ホントウにミャンマーは江戸時代なのか? 『ミャンマーの柳生一族』

ミャンマー ヤンゴン,シェダゴンパゴダ

  • 書名:『ミャンマーの柳生一族』
  • 著者:高野秀行
  • ISBN: 978-4087460230
  • 刊行日:2006年3月17日
  • 発行:集英社文庫
  • ページ数:238
  • 形態:文庫

黄金の三角地帯(ゴールデン・トライアングル)の一角であるミャンマーのワ州に潜入しアヘンを栽培した高野秀行が、今度は作家船戸与一の取材旅行のガイドとして再びミャンマーへ・・・

今回は非合法な潜入でなくて、しっかりビザを取っての潜入・・・いや入国なのでミャンマー軍の情報機関のようなところが彼らのガイドおよび通訳および警護を担当する事になる。

そしてミャンマー軍情報機関の面々と船戸与一、そして高野秀行の面白旅が始まるのである。

本書の「柳生一族」というのはミャンマーという国を説明するために現在のミャンマーは鎖国中の江戸時代の日本である!と高野秀行が断定し、軍の情報部はあの「柳生一族」になぞらえる事が可能ではないのか?という冗談のような「ミャンマー軍情報部=柳生一族」説なのである。

海外に行った時、いや地方に行った時でもいいが、この街は日本で言うと東京だなとか、東京で言えば渋谷だな、などと訪ねた場所を自分の知っている地元で言えばどこか?というたとえをよく耳にするが、これも似たようなものである。

ニューヨークは日本で言えば東京だ!という断定などは、ある面では合っているだろうし、別のある面では大いに間違っているかもしれない。

ただ、ニューヨークを日本で言えば東京!と置き換える事により、ニューヨークのアメリカでの位置というものがおぼろげにつかめる気がする。

たとえというのは間違っている可能性も含みつつ、ただそのモノを頭の中で把握するためにちょっとだけ役に立つのハズなのである。

本書もミャンマー=江戸時代というやや強引な断定をしているが、そこからミャンマーも日本も対して変わらないのねという共有感覚が生まれ、でも江戸時代って事は結構色々ちがうのねという差異の感覚も生まれるのである。

まあなんだか小難しい小理屈を述べてしまったが、ミャンマー=江戸!という強引な仮説の強引っぷりが気持ちよかった本であった。

本書の柳生一族の関係者?と言ったら怒られるのかもしれないが、アウンサン将軍の娘スーチーの政党が最近ミャンマーの第一党となった、彼女の動向は日本ではかなり好意的に報道されているが、実際のところどういう人物なのだろうか、そして柳生一族はどうなるのだろうか。

先が気になるだけの、いま、会いにゆく息子タイムトラベル『時生』

トンネル 先が気になる、なんつって

  • 書名:『時生』
  • 著者:東野圭吾
  • ISBN: 978-4062751667
  • 刊行日:2005年8月12日
  • 発行:講談社文庫
  • ページ数:544
  • 形態:文庫

難病にかかった自分の息子がタイムトラベルをして、若い頃の父親(息子が生まれる前の父親)に会い、そして父親が成長するというお話。

父親と息子が同じくらいの年齢で出会うというのは重松清の『流星ワゴン』のようで、死んでしまう人間が過去にさかのぼるというのは『いま、会いにゆきます』のようでもある。

父親が出てくるお話に弱い私はちょっとだけ感動を期待して読み始めた。

確かに先の気になる展開であった(結末はわかっていたが・・・)、寝る前に読み始めたら読み終わるタイミングを逃してしまい夜更けまで読んでしまった。

タイムトラベルをして若い父親と一緒に当時の父親の恋人を助けに行くというストーリーはなかなかに面白い設定だと思う。

だが、この小説、何かが足りない。

ストーリーがどう展開するかが気になるだけで、登場人物が魅力的であったり、細かい小道具が面白かったりはしないのだ。

さらに携帯電話が普及するという事を未来の息子から知らされてそれを人に喋ったのがきっかけで就職が決まる、というギャグのような展開が一番気になった、なんだそれ。

別にうまく書いてくださいとは言わないのだけれども、もう少し地味に丁寧に色々考えて個々の登場人物のキャラクターを魅力的に書いて欲しかったな、なんてかなり勝手な事を思っている読後なのである。

