三羽省吾の得意な展開『路地裏ビルヂング』

路地裏ビルヂング

  • 書名:『路地裏ビルヂング』
  • 著者:三羽省吾(みつばしょうご)
  • ISBN: 978-4167719036
  • 刊行日:2013年1月10日
  • 価格:695円(税別)
  • 発行:文春文庫
  • ページ数:407
  • 形態:文庫

デビュー作『太陽がイッパイいっぱい』で三羽省吾のファンとなり、それ以降新作が出るたびに読んでいる。

著者の三羽という苗字だが、私は最初は「みはね」と読んでいた、でも正しくは「みつば」のようである、ずっと頭の中では「みはね」と読んでいたので違和感があるが「さんば」でもないし「みつば」なんである。

本作は「辻堂ビルヂング」というおんぼろビルに入居している、店子たちのそれぞれが主人公となったいわゆるオムニバスものである。

主人公となるのは怪しげな健康食品会社の新入社員、保育園の見習いおばさん保育士、学習塾のアルバイト講師、不動産会社分室の電話オペレーター、中小デザイン事務所の体育会系営業、そしてビルの管理人の6人全6話である。

最初の話に出てくるビルの屋上庭園で水撒きをしている謎の美人も話が進むにつれ正体が徐々に明らかになっていく。

三羽省吾の小説に出てくる主人公たちは、痛かったり、文句ばかり言っていたり、人生の失敗を人のせいにしていたり、と人生を半分諦めかけたような人たちであるのだが、その情けない主人公が何か(仕事とか)を通して「人生は甘くない、でも地道に頑張っている人には幸せになる権利がある」という真実というか事実というか、そういう事実というかなんつーか人生の真理というか、なんつーかに気づく、だいたいそういう話である。

ストレートな話であり、ひねりもあるわけではないのだが、その情けない主人公が「少しだけ」目覚める、そういう描写が非常にうまいのだ、三羽省吾は。

本作はその三羽省吾の「うまさ」がしっかりと出た作品であり、非常にオススメである。

ただ表紙の絵はどうにかならないのか、紙飛行機を持っている女性が「謎の屋上美人」であるはずなのだが、これじゃ小学生の女の子だよ、30代の素敵な女性のイメージだったのに、この本読まずに絵を描いたでしょ、ねえ。

これ読んだことあるって思って、自宅の本棚を見たら同じのがあった 『麦酒主義の構造とその応用胃学』

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  • 書名:『麦酒主義の構造とその応用胃学』
  • 著者:椎名誠
  • ISBN: 978-4087472493
  • 刊行日:2000年10月
  • 発行:集英社文庫
  • ページ数:234
  • 形態:文庫

数年前というか十年くらい前のことだ、バイトが終わって駅まで歩いている時、帰りの電車の中で読もうとしている本がもう少しで読み終わることに気づいた。

電車に乗っている途中に読む本が無くなると寂しいので、電車に乗る前に駅の本屋で何か買う事にした。

当時は蔵前にあるゲーム問屋で働いて、総武線の浅草橋駅から蔵前まで15分ほどをいつも歩いていた。

入ったのは浅草橋駅の隣にある品揃えはよくないものの、バイトの女の子が「アタシ本大好きです!ホンに埋もれて暮らしたいわ!」という感じのワリと硬派な老舗(おそらく)本屋であった。(今はないかも)

当時の私は椎名誠ばかり読んでいたので、文庫コーナーで椎名誠の本を探した。

書棚にはそこらへんの本屋と同じく、岳物語、哀愁の町に霧が降るのだ、銀座のカラス、さらば国分寺書店のオババ・・・などなど椎名誠の代表作が並んでいたが、そこらへんの作品はもう読んでしまっているので、私は読んでいない椎名誠の本でさらに読みたい気分のモノを探した。

その中で目にとまったのが『麦酒主義の構造とその応用胃学』であった。

帰りの電車の中で買った本を読み始めたのだが、冒頭の刺身の話から、どうも前にこの本を私は読んだことがあるな、いや、読んでないか、いややっぱり読んだことあるよ・・・という気分になってきた。

ただ、椎名誠の本は結構読んでいるので違う本で似たような話をしていたのだろうと思って読み進めた。

しかし家に着いて、私の本棚の椎名誠コーナーを見ると、なんと『麦酒主義の構造とその応用胃学』がドカンと鎮座していたのであった・・・

今まで読んだ本を全て記憶しているか、または記録していればいいのだが、それはめんどくさい。

読んだ本は捨てたり売ったりせずに家の本棚にズラーっと並べておいて毎日出かける前にチェックでもしておけばそういうこともないのだろうが、それは金銭的に許されない。

いや、読む本を年に一冊だけとかにすれば私の残りの人生で読む本というか買う本は100冊にも満たないのであろうから、何も考えずに本を買って、あれ持ってたとか、あれ読んだことあるとか、そういうことも起きず無駄遣いもせずにああ幸せって、それも無理だ。

