間違えて2回買った 『つげ義春1968』

つげ義春1968

  • 書名:『つげ義春1968』
  • 著者:高野慎三
  • ISBN: 978-4480037589
  • 刊行日:2002年9月10日
  • 価格:700円(税別)
  • 発行:ちくま文庫
  • ページ数:248
  • 形態:文庫

仕事が終わって、その後に人と会う予定があった。それまで時間が空いているので夕飯を食べてから喫茶店で本でも読もうと思って、新宿のジュンク堂で本を探していた。

それまでハシカにかかっていて、病み上がり(と言っても完治していない)の状態だったのでフラフラした頭で文庫コーナーをさ迷った。

ちくま文庫のコーナーで高野慎三の『つげ義春を旅する』と『つげ義春1968』が並んでいた。

無類のつげ義春好きの私としては、その二つの本を持っている可能性が非常に高い。

しかし『つげ義春1968』の表紙には全く見覚えがなかった、奥付を見ると初版の発行が2002年となっている。

2002年と言うと私は大学3年生でちょうどつげ義春に狂っている頃だった。

だからこの本を初版で買っている可能性が非常に高い。

でも、表紙に見覚えが無い、俺はこの本持って無いぞ!という思いが強くなってきた。だから買ってみた。

喫茶店で読み始めると、これはやっぱり読んだ事あるなぁと思い始めた。

家に帰って自分の部屋の本棚のつげ義春コーナーを見ると、見事にこの『つげ義春1968』がドデンと鎮座していた・・・

しかし読んだのは2002年のはずであり、それはかなり前の事である。

内容の細かいところなんて忘れている、だから続けて読むことにした。

本書はつげ義春が漫画雑誌ガロに問題作『ねじ式』を発表した1968年前後のつげ義春とガロ周辺の人々の事を、ガロの編集者だった高野慎三が綴ったモノである。

本書を読んだら、私はつげ義春を読みたくてたまらなくなった。

つげ義春好きじゃなきゃまず買わない本なので、つげ義春にまず興味を持っていたら文庫版のマンガが沢山出ているのでそちらをオススメします。

ナンパな文章で特攻隊の話をまとめた大傑作『KAMIKAZE神風』

零式戦闘機

  • 書名:『KAMIKAZE神風』
  • 著者:石丸元章
  • ISBN: 978-4167137083
  • 刊行日:2004年8月4日
  • 発行:文春文庫
  • ページ数:334
  • 形態:文庫

私のお気に入りの作家・高野秀行が「本の雑誌」誌上でオススメしていたのが今回紹介する『KAMIKAZE神風』。

謎の老人からの依頼をきっかけに石丸元章の元神風特攻隊員に対する取材が始まる。

巨大な助手キム、運転手でゲイのDボブ、成り行きで付いて来たキャバクラ嬢、そして薬で捕まった事のある筆者、キャラクターが立ちすぎな感はあるが、彼らの繰り広げる珍道中と元特攻隊員へのインタビューが渾然一体となって石丸元章ワールドを作り出す。

軽くナンパな文章にクセがあると思う方もいるかもしれないが、読み進めれば別にそんな事は気にならなくなるはず。

最後の章「痛みを抱きしめながら、あの旗を撃て!」の話は出来すぎな気もするが、まあ出来すぎでもそれはそれでいいんだねと思える出色の出来。

新宿に仕事の面接に行った帰り、新宿御苑のウェンディーズ(今はもう無い)でこの本を読み終えた。ちょうど昼前に店に入ったのだが、読み終わる頃には昼ご飯タイムの真っ只中となり店内はほぼ満員だった。

その真っ只中でちょっと涙ぐんでしまったが、まあいいやと思って読み終えた。

生きてて良かった、今が平和で良かったなと思った。

神風特攻隊の本を読むのはこれが初めてだったが、これぐらいの出来の本じゃなけりゃ他のは読みたくないな、なんてかなり勝手な事を思った。

家族の黄金時代 『かえっていく場所』

空

  • 書名:『かえっていく場所』
  • 著者:椎名誠
  • ISBN: 978-4087460315
  • 刊行日:2006年4月
  • 発行:集英社文庫
  • ページ数:299
  • 形態:文庫