あ、でも「先が気になる」という事だけに関しては結構いい線いっていましたよ。先が気になるというとこだけは。

小説なのかノンフィクションなのか 『ヨーロッパに消えたサムライたち』

サムライではなく武将か

  • 書名:『ヨーロッパに消えたサムライたち』
  • 著者:太田尚樹
  • ISBN: 978-4480422958
  • 刊行日:2007年1月
  • 発行:ちくま文庫
  • ページ数:327
  • 形態:文庫

戦国~江戸期の大名であった伊達政宗がスペインとローマに使節団を送った、その使節の1人である「支倉常長(はせくらつねなが)」がこの本の主人公である。

本書には支倉常長がヨーロッパに行き、帰ってくるまでの10年弱の間の出来事が綴られている。

鎖国とキリスト教禁止が目前に迫っていた江戸時代初期、欧州に渡った日本人が果たした異文化との接触はおおいに興味深い。

その後の日本の鎖国のためか、支倉使節の旅の詳細がしっかり伝わっていないのが悔やまれるところではあるのだが記録と想像を使って描かれる旅の描写はそれなりに面白い。

記録に残されていないところは想像と推測で補うしかないのであるが、この本においては想像の領域が結構多く好みの別れるところかもしれない。

いっそのこと小説仕立てにしてしまった方がよかったのではなかろうかと思ってしまう。

タイトルの「ヨーロッパに消えた~」というのは、日本に帰った支倉常長とは別にスペインの地に残った使節団の一員の事を示す。

彼らの実態は明らかではないのではあるが、著者は彼らがセビージャ近くに集団で住みはじめたのではないかという推測を立てている。

このセビージャの周辺にはJapon(ハポン)の姓を持つ人がいるようなのである、ハポンとは言うまでもなく日本の事である。

“Jesus Sanchez Japon(ヘスス・サンチェス・ハポン)”というサッカー選手がスペインのプロサッカーリーグにいたのだが、彼も日本人の血を引いているのかもしれない。

日本人の血が流れている一族がスペインにいるという仮説は日本人である私にとってナショナリズムをくすぐられるような事態でもあるのだが、単純に鎖国という封建的なイメージの強い江戸時代にヨーロッパで暮らす事になった日本出身の人達がいるという事実自体が面白いと思う。

ちくま文庫の「学術系」モノに対して、大学の教授のような人が書いている本はワリとお堅くて内容がかなりパッとしない、というイメージを持っていたのだがこの本は有意義な読書時間を提供してくれた。

でも、ノンフィクションなのか小説なのか、というところを脱していないのでどうにもオススメしずらい今日この頃なのであります。

ジュニアにだまされ、間違えて買った 『プレイヤー・ピアノ』

ピアノの鍵盤

  • 書名:『プレイヤー・ピアノ』
  • 著者:カート・ヴォネガット・ジュニア
  • ISBN: 978-4150115012
  • 刊行日:2005年1月
  • 発行:ハヤカワ文庫SF
  • ページ数:603
  • 形態:文庫

社会のシステムが高度に機械化され、人間の労働は機械に取って代わられ、職を失った人々(下層民)と機械の整備をする人々(エリート)が生まれてきたという設定のSFである。

主人公は機械を整備するエリート、だが彼は高度にシステム化された制度(機械が人間を奴隷のように扱う事、仕事の無い下層民と機械の管理者達との二分化された格差社会)に疑問を持ち始める。

彼はある事件をきっかけに機械の支配を打ち破る目的を持った革命組織に入るのだが、そこで見たものも結局現体制とあまり変わらない組織管理制度だった・・・

支配制度も革命組織も、やってることは結局同じなんではないか?

革命が起きてもまた同じような体制が出来上がって、人々が同じように苦しむのではないか?

