな感じ、中世ドイツ人が異星人みたいに見える。

地球人の言葉とクレンク人の言葉はハインツェルメンヒェンが通訳してしまうのですこしつまらないが、その訳文が少し面白い、クレンク人がよく「私の頭の中の文」や「肉体の原子に書き込まれている」という表現をする。

前者は「頭の中で考えている」という意味で、後者は「遺伝子で決まっている」というような意味であるのだが、この訳文は結構うまい、原書ではどう書かれているのか気になる。

村の祭り?(みたいなもの)の様子を見たクレンク人が

「奇妙な習慣だけども感じるものはある、世界全体を愛することはできない、大きすぎるから。でも目の届く範囲の土地ならば何よりも大事だと思うことができる」

と言うセリフがあるのだが、異郷の地で苦しむクレンク人の言葉だけに非常にグッときた。

本書を最初に読んだのは6年前のことであったが、再読しても面白さは失われていなかった。育った環境も違い、姿かたちも違う地球人とクレンク人が少しずつわかりあっていくという典型的な流れながらも非常に胸に迫るものがあった。

初読時も再読時も電車での移動中などにブツぎれで読んでしまったが、次はじっくりと一晩で読みたい重厚なSF小説である。

マカヒキは負けた、そして海外レースの馬券発売はJRAの踏ん張りどころ

競馬

競馬に興味がない人にはどうでもいい話題でしょうが、競馬に興味がある私には今年一番のニュースと言ってもいいのがJRAの「海外レースの馬券発売」です。

なんで私が興奮しているのかは、興味がない人にはほんとうにどうでもいい話でしょうが、あえてお話しさせていただきます。

毎週というかほぼ毎日、日本のどこかで競馬のレースが行われているので、私を含む競馬ファンたちは日本国内のレースの馬券を現地、またはネットで買うことができます。

実際に馬券を買うには20歳以上である必要があったり、ネット購入であれば銀行口座を持っている必要があったりするわけですが、日本国内の競馬のレースであれば基本的には全てのレースが買える状態にあるわけです。

中距離では日本馬はかなり強い

で、ここからが馬券とは少し違う話になるのですが、今から500年くらい前に今と同じような形の競馬がイギリスから始まって世界に徐々に広まってきました。

日本にも明治維新をキッカケにイギリス発祥の競馬が入ってきました、それまで日本にいた馬は日本在来種がほとんどでしたが、海外から体が大きくスピードも速いサラブレッドが入ってきました。

海外から入ってきたサラブレッドに子供を生ませ、日本でもサラブレッドの生産が始まりました。当初は日本の馬は外国(特にヨーロッパ)の馬には太刀打ちできませんでしたが、1990年代中盤頃より段々と海外のG1レースを勝つようになってきました。

で、2016年現在では、おそらく競馬の中長距離路線では日本の競走馬のレベルは世界のトップかトップグループに位置するであろうと、少なくとも日本の競馬ファンは考えています。

実際2014年には、日本の中距離路線のトップホースであるジャスタウェイがワールド・サラブレッド・ランキングで1位を獲得しており、日本馬が大挙して海外のG1レースに挑戦したら半分くらいは勝ってしまうのではないかという勢いであります(私の見解)。

日本の競馬ファンにとっての海外レースの中での一番の権威がフランスで行われている「凱旋門賞」というレースです。現在の競馬のメイン距離芝2000メートルよりも、凱旋門賞は芝2400メートルと400メートル長いですが、とにかく凱旋門賞はあこがれなのです。

凱旋門賞には日本から何度も挑戦しているのですが、エルコンドルパサーもオルフェーブルも、そしてディープインパクトも勝つことができませんでした。

凱旋門賞に日本馬が挑戦するたびに話題になるのが日本からの出走馬があるのになんで馬券が買えないんだ?というものでした。

で、遂に今年、海外の大レースに日本馬が出走する場合にはそのレースに限り馬券が発売されるということが決定されたのです。

で、私は大いに興奮したのですが、マカヒキが大敗して、その後に売り上げ41億達成!というニュースを見て、待てよ、これ大丈夫か?と思ったわけです。

まず、今回のマカヒキの負けた原因はよくわかりません、というか競馬の敗因なんつーのは、競馬ファンがそれぞれ一家言みたいのを持っていて私がどうこう言えるようなものではありません。