既読の本をまた買っちゃうのを防ぐ方法なんかないだろうか。

アラビアのダンジョン小説 『アラビアの夜の種族』

ダンジョン

  • 書名:『アラビアの夜の種族(1)~(3)』
  • 著者:古川日出男
  • ISBN: 978-4043636037(1巻)、978-4043636044(2巻)、978-4043636051(3巻)
  • 刊行日:2006年7月
  • 発行:角川文庫
  • ページ数:277(1巻)、364(2巻)、407(3巻)
  • 形態:文庫

アラビアの夜の種族とはなんとも妖しい名前。”Arabian Night Breed”という著者不明の書物をサウジアラビアで見つけた古川日出男が日本で初めて訳した!という触れ書きの本書。

ナポレオンがエジプトに侵攻する直前のカイロ、エジプトの実力者のイスマイール・ベイ配下のアイユーブは持つものを破滅させる「災いの書」を作るために女物語師のズームルッドのもとを訪れる。

ズームルッドは境遇の異なる3人が阿房宮と言われる深い深い迷宮で邂逅する物語を語り始めるのだった・・・

阿房宮という迷宮の描写はドラゴンクエストかウィザードリィなどのゲームのようで、それなりのゲーム少年だった私は懐かしい感覚を覚えた。

文庫版は三分冊の結構な量であり、合計すると1000ページ近い量になると思われる。

この分量で文章は描写と演出の多い仰々しいものであるので読むのにはかなりの時間がかかる。

だがしかし、ただただ長ったらしいというわけではなく、長いけども面白い物語を話し聞かせてもらっているような気になれるのだ。

気軽に読める本が好きという方にはちょっとオススメ出来ないが、ヒマでヒマでしょうがないという方は是非手に取っていただきたい。

期待外れのカキオロシ 『GO-ONE』

地方競馬 ダート

  • 書名:『GO-ONE』
  • 著者:松樹剛史
  • ISBN: 978-4087461237
  • 刊行日:2007年1月
  • 発行:集英社文庫
  • ページ数:243
  • 形態:文庫

前作『ジョッキー』で、日本競馬で活躍する騎手達の人間臭くリアルな日常を描いた松樹剛史の競馬小説第2作目(なんと書き下ろし)が今回紹介する文庫。

地方競馬、中央競馬で活躍する若手の3人の騎手を軸に話は進んでいく。

前作でも感じた事であるが、キャラクターの造形がいわゆる日本のアニメに出てくる定型的なキャラクターのようで私はどうにもなじめなかった。

私は競馬が大好きで、世の中には競馬に関する小説が少ないなと思っていた。

だから、日本競馬の騎手を描く松樹剛史の登場は私にとってとてもうれしいものだった。

松樹剛史のデビュー作である『ジョッキー』は、荒削りで表現力不足な面も感じたのだが、これを書きたい!という圧倒的なパワーが感じられ数時間で読みきった記憶がある。

それだけに今回の小説に対する期待は高かったのだが、第2作目は失敗とまではいかないが成功とも言えない作品に仕上がったと思う。

だから私は松樹剛史の競馬小説第3作目に期待することにする、つーか前作『ジョッキー』の続編を書いて欲しいな。

欲望の器が小さくなる『アヘン王国潜入記』

疑惑の片栗粉。本書とはあまり関係ない

  • 書名:『アヘン王国潜入記』
  • 著者:高野秀行
  • ISBN: 978-4087461381
  • 刊行日:2007年3月
  • 発行:集英社文庫
  • ページ数:387
  • 形態:文庫

私が高野秀行の著作を初めて読んだのが本書。確か新刊書店でジャケ買いをしたように記憶している。

ビルマ(ミャンマー)の山岳地帯に住んでいる少数民族のワ族によってアヘンの栽培が行われていると知った著者がケシの栽培で生計を立てる村に単身乗り込み、ワ族とともにアヘンを作りアヘン中毒になってしまうお話である。(ワ族はビルマ北部のシャン州の州内州であるワ州に住んでいる)

軍事政権のビルマ(ミャンマー)には反政府勢力が多数存在し、その一つがワ州(ミャンマーの中国寄りの地帯で中国政府の影響が強いワ州連合軍の支配化にある)の反政府勢力である。