人生には楽しくもはかなげな黄金時代というものがある、はずだ。

黄金時代というのはその時には気づかないのだが、あとになって「ああ、あの時は私の黄金時代だったのだな」と気づくものだと私は思う。

私の父は18年前に亡くなり、私が家を出るまでの10年間ほど私は母親と2人暮らしをしていた。その2人暮らし時代に母との間に出てきた話題というものは私が小学生の頃のものが多かった。

私が小学生の頃の家族の姿が、私と母の記憶および思い出に一番強く残っているのだろう。だからその頃の私の家族、それが私と母(と父)の「黄金時代」と呼べるものなのだろう。

父はもうこの世にはいない、母はもはや母と言うより「おばあさん」と言える年齢だ。母の兄弟である私のおじさん、おばさんも母と同様に「おじいさん、おばあさん」になっている。

本書は、椎名誠が家族の黄金時代を懐かしみつつ、再び結びつこうとしている自分の家族の話をするというものである。

家族は再び結びついて新しい黄金時代を迎えることができるのだろうか。

母との2人暮らしを終えて私は結婚をした。母の家から歩いて30分ほどのところで、子供を入れて4人で暮らしている、子供を連れて私が母の家に行くのが楽しみらしく母の笑顔が増えた。

今が我が家の新しい黄金時代なのかもしれない。

自分の失敗を他人に見せる勇気『キミは他人に鼻毛が出てますよと言えるか』

鼻毛

  • 書名:『キミは他人に鼻毛が出てますよと言えるか』
  • 著者:北尾トロ
  • ISBN: 978-4344407992
  • 刊行日:2006年6月
  • 発行:幻冬舎文庫
  • ページ数:307
  • 形態:文庫

少しの勇気とやる気を出せば出来る事をフリーライターの北尾トロが実行した記録がこの本である。

電車の中でマナーの悪い人に注意する、高校時代好きだった人に告白する、他人の鼻から出ている鼻毛を指摘する、競馬で一点勝負をする、電車で知り合った人とその日のうちに飲みに行く、ポエトリーリーディングに参加する、競馬場で席取りをしている人に挑む、などなど。

ちょっと気になるけど、勇気が無くて出来なかった事。

北尾トロは、出来ないままで終わったら後悔だけが人生に残る、と思い果敢にチャレンジしていくのである(と言ってもそこまで大仰なことではないけど)。

私にとって一番難易度が高いのは電車の中でのマナーの注意と電車の中で知り合った人とその日のうちに飲みに行く事であろうか。

電車の中で他人に対して悪感情もしくは好感情を持ち、その他人と交流をしなくてはならないというのが私には難しい。

前者はまあケンカになる確率が高い、後者はナンパみたいなもんである。

まあケンカもナンパも何が恐いかと言えば、失敗(殴られるとかフラレル)を第三者に見られる事であろう(私にとっては)。ええカッコしたいのである、失敗をするような人間であると他人に思われたくないのである。

だから電車の中でマナーの悪い人に注意しているおっさんや、街でナンパしている若者はスゴイなーと思う。

あと、結構難易度が高いのが競馬の一点勝負、これは競馬をずっとやっている人ほど実行ができないことだと思う。

初心者だとそもそも当たるかどうかもわからない、というか自分が当たる状態を想像すらしていないので、100円だけと言って一点勝負をすることになる、で、実際これが一番賢い買い方なのだが、なまじ何度か当たったことのある競馬中毒者はこれができない。

簡単な話なのだが、詳しくなればなるほど出馬表に出てくる馬たちを知るようになり、1枠のこの馬は前走はダメだったけどこの条件ならよさそうだし、2枠の馬はお父さんが好きな馬だし、3枠に乗っている騎手は今日は調子よさそう、4枠は毛ヅヤがいいよね~、5枠は勝ちまくってるから今回もいいとこ行きそう、6枠は俺のラッキーナンバーが6だから・・・

結局買った馬券を見てみると、どれが本命だったのかわからない、さらにどのパターンが来ても馬券を買いすぎたためギリギリプラスになるかならないか、じゃあ最初から一番来そうにない最低人気を100円だけ一点買いでもしといた方が、よかったよ。ハハハ、なんて思ってレースを見るとその最低人気が1着で単勝100円がなんと5,000円になる大穴馬券・・・