私自身はとくにマカヒキを応援していたわけではなく、凱旋門賞の馬券が買えるということに興奮していたので、マカヒキが負けたこと自体には特に感想はありませんが、本当に勝ちにいきたいなら、マカヒキを勝たせるためのペースメーカーを数頭連れて行くとか、今回3着までを独占したエイダン・オブライエン厩舎のように同じ厩舎の馬を数頭連れて行き、チームで勝ちに行くとか、日本のエース級を10頭くらい同時に出走させるとかをすればいいと思います。

まあ、そこまでしてタイトルが欲しいのかと言われればどうなんだろうと考えてしまいますが、今までの日本馬の凱旋門賞への挑戦スタイルはあまりにフェアというか潔すぎるようにも思えます。

で、本題ですが、マカヒキが勝っても負けても、日本競馬にとっては大きな損失になるのではないかと私が思ったという話が重要です。そう、その話がしたかったのです。

マカヒキの世代は史上最強かも?と言われている超ハイレベル世代でマカヒキ以外にも別の年に生まれていたらエースだったはずの馬がゴロゴロいます。

その最強世代のダービー馬であるマカヒキが凱旋門賞に大敗したわけです。マカヒキが強くないということは、国内に残った最強世代の他の馬たちもたいしたことないのでは?という疑いが出始めるはずです。

マカヒキ以外の最強世代は菊花賞に参戦します、ここで勝った馬が暮れの有馬記念で帰ってきたマカヒキと対戦することになるのを望んでいますがどうなることでしょう。

海外挑戦はリスクがいっぱい

マカヒキの凱旋門賞での大敗を見ると、もしかしたら故障したのではないかとも思え、このまま引退の可能性もあります。

結果論になりますが、凱旋門賞挑戦はマカヒキにとって大きなリスクだったかもしれません、私はマカヒキのファンではなくライバル馬のディーマジェスティのファンなのですが、凱旋門賞を勝ったマカヒキをディーマジェスティが有馬記念で破るというのを夢見ていただけに非常に残念です。

今年の有馬記念の楽しみが減った、と私は感じました。

つまり日本馬の海外レースへの挑戦が、日本の競馬界が一番大事にすべき国内のレースへのファンの興味を殺ぐような結果を導いてしまってはダメだと思うのです。

凱旋門賞に挑戦するなとは言いません、遠征費などの金銭上のリスク、致命的な故障のリスクを考えた上でのチャレンジは賞賛すべきものだと思います。

マカヒキがあと2回海外で走ればスプリンターズSと売り上げが同じになる

で、今回の凱旋門賞です。

同日の日本馬が全16頭中16頭出走した国内G1スプリンターズSの売り上げが126億円に対し、日本馬が全16頭中1頭(マカヒキ)だけ出走した凱旋門賞はなんと40億円、1/16の出走頭数で売り上げは1/3、すごい割合です。

マカヒキに海外であと2走してもらえばスプリンターズSの売り上げとほぼ同じです。

創設から数十年国内で頑張って築き上げたG1レースの売り上げが126億円で、日本馬1頭が出走しただけの他人の国の凱旋門賞が40億円です。

自分らで頑張ってレースを開催するより、有名な海外レースだけ発売すりゃあいいじゃんとJRAが思ってしまったら大変です。というかそう考えるJRAの職員も出てくることでしょう。

でも、私ら競馬ファンが見たいのは地元での面白いレースです、面白いレースとは何か、それは強い馬がたくさん出るレースです。

だからG1レースに人が集まるし、有馬記念の売り上げがすごいことになるのです。

で、私の一番の望みは世界一強い馬たちが地元でしのぎを削って欲しいのです、凱旋門賞はおまけです、おまけ。

で、話を戻しますが、今回の凱旋門賞で一番リスクを負っているのは誰かということです。

JRAでしょうか?まあ、それなりにリスクは背負ってるでしょう、でも一番リスクを背負ったのはマカヒキとマカヒキの馬主です。

渡航費を出して、故障のリスクを負っているわけです。わざわざ凱旋門賞で勝たなくても日本であとG1を3勝くらいすれば渡航費もかからず凱旋門賞と同じ額のお金が入ってくるのです。

さらに馬主と馬の次にリスクを負っているのはファンです、われわれは地元で強い馬を見たいのです、仮にマカヒキが故障で引退となれば、もう地元でマカヒキを見ることができません。