という暗いあきらめみたいなものがジョージ・オーウェルの書いた『1984年』と『動物農場』によく似た作品であった。

翻訳がいただけないなという部分もあるのだが、非常に退屈なお話であった。読んでいて切迫感というものを全く感じなかった。

カート・ヴォネガット・ジュニアという名前を本屋で見つけて、「前に読んてよくわからなかったけど、もしかしたらスゴイ面白い作品だったのではないか?」と感じた『故郷から10000光年』という作品の作者だと思い、『プレイヤー・ピアノ』を買ってみた。

だが、今日本屋でSFコーナーを見ていたら『故郷から10000光年』はジェイムズ・ティプトリー・ジュニアの作品であった。

カート・ヴォネガット・ジュニアとジェイムズ・ティプトリー・ジュニア、名前が長いのと後ろにジュニアがつくのが似ていたので私は勘違いをしていたのである。

さらにカート・ヴォネガット・ジュニアは前に読んで、こりゃだめだと思った『タイタンの妖女』の作者だったのであった・・・

ジュニアちがいの上に、前に読んでもう読むまいと思っていた作家の本を買って読んでしまったとは・・・随分マヌケな話であった。

楽しい海浜生活 『ぱいかじ南海作戦』

ぱいかじ南海作戦

  • 書名:『ぱいかじ南海作戦』
  • 著者:椎名誠
  • ISBN: 978-4101448299
  • 刊行日:2006年12月1日
  • 価格:476円(税別)
  • 発行:新潮文庫
  • ページ数:317
  • 形態:文庫

離婚と失業を同時にした男が、フラリと沖縄に赴きそこで「海浜生活」(俗に言っちゃうとホームレス)を送る一団と出会い沖縄の砂浜でサバイバル生活を繰り広げるというストーリー。

ぱいかじとは沖縄地方の方言で南風の意味らしい。

初めて椎名誠の作品と出合ったのは、10数年前の大学時代。

「うーん、なんていうかなあ、うーん、とにかくいいんだなあ、まあとにかくそうゆうことだからオマエも読めよ読め読め、読めったら読め、な読め読め・・・うんうん」

と大学の友人から椎名誠の哀愁の街に霧が降るのだ』を薦められた。

その友人はメガネをギラギラさせた青年で、そう言うとぬるい缶ビールを飲み干したのである。(ホントウは学食だったはずなので、友人はたしかタダのお茶を飲んでいた)

あれはおそらく彼の住んでいた四畳半のアパートで、友人3人くらいで酒を飲んでいたときのことであったろうか。(ホントウは学食だった)

その時のその友人の言葉はあまり信じていなかったのだが、そこまで言うのならと読んでみて一気にめくるめく椎名ワールドに魅了され、それ以来椎名誠の作品を読み漁った。

私小説、SF、冒険、エッセイなどなどジャンルを飛び越えて書かれる彼の作品の特徴は、なんと言ってもネーミングセンスではなかろうか。

「名付け」とは「世界」を作る事だとどこかで聞いたりしたことがあるのだが、椎名誠の魔術的な名付けから魅惑的で怪しげな椎名誠の世界が作られていくのである。

ここではあえて例はあげない、読んでみてからわかってほしいのである。

ブックオフでも街の古本屋でも、お店に入ればそこの文庫コーナーには確実に椎名誠の本がある。

文庫でさらに古本なので値段もお手ごろ(100円前後)、スターバックスに入るより安いですよ、お姉さん。

モスラとオスカルが競演する柳生モノ in 朝鮮半島 『柳生陰陽剣』

柳生陰陽剣

  • 書名:『柳生陰陽剣』
  • 著者:荒山徹
  • ISBN: 978-4101210421
  • 刊行日:2006年10月1日
  • 価格:629円(税別)
  • 発行:新潮文庫
  • ページ数:493
  • 形態:文庫

柳生新陰流の遣い手であり、陰陽師でもある主人公の柳生友景が、朝鮮妖術師と死闘を繰り広げる非常に楽しい歴史SFファンタジー作品。

豊臣秀吉の文禄・慶長の役が終わって徳川政権が打ち立てられる前後の話で、朝鮮の妖術師は文禄・慶長の役に対する復讐として日本を影から支配しようと目論むのだ。

朝鮮妖術師は巨大な蛾である「モスラ」を使い、主人公友景には男装の女剣士「オスカル」と「アンドレ」がお供をする。ヤマタノオロチも出てくるし、最後には霊的超兵器「天沼矛(あまのぬぼこ)」なんてのも出てくる。

荒唐無稽な感じもするが、さにあらず、出演陣は結