で自分の馬券は全部外れ。

なんてことになるのである、さらに当たっていても結局は自分の本命馬を一点買いしていた方が配当も大きい。

たとえば、1着を当てる単勝馬券が下記のような倍率の場合。

本命:3.2倍

対抗:5.6倍

3番手:8.7倍

三頭の馬券をそれぞれ買うと、100円×3で300円となり、配当は320円から870円の間となる。三頭のどれかが来る限り、最低でも320円の配当なので損はしない、でも、300円買って320円ということは20円の儲けであり、だったら買わないほうがましである。

だが、本命の一点買いをした場合、100円が320円になる可能性があり、さらに三頭に賭ける予定だった300円を一挙に投入すれば300円が960円になる可能性があるのである。

当たりやすい買い方での薄利を狙うか、一点で儲けを狙うか、そもそも当たりやすい買い方とは言っても一点買いに比べれ少しだけ当たりやすいだけで絶対当たるわけではない。

だから大体においてというかほぼ絶対一点勝負の方がワリがいいのである。

でもわかっちゃいるのにやめられないのが馬券の買い方であり、まあそれが楽しいのかもしれないが、ホントに一点買いは難しいのである。

はい、泳げませんでした 『はい、泳げません』

プール

  • 書名:『はい、泳げません』
  • 著者:高橋秀実
  • ISBN:978-4104738021
  • 刊行日:2005年6月23日
  • 発行:新潮社文庫
  • ページ数:191
  • 形態:文庫

カナヅチの筆者がスイミングスクールに通い、泳げるようになるまでの記録を綴ったのが本書である。

私も小学生の頃は泳げなかった、あれは全国的なものだったのかわからないのだが私の小学校では何メートル泳げるか、どんな泳法が出来るかで、子供達はクラス分けされていた。

クラス分けというと聞こえはいいが、つまり子供達に階級がついていたのである。下は10級で、上は1級であったはずである。

その階級がすぐにわかるように、我が小学校の子供らは軍隊の階級章のように水泳キャップに印をつけられていた。

確か10級は黄色い線が一本、9級になると二本、そのように一本づつ線が増えていき、5級くらいで線の色が白に変わり一本にまた戻るというような感じだったはずだ。

1級は確か青色の線だった気がする。

しっかり頭の水泳キャップに階級が書かれているので、子供らはみんなプールでは同級生の顔よりも先に頭の上のその「階級章」を見て、「あ、こいつ泳げないんだ」とか「すげーコイツ100m泳げるんだ」とか思うのである。

私は泳げない上にそのような軍隊式階級社会にも耐えられなかったので水泳の時間が大嫌いであった。

結局、私は小学校の授業ではうまく泳げるようにはならず、中学生の時に友人が海でとても楽しそうに泳いでるのを見て、ボクも泳ぎたい!と思って泳いだらすんなり泳げるようになった(まあちょっと不恰好ではありますが)。

高橋秀実はスイミングスクールで「何で泳ぐのだろうか?」という考えてしまったら元も子もない問題を考えながら泳ぐ。

そんな小難しい事を考えているので泳ぎの上達は遅い、しかしついに彼は泳げるようになるのである・・・

最後まで結局泳げなかったら面白いなと思っていたが、ラストで義理の弟(いとこだったかな?)に泳ぎ方を教える場面はなかなかに秀逸。

ただこの作品の面白いところは筆者が通うスイミングスクールの生徒達(特に女性)に言われる辛辣なセリフである、なんだか身につまされるがなかなかにゾクっとするものがあるのだ。

父親にとって娘は 『海ちゃん、おはよう』

父と娘

  • 書名:『海ちゃん、おはよう』
  • 著者:椎名誠
  • ISBN: 978-4022643292
  • 刊行日:2004年5月14日
  • 発行:朝日文庫
  • ページ数:306
  • 形態:文庫