マカヒキのファンは地元でマカヒキの馬券を買って応援して、そいでマカヒキが買ってお金も入ってきて欲しいのです。

マカヒキのアンチ(私)はマカヒキじゃない馬の馬券を買って応援して、そいでマカヒキが負けてお金が大きくなって返ってきて欲しいのです。

だから、今回の凱旋門賞の40億円の売り上げはマカヒキ陣営かファンに還元するようにしないといけないと思います。

あ、ホントウは40億円ではなくて40億円の25%にあたる10億円ほどがJRAの利益になります。

テラ銭(寺銭)として売り上げの約25%がJRAに入る

この25%は別名テラ銭、または控除率とも言います。

マカヒキとディーマジェスティの2頭が走るレースがあるとして、そこで3人の人間が馬券を買うとします。

Aさんはマカヒキに100円

Bさんもマカヒキに100円

Cさん(私)はディーマジェスティに100円

という馬券だった場合

馬券の総売り上げは300円になりますが、レースの結果、払い戻し金を払わなくてはいけません。

マカヒキが勝った場合は総額300円をAさんとBさんで分けるのでAさんBさんにそれぞれ150円が支払われます。

ディーマジェスティが勝った場合は300円全部がCさん(私)に支払われます。

ですが、プールされたお金を全部馬券購入者に支払っていたらレースの主催者は何も収入がなくなります、だから手数料を取るのです、それがテラ銭です。

JRAのテラ銭の率はだいたい25%なので、300円の25%である75円が引かれ馬券購入者に支払われる総額は225円になります。

だから、実際にはマカヒキが勝った場合はAさんとBさんには112.5円(一桁以下は切捨てなので実際には110円でオッズは1.1倍)が支払われます。

ディーマジェスティが勝った場合は225円(実際には220円でオッズは2.2倍)がCさん(私)に支払われます。

で、今回の凱旋門賞のJRAの売り上げ約40億円の75%は払い戻しに使われ、その余りの25%の約10億円が手数料としてJRAに入ることになります。JRAの2013年の国庫納入金が2500億円ほどなので10億円はそれと比べると小さい数字ですが、この10億円は誰のものなのかということです。

何か還元してくれ、ぬいぐるみでもいい

10億円で競馬場の施設がよくなったりすれば競馬界全体にとって悪いことではないと思いますが、施設がよくなるといっても、それは凱旋門賞の売り上げ云々ではなく競馬全体の売り上げが上がればそうなるわけで、10億円だけ使って施設を作っても何が作れるでしょうか、東京競馬場にトイレを2個くらい作って終わるのではないでしょうか。

2500億円は国庫納入金なのでちょっと比較するのはどうかと思うのですが、仮にJRAが2500億円の利益を出していたと仮定した場合、10億円は年収500万の人でたとえると、大体2万円ほどです。(利益の中から払った国庫納入金が2500億円なので実際にはもっと利益は出ている)

で、この2万円の年収アップですが給料がアップした2万円ではありません、たとえて言うなら道で拾った2万円です。

いや違いますね、パソコンに詳しくない人にヤフオクに出品してくれと頼まれたけど、めんどくさかったのでそれを友人に丸投げしたら10万円ほどの売り上げとなって、その依頼人からお礼として3万円もらったけど友人には1万円だけ渡して何もせずに2万円もうかった、ああよかった、みたいなものです。

つまり何もしてないのです、拾ったよりも性質が悪いかもしれません。リスクを負ったのは出品を頼んできたパソコンが苦手な人と実際に出品した友人です。

その2万円は空から落っこちてきたと考えなければいけません、だからその2万円で酒飲んで終わり、みたいにしたらいけないのです。

つまりその2万円はパソコンが詳しくない人に返すか、それとも出品した友人にあげるか、または困っている人にあげなくてはならないのです。

つまり、この10億円は体を張って凱旋門賞を取りに行った、つまりリスクを負った馬主か、ファンに目に見える形で還元しなくては納得しないということです。

いいアイディアが浮かびませんが、たとえば有馬記念の払い戻し額には今回の10億円を上乗せするとか

有馬記念にマカヒキが出走した場合、マカヒキの単勝を先着順で割り引き販売するとか

マカヒキ陣営に出走ボーナスをあげるとか

あとは日本における凱旋門賞と言ってもいい海外馬招待レースのジャパンカップの払い戻しに上乗せするとか

10億円を元出に、有馬記念だけで新しい馬券を販売するとか。

つまり目に見える形で海外馬券の売り上げをみんなでシェアしてますよ、って感じを出していかないと、今回から始まった海外馬券発売はリスクを負う馬主とファン、ノーリスクのJRAという風にファンに見られて、悪いことが起きるのではないかと思うのです。