ワ州は麻薬の密造で名高い(悪名高い?)ゴールデントライアングルの一角を成していて、気候がアヘンを作るためのケシの栽培に適し、ケシをすぐに現金にすることができるので住民の多くはケシの栽培に従事している。

反政府にアヘンと聞くと重々しい犯罪のニオイがしてくるし、さらに軍事政権となるとビルマ(ミャンマー)の民主化だとかいう小難しい話が出てくるのではないかと思うが、そこまで小難しい理屈は出てこないので安心して読めるだろう。

またアヘンを吸う描写(というかアヘン中毒になってしまう)も見られ興味深い、とくに私はアヘンを吸ってみたいと強く思うわけではないがアヘンを吸うと「欲望の器が小さくなる」という説明にフーンと納得するのであった。

私は16歳くらいから20歳くらいまでの間の数年間、何か変な感情というかなんだかわからないが、いきなりトリップ(トリップと呼ぶのか、なんつーかいきなり脳の中に何かがうわーっと放出されるような感じ、でもなんか違う、なんて説明すればいいんだ)をするようなことがあった。

薬はやっていなかったし、何が原因なのかいまだにわからないのだが、たとえば歩いていたりゲームをしていたりするといきなりグワーっと何か得体の知れないというかなんというか何かが頭に上ってきて、それでトリップと言うか、自分が世の中で一番悲しい存在である、みたいな感覚に襲われて、それでその時の悩みがぱあっと消えるのだ、なんだかわからないが、とにかくそういう状態に30秒くらいおちいり、それで徐々にその感覚は引いていくのだ。

その時の感覚みたいなものをどう言葉にしていいのかわからず、当時は「バッドトリップ」と自分では呼んでいた。

で、このアヘン王国潜入記を読んだところ、アヘンをやると欲望の器が小さくなるという記述があり、私のあの「バッドトリップ」と似ているなと思ったのだ。

あの私の「バッドトリップ」はアヘンだったのか、アヘンと同じような脳内物質が大量に分泌されていたのだろうか、一体あれはなんだったんだ。

ホントウにミャンマーは江戸時代なのか? 『ミャンマーの柳生一族』

ミャンマー ヤンゴン,シェダゴンパゴダ

  • 書名:『ミャンマーの柳生一族』
  • 著者:高野秀行
  • ISBN: 978-4087460230
  • 刊行日:2006年3月17日
  • 発行:集英社文庫
  • ページ数:238
  • 形態:文庫

黄金の三角地帯(ゴールデン・トライアングル)の一角であるミャンマーのワ州に潜入しアヘンを栽培した高野秀行が、今度は作家船戸与一の取材旅行のガイドとして再びミャンマーへ・・・

今回は非合法な潜入でなくて、しっかりビザを取っての潜入・・・いや入国なのでミャンマー軍の情報機関のようなところが彼らのガイドおよび通訳および警護を担当する事になる。

そしてミャンマー軍情報機関の面々と船戸与一、そして高野秀行の面白旅が始まるのである。

本書の「柳生一族」というのはミャンマーという国を説明するために現在のミャンマーは鎖国中の江戸時代の日本である!と高野秀行が断定し、軍の情報部はあの「柳生一族」になぞらえる事が可能ではないのか?という冗談のような「ミャンマー軍情報部=柳生一族」説なのである。

海外に行った時、いや地方に行った時でもいいが、この街は日本で言うと東京だなとか、東京で言えば渋谷だな、などと訪ねた場所を自分の知っている地元で言えばどこか?というたとえをよく耳にするが、これも似たようなものである。

ニューヨークは日本で言えば東京だ!という断定などは、ある面では合っているだろうし、別のある面では大いに間違っているかもしれない。

ただ、ニューヨークを日本で言えば東京!と置き換える事により、ニューヨークのアメリカでの位置というものがおぼろげにつかめる気がする。

たとえというのは間違っている可能性も含みつつ、ただそのモノを頭の中で把握するためにちょっとだけ役に立つのハズなのである。

本書もミャンマー=江戸時代というやや強引な断定をしているが、そこからミャンマーも日本も対して変わらないのねという共有感覚が生まれ、でも江戸時代って事は結構色々ちがうのねという差異の感覚も生まれるのである。