椎名誠の子供と言えば息子の岳君が有名であるが、本書は娘の海ちゃんが主人公の物語である。

実際の娘の名前は海ちゃんではないらしいのだが、椎名誠が娘に一番付けたかった名前が海ちゃんだったのかもしれない。

20代中盤に結婚し、しばらくして娘が出来た椎名誠夫婦。その当時の自伝的実話的小説が本書である。

娘の誕生にアタフタし、娘の笑顔に幸せを感じる若いお父さんの温かい文章。

主人公(椎名誠)が初めて海ちゃんに出会う時、「小さな赤いニンゲン」という言い方をするのだが、その表現がなんだか初めて出会う赤ちゃんというものに対する適切で温かい表現だなと思った。

話の時代背景としては椎名誠がデパート業界雑誌に勤務している頃であり、椎名誠の代表作である『哀愁の町に霧が降るのだ』から続く自伝的小説シリーズのアナザーストーリー的な部分もこの本にはある。

我が家の2番目の子は女の子だった、最初に生まれたのは男の子だったのでというか私の一方的な思い込みなのかもしれないが、私が男であるので息子は自分の分身のような感じがするのだが、女の子はそんな感じがしなかった。

どう接すればいいの?女の子っつーのは父親にとってどんな存在なのか、どうなんだ?と思ったのだが時々私がよくする困った表情にそっくりな顔をしたりして、女の子も男の子も一緒だなと思ったのだが、やっぱり女の子は謎だなと思ったりもする今日この頃なのだ。

鉄塔文学の大傑作が生まれる予感 『鉄塔 武蔵野線』

鉄塔

  • 書名:『鉄塔 武蔵野線』
  • 著者:銀林みのる
  • ISBN: 978-4797342642
  • 刊行日:2007年9月21日
  • 発行:ソフトバンク文庫
  • ページ数:496
  • 形態:文庫

「鉄塔武蔵野線」に初めて出会ったのは15年ほど前の夏休み(学生時代)の事だったと思う。

予定の無い日だったので、朝遅く起きてテレビをつけた、特に観たい番組があったわけではなかったし面白い番組があったわけではなかったのでNHKの衛星放送にチャンネルを回すと映画「鉄塔武蔵野線」(監督:長尾直樹、1997年)が放送されていた。

鉄塔に興味を持つ少年が、近所の鉄塔がどこまで続いているのか?という疑問を持ち鉄塔を辿って行くという至極シンプルな作品であった。

「少年の夏休み」が凝縮されたような映像が続き、私は息苦しくなりしばらく観てからテレビを消した。

別に「少年の夏休み」が不快だったわけではなく、うらやましかったのだ。

当時の私は鉄塔に興味を持ちただひたすらに鉄塔を辿って行くような気力と情熱が無かった、少年のその情熱というものがうらやましく眩しかった。

さらにこっちは今日の予定が無い、夏休みの午前中なのに。この映画好きだけど、なんだかこれ以上観ていたら居たたまれなくなり切なくなるなと思って消したのだ。

今度観よう、と思った。

そしてそれから数年後、レンタルビデオ屋で私は「鉄塔武蔵野線」のビデオを借りたのだ。

しかし、その時ビデオで観た映画「鉄塔武蔵野線」の感想は「なんだか鉄塔が映っているだけだな~」というものだった。

もう少し面白いと思ったのだけどな~、やはり観る時期が重要だったりするのかな?と考えた。

こちらとしては衛星放送でチラリと観た時の感動のようなものが残っているので、それでもまだ「鉄塔武蔵野線」への興味が消えたわけではなかった。

原作があるのも知っていたのでいつか読もうと思っていた。

そして『鉄塔武蔵野線』の文庫本が出版されたのである。

結構前に新潮文庫から文庫化されたのだが、それからかなりの変更を経て復刊されたのである。ソフトバンク文庫から復刊である、ソフトバンク文庫って・・・なんじゃそりゃ。

少年が鉄塔を一つ一つ辿り、その鉄塔の写真がページ毎に掲載されているというような形態の本である。

文章を読んでも、写真があるのでそっちに目がいってしまいちょっと集中がしにくい読書となってしまった、文章もあまりうまいとは私は思えず、どうにも「うーん」であった。

筆者の銀林みのるをネットで調べるとこの作品以来作品を発表していないようだ(未単行本化の物語が一本あるようだが)。

今何をしているのかはよくわからないのだが、ヒマなはずである(たぶん)。

鉄塔という題材自体は面白いと思うし、鉄塔の美しさと魅力はこの本から伝わってくる。

だから、もし銀林みのるさん、仕事がないならこの『鉄塔武蔵野線』から派生した続編だったり外伝だったりを作ったりして、色々な鉄塔作品を生み出してみたらいかがでしょうか。