馬が故障して、日本国内でのレースに出られなくなったうえに、売り上げを目に見える形で還元しなかったらファン離れに繋がり日本の競馬の衰退に繋がると私は危惧しています。

ほんとに何でもいいんです、くだらないDVDを作ってファンに配るんでも、ほんとに何でも、マカヒキのぬいぐるみを作って配るのでも、文句は言いません、欲しくないけど。

(※10億円が全部JRAに入るわけではなく、凱旋門賞の主催者であるフランスギャロに何割かが払われるはずです。)

戦争には兵士じゃなくて普通の人が行くのだ 『終わらざる夏』

終わらざる夏

  • 書名:『終わらざる夏』 上・中・下
  • 著者:浅田次郎
  • ISBN:978-4087450781(上)、978-4087450798(中)、978-4087450804(下)
  • 刊行日:2013年6月30日
  • 発行:集英社文庫
  • 価格:各630円(税別)
  • ページ数:354(上)、326(中)、374(下)
  • 形態:文庫

舞台は太平洋戦争末期の日本、1945年8月15日の敗戦まであと少しという時。日本軍は戦争が終わった時の各地での米軍との交渉役として英語が喋れる国民に対して召集令状を出す。

主人公は岩手県出身の招集年齢ギリギリの片岡直哉、彼は東京の洋書関連の出版社に勤めもうすぐ45歳を迎えようとしていたが、占守島の通訳要員として召集されることになる。

彼と共に招集された鬼熊軍曹(何度か召集を受けたが日中戦争で指を負傷し銃が握れなくなったため岩手に帰っていた)、医専を出たばかりの菊池少尉もともに占守島に赴くことになる。

太平洋戦争モノの小説なので、戦地に赴いてからのお話かと思っていたが、本書は参謀本部で各戦地に必要な人員の計算をするところ、そして参謀本部の指令が末端の各地方に行き召集令状が届くところ、そして召集された普通の人が戦場に赴くまでが丁寧に描かれる。

私の父は岩手出身なのだが、岩手出身者が主人公のため、モデルとなった人たちは私の父や祖父の知っている人たちなのではないか?と思いながら読んだ。

父は確か10人(くらいだったはず)兄弟の末っ子で、1948年生まれである。歳の離れた兄や姉がいて、父母を早い時期に亡くし一時は姉の家で暮らしていたとのことである。

父は大学に入るために上京し、それ以来ずっと東京に住んでいた。岩手の実家(お姉さんの家)には私が小さい頃に一度だけ行ったきりで父の家族の話を父から詳しく聞く前に父は死んでしまった。

父の兄弟や父の父(祖父)が徴兵されて戦争に行っていたかも知れず、本書に出てくる人たちと同じような状況で戦争に行っていたかもしれない。

一方私の母方の祖父は徴兵拒否をしたようで、戦争には行っていないそうだ。拒否といっても実際に拒否をできるはずはなく、おそらくニセの診断書などをでっち上げてもらったのだろう。その話を詳しく聞きたかったが私がそのことに興味を持つ前に祖父も亡くなっている。

本書は戦場に赴くまでを丁寧に描くので戦闘の場面はホントウに一瞬で終わる、実際の占守島の戦いも数日で終わったようであり本書の主役は戦闘ではない。

本書で描かれるのは実際に戦争に行った(行く)人間と、戦争に行かなかった(すでに行って戻ってきた人も含む)銃後の人間との差みたいものである。

戦場で死ぬのが一番きついけど、戦地よりは安全なはずの日本国内も結構きつかったのだと。

本書の主人公が赴くことになる千島列島の占守島は昔から住んでいる人間はほとんどいなく、あるのは鮭缶工場くらいのもの。何故、そこに赴く必要があるかというと、地理的に千島列島の端っこにあるのでアラスカが近くアメリカ軍が攻め込んでくるのではないかと日本軍が考え精鋭部隊を配置していたのである。

しかし目立った戦闘があるわけでもなく、さらに日本軍の劣勢が明らかになってくると周辺海域の制海権もおぼつかなくなってきたので、その精鋭部隊を他の戦地に転身させることもできなくなり、ほぼ無傷の日本軍部隊が北の島に残されているという形になっていたのである。