まあなんだか小難しい小理屈を述べてしまったが、ミャンマー=江戸!という強引な仮説の強引っぷりが気持ちよかった本であった。

本書の柳生一族の関係者?と言ったら怒られるのかもしれないが、アウンサン将軍の娘スーチーの政党が最近ミャンマーの第一党となった、彼女の動向は日本ではかなり好意的に報道されているが、実際のところどういう人物なのだろうか、そして柳生一族はどうなるのだろうか。

先が気になるだけの、いま、会いにゆく息子タイムトラベル『時生』

トンネル 先が気になる、なんつって

  • 書名:『時生』
  • 著者:東野圭吾
  • ISBN: 978-4062751667
  • 刊行日:2005年8月12日
  • 発行:講談社文庫
  • ページ数:544
  • 形態:文庫

難病にかかった自分の息子がタイムトラベルをして、若い頃の父親(息子が生まれる前の父親)に会い、そして父親が成長するというお話。

父親と息子が同じくらいの年齢で出会うというのは重松清の『流星ワゴン』のようで、死んでしまう人間が過去にさかのぼるというのは『いま、会いにゆきます』のようでもある。

父親が出てくるお話に弱い私はちょっとだけ感動を期待して読み始めた。

確かに先の気になる展開であった(結末はわかっていたが・・・)、寝る前に読み始めたら読み終わるタイミングを逃してしまい夜更けまで読んでしまった。

タイムトラベルをして若い父親と一緒に当時の父親の恋人を助けに行くというストーリーはなかなかに面白い設定だと思う。

だが、この小説、何かが足りない。

ストーリーがどう展開するかが気になるだけで、登場人物が魅力的であったり、細かい小道具が面白かったりはしないのだ。

さらに携帯電話が普及するという事を未来の息子から知らされてそれを人に喋ったのがきっかけで就職が決まる、というギャグのような展開が一番気になった、なんだそれ。

別にうまく書いてくださいとは言わないのだけれども、もう少し地味に丁寧に色々考えて個々の登場人物のキャラクターを魅力的に書いて欲しかったな、なんてかなり勝手な事を思っている読後なのである。

あ、でも「先が気になる」という事だけに関しては結構いい線いっていましたよ。先が気になるというとこだけは。

小説なのかノンフィクションなのか 『ヨーロッパに消えたサムライたち』

サムライではなく武将か

  • 書名:『ヨーロッパに消えたサムライたち』
  • 著者:太田尚樹
  • ISBN: 978-4480422958
  • 刊行日:2007年1月
  • 発行:ちくま文庫
  • ページ数:327
  • 形態:文庫

戦国~江戸期の大名であった伊達政宗がスペインとローマに使節団を送った、その使節の1人である「支倉常長(はせくらつねなが)」がこの本の主人公である。

本書には支倉常長がヨーロッパに行き、帰ってくるまでの10年弱の間の出来事が綴られている。

鎖国とキリスト教禁止が目前に迫っていた江戸時代初期、欧州に渡った日本人が果たした異文化との接触はおおいに興味深い。

その後の日本の鎖国のためか、支倉使節の旅の詳細がしっかり伝わっていないのが悔やまれるところではあるのだが記録と想像を使って描かれる旅の描写はそれなりに面白い。

記録に残されていないところは想像と推測で補うしかないのであるが、この本においては想像の領域が結構多く好みの別れるところかもしれない。

いっそのこと小説仕立てにしてしまった方がよかったのではなかろうかと思ってしまう。

タイトルの「ヨーロッパに消えた~」というのは、日本に帰った支倉常長とは別にスペインの地に残った使節団の一員の事を示す。

彼らの実態は明らかではないのではあるが、著者は彼らがセビージャ近くに集団で住みはじめたのではないかという推測を立てている。

このセビージャの周辺にはJapon(ハポン)の姓を持つ人がいるようなのである、ハポンとは言うまでもなく日本の事である。

“Jesus Sanchez Japon(ヘスス・サンチェス・ハポン)”というサッカー選手がスペインのプロサッカーリーグにいたのだが、彼も日本人の血を引いているのかもしれない。

日本人の血が流れている一族がスペインにいるという仮説は日本人である私にとってナショナリズムをくすぐられるような事態でもあるのだが、単純に鎖国という封建的なイメージの強い江戸時代にヨーロッパで暮らす事になった日本出身の人達がいるという事実自体が面白いと思う。

ちくま文庫の「学術系」モノに対して、大学の教授のような人が書いている本はワリとお堅くて内容がかなりパッとしない、というイメージを持っていたのだがこの本は有意義な読書時間を提供してくれた。