多分、その沢山の作品の中からホントウの鉄塔文学の大傑作が生まれると思いますよ、なんつって。

Nexus 5Xが欲しいけど11「欲しい端末が出てきた?けど」

zte_axon_mini

私が契約しているY!mobileの契約更新月は2016年の1月、年が明けたらすぐにDMM mobileで新しいSIMの契約をしようと思っている。

で、そんな時に魅力的な端末の情報が飛び込んできた、Nexus 5XよりもCPUやメモリーなどのスペック的には上の端末である。

それはZTEのAxon mini。スペックは下記の通り。

ZTE Axon mini

CPU: Qualcomm Snapdragon 615(MSM8939) 1.5GHz オクタコア

RAM:3GB

ROM:32GB

外部メモリ:対応

OS:Android5.1

ディスプレイ:5.2インチ 1920x1080

サイズ:70x143.5x7.9mm

価格:3,9800円 Nexus 5X

CPU: Qualcomm Snapdragon 808(MSM8992) 1.8GHz+1.4GHz ヘキサコア

RAM:2GB

ROM:16GB(32GBモデルもあり)

外部メモリ:非対応

OS:Android6.0

ディスプレイ:5.2インチ 1920x1080

サイズ:73x147.5x7.9mm

価格:75,168円(16GBモデルY!mobileでの新規)

Nexus 5Xと比べると、その差は歴然、スペック上の数字だけでは断然ZTEはよさそうである。気になるのがちょっとアレなデザインと、Androidが6.0じゃないところ。

で、一番グッときたのはそのサイズ、Nexus 5にサイズが近い、69x143x8.6mmなのでほぼ同じサイズ。Nexus 5Xだと一回り大きい感じになるのだが、こちらなら違和感なく操作できそう。

価格がほぼ半分である。悩むまでもなくZTEを買いたいところではある、Y!mobileがこの端末を発売するというのなら少し考えるかもしれない。

とは言えAndroid6.0じゃないのがなぁ、やっぱNexusシリーズを使ってしまうと最新のAndroidじゃないと我慢ができなくてなってしまうのだ、だからNexusシリーズが欲しくなるんだよな・・・

あ、自分でインストールするという方法もあるのか、最新のAndroidが入っているのであれば端末はある程度の性能であればもうどれでもいい。

だったら、Nexus 5XやZTEのどちらがいいかなんて考えている必要はないのか、よし、その方向で考えてみる!

連載終了 「NEXUS 5Xが欲しいけど」バックナンバー

  1. 「理想と現実」
  2. 「Nexus 5のままでいいのか?」
  3. 「Nexus 5、Nexus 6、Nexus 5X、Nexus 6Pのスペック比較してみた」
  4. 「Android6.0は何が変わった?フォントだよ!」
  5. 「Y!mobileでの月額料金が決定・・・」
  6. 「買わないことにした」
  7. 「買わないことにしたけど、欲しくなる」
  8. 「(Nexus 5Xが買えない)Nexus 5ユーザーに送るNexus 5Xとのスペック比較」
  9. 「さよならY!mobile」
  10. 「やっぱりさよならY!mobile」
  11. 「欲しい端末が出てきた?けど」
  12. 「ついにMNP予約番号をって、取れないじゃん・・・」
  13. 「MNP予約番号を取得!そして格安SIMに申し込んだ」
  14. 「格安SIMに乗り換え完了、Nexus 5をしばらく使う予定」
  15. 「Nexus 5の後継機はAcer Liquid Z530に」(番外編)

中国人一人語り口調の天才『問題温泉』

問題温泉

  • 書名:『問題温泉』
  • 著者:椎名誠
  • ISBN: 978-4167334192
  • 刊行日:2002年12月10日
  • 価格:476円(税別)
  • 発行:文春文庫
  • ページ数:305
  • 形態:文庫

本書は「SF作家」椎名誠のSF短編集である。椎名誠はエッセイが得意という印象が強いと思うがSFも非常にうまい。

『武装島田倉庫』、『水域』、『アド・バード』などの世界戦争後の荒廃した世界を描いた世紀末SFモノ、そして本書の中に入っているようなちょっと怖ろしい短編モノなど、結構な数のSFを書いている。

そして、椎名誠のSF短編モノの中でも一番面白いと私が思っているのは「管水母」(くだくらげ、『みるなの木』収録)という中国人が喋る日本語による一人語りのふざけたお話なのだが、異常に面白い、気になる方は読んでみて。

で、その「管水母」にかなり似通った感じのお話が「鳥人口伝」という名前で本書に入っていてかなりよくできている。

中国人が喋る一人語り小説(あくまで日本人からの中国人が日本語を喋ったらこうなるというようなステレオタイプなイメージだけど)選手権みたいなのがあったら(そんな選手権ないだろうけど)、椎名誠の中国人一人語りSFは確実に上位に来るであろう。

物語の面白さというのはアイディアやストーリー展開、伏線の張り方みたいなのが重要みたいに思われがちだけども、もっと重要なのは出てくる人間つーか登場人物が何をどう喋るかっつーことなんだよ、と私は常々思っているのだがそのことを椎名誠の中国人一人語りSFは再確認させてくれる。

そういえば中国人が「アイヤー」と驚く、というのを昔から日本のドラマやマンガなどで見ていたが、以前吉祥寺のラーメン屋で働く中国人のおばさんが「アイヤー」と驚いていたのを見て私は感動した。

テレビと一緒だと思ったのだ。

異色の東京モノは暫定だけど高野秀行の最高傑作『異国トーキョー漂流記』

東京街並み

  • 書名:『異国トーキョー漂流記』
  • 著者:高野秀行
  • ISBN: 978-4087477924
  • 刊行日:2005年2月
  • 発行:集英社文庫
  • ページ数:259
  • 形態:文庫

以前に私は高野秀行の『ワセダ三畳青春記』について下記のように書いた。

実は高野秀行の作品は辺境冒険モノよりも、街で暮らしている日常モノの方が外れがない、筆者の得意の冒険モノでないのに出版されているという事実がそれを物語っている。

本作は私の読んだ高野秀行の著作の中で「暫定」だが、最高傑作。

外国人と一緒に東京の街を歩くと、そこは「東京」ではなく異国の街「トーキョー」になる。

そう感じた高野秀行が東京で出会った外国人達との話を集めたのが本作である。

アマゾン、中国、ミャンマーのワ州、タイ、コンゴ、世界の辺境(と言ったら住んでる人に怒られるか)と言われる地域での高野秀行の面白話を今まで読んできたが、今回彼が旅するのは「トーキョー」である。

初めて東京に来た外国人から見た「トーキョー」の街は異国である、って当たり前だ。誰でも自分の生まれ育った国でないところは異国である。

出てくる外国人達の顔ぶれは、熊みたいなイラク人、暗黒舞踏のフランス人、孤独な日系ペルー人、小説家のコンゴ人、盲目のスーダン人、ドラえもんみたいな中国人などなど。

本作の出色はラストに盲目のスーダン人(モハメド・オマル・アブディン)と一緒にトーキョードームに巨人戦を観に行くくだりである。

私は野球が特に好きではなく、さらに父と一緒に野球観戦をした事も無い。

父と野球をしたので記憶に残っているのはキャッチボールを1回したことくらいか。

父にキャッチボールをしようと言われて近所の公園に行き、私は当時あまり運動神経のよい少年ではなかったので(今もだけど)、父からのボールが顔面に当たって痛かったという記憶がある。

父は息子と「キャッチボール」ができて満足だったかもしれないが私は痛かった。

しかしこのシーンを読むと世の父子達がキャッチボールをしたりそろって野球観戦に行く理由がちょっとわかる気がする。

私はこの章を読んでちょっと泣きそうになった、つーか少し涙が出た、いや結構出た。

このスーダン人の青年、モハメド・オマル・アブディンは『我が妄想』という本を出していて、本が出る前に私もWebでの 連載 (リンクが死んでいる)を少し読んでいたが、かなり面白かった。

本書とともにオススメです。