で、この占守島、終戦まで目立った戦闘があったわけでもなく、アメリカ軍も攻め込んでこなかったのになんで小説の題材になるのかというと、敗戦後つまり8月15日の少しあとにソ連軍が攻め込んでくるのである・・・

攻め込んできたソ連側の兵士も悲惨である、日本が負けたのになんで戦争をしなければいけないのか、何故かというとこの占守島で犠牲者を出しソ連と日本との戦後交渉を有利に進めて千島列島をソ連領にしようという目論見が働いていたようなのである。

無駄なことすんなよ、と思うが8月15日の後に実際に戦闘が始まってしまったのだからしょうがない。

私は実際に戦争になったら母方の祖父のようになんとしてでも戦争に行かないという選択をしたいが、実際にはどうなることだろう。

徴兵年齢なのに国内に残っているというのも色々な意味でキツいものがあるはずだ。

ちょと気になったので第2次世界大戦の戦死者数を調べてみたところ、wikipediaに「第二次大戦の犠牲者」というページがあった。

それによると当時の地球の総人口20億に対して、軍民合わせた地球上の総戦死者数が6000万から8500万人、割合にすると3.17%から4%になる。

日本は人口7138万人に対し、軍民合わせた総戦死者数は262万から312万人で、割合にすると3.67%から4.37%である。(日本軍として戦った朝鮮人、台湾人、中国人などが含まれているかは不明、朝鮮人・台湾人は含まれる?)

全国民の20人に1人の割合くらいで戦死しており、私の今勤めている会社のメンバーが20人ほどなのでそのうちの誰か1人が亡くなっているということになる。

ただ、会社には召集されないであろう40歳を超えたメンバーが4分の1くらいなので彼らが死ぬ可能性は低く、30代である私が死ぬ可能性の方が高いことになる。

また、第二次大戦時の日本軍は地域ごとに師団が作られその師団ごとに派遣される戦場が違うので、出身県や出身地域によっては戦死率は4%を大きく超えたところもあるかもしれない。

沖縄県は戦場になったので、戦死者の割合はかなりのものだっただろう。

「沖縄県平和祈念資料館」のページによると当時の沖縄県の59万人の人口に対し12万人ほどの民間人が犠牲となり、割合としては20%にもなる。これは会社を引き合いに出すよりも家族の方がわかりやすい、5人家族だったらそのうち1人が亡くなっているのだ。

つまり実際に地元が戦場になったらそういう結果になるのである。本書の占守島での戦いは前述のとおり地元民がほとんどいない状態で行われたので、死んでいった兵士たちも何のための戦いだかよくわからなかっただろう。

尖閣諸島での問題が取りざたされているが、あそこは住んでいる人がいないのでそんなに騒ぐなよと思う、日中台で仲良く漁業権と地下資源採掘権を分ければいいじゃないか。

本書の唯一の救いは占守島にある鮭缶工場で働いていた数百人の女子工員の多くがほとんど無事に北海道に帰ることができたというところである。よかった。

で、本書を何を感じたかと言うと、面白かった、というのもちょっと違う、まあ浅田次郎の小説なので面白かった、でいいかもしれないが、戦争で死んでいくのは名もない一般市民であり、というかもちろん名のある偉い人も死ぬのだけど、名のある偉い人はそれなりの覚悟と責任でもって戦争に対応しているわけであり、その人が死ぬのはまあしょうがない、でも名もない一般市民は覚悟ができてるわけでもなくというか名もない一般市民の名もない誰にも知られていない個人的内部的内世界があり、その個人的世界を生きている人たちがいやおうなしに戦争の舞台に登場し殺し殺される関係になっていく、という悲劇というものをなんつーか感じたのである。

つまりナニをいいたいかというと、戦争になるとそこらへんを歩いてるアンチャンやおっさんが戦場に行って、殺されたり殺したりをするわけである、大変じゃないか、え。

尖閣諸島の問題で勇ましい発言を繰り返しているアホな政治家やその取り巻きたちの発言を聞いてそうだそうだと言っている人たちよ、その勇ましいアホ発言が戦争を招くのかもしれないよ、そうしたら戦場で死ぬのは発言しているアホではなくあんただよ、ということである。

まあ、いいから、みんな冷静になれよ。