でも、ノンフィクションなのか小説なのか、というところを脱していないのでどうにもオススメしずらい今日この頃なのであります。

ジュニアにだまされ、間違えて買った 『プレイヤー・ピアノ』

ピアノの鍵盤

  • 書名:『プレイヤー・ピアノ』
  • 著者:カート・ヴォネガット・ジュニア
  • ISBN: 978-4150115012
  • 刊行日:2005年1月
  • 発行:ハヤカワ文庫SF
  • ページ数:603
  • 形態:文庫

社会のシステムが高度に機械化され、人間の労働は機械に取って代わられ、職を失った人々(下層民)と機械の整備をする人々(エリート)が生まれてきたという設定のSFである。

主人公は機械を整備するエリート、だが彼は高度にシステム化された制度(機械が人間を奴隷のように扱う事、仕事の無い下層民と機械の管理者達との二分化された格差社会)に疑問を持ち始める。

彼はある事件をきっかけに機械の支配を打ち破る目的を持った革命組織に入るのだが、そこで見たものも結局現体制とあまり変わらない組織管理制度だった・・・

支配制度も革命組織も、やってることは結局同じなんではないか?

革命が起きてもまた同じような体制が出来上がって、人々が同じように苦しむのではないか?

という暗いあきらめみたいなものがジョージ・オーウェルの書いた『1984年』と『動物農場』によく似た作品であった。

翻訳がいただけないなという部分もあるのだが、非常に退屈なお話であった。読んでいて切迫感というものを全く感じなかった。

カート・ヴォネガット・ジュニアという名前を本屋で見つけて、「前に読んてよくわからなかったけど、もしかしたらスゴイ面白い作品だったのではないか?」と感じた『故郷から10000光年』という作品の作者だと思い、『プレイヤー・ピアノ』を買ってみた。

だが、今日本屋でSFコーナーを見ていたら『故郷から10000光年』はジェイムズ・ティプトリー・ジュニアの作品であった。

カート・ヴォネガット・ジュニアとジェイムズ・ティプトリー・ジュニア、名前が長いのと後ろにジュニアがつくのが似ていたので私は勘違いをしていたのである。

さらにカート・ヴォネガット・ジュニアは前に読んで、こりゃだめだと思った『タイタンの妖女』の作者だったのであった・・・

ジュニアちがいの上に、前に読んでもう読むまいと思っていた作家の本を買って読んでしまったとは・・・随分マヌケな話であった。

楽しい海浜生活 『ぱいかじ南海作戦』

ぱいかじ南海作戦

  • 書名:『ぱいかじ南海作戦』
  • 著者:椎名誠
  • ISBN: 978-4101448299
  • 刊行日:2006年12月1日
  • 価格:476円(税別)
  • 発行:新潮文庫
  • ページ数:317
  • 形態:文庫

離婚と失業を同時にした男が、フラリと沖縄に赴きそこで「海浜生活」(俗に言っちゃうとホームレス)を送る一団と出会い沖縄の砂浜でサバイバル生活を繰り広げるというストーリー。

ぱいかじとは沖縄地方の方言で南風の意味らしい。

初めて椎名誠の作品と出合ったのは、10数年前の大学時代。

「うーん、なんていうかなあ、うーん、とにかくいいんだなあ、まあとにかくそうゆうことだからオマエも読めよ読め読め、読めったら読め、な読め読め・・・うんうん」

と大学の友人から椎名誠の哀愁の街に霧が降るのだ』を薦められた。

その友人はメガネをギラギラさせた青年で、そう言うとぬるい缶ビールを飲み干したのである。(ホントウは学食だったはずなので、友人はたしかタダのお茶を飲んでいた)

あれはおそらく彼の住んでいた四畳半のアパートで、友人3人くらいで酒を飲んでいたときのことであったろうか。(ホントウは学食だった)

その時のその友人の言葉はあまり信じていなかったのだが、そこまで言うのならと読んでみて一気にめくるめく椎名ワールドに魅了され、それ以来椎名誠の作品を読み漁った。

私小説、SF、冒険、エッセイなどなどジャンルを飛び越えて書かれる彼の作品の特徴は、なんと言ってもネーミングセンスではなかろうか。

「名付け」とは「世界」を作る事だとどこかで聞いたりしたことがあるのだが、椎名誠の魔術的な名付けから魅惑的で怪しげな椎名誠の世界が作られていくのである。

ここではあえて例はあげない、読んでみてからわかってほしいのである。

ブックオフでも街の古本屋でも、お店に入ればそこの文庫コーナーには確実に椎名誠の本がある。

文庫でさらに古本なので値段もお手ごろ(100円前後)、スターバックスに入るより安いですよ、お姉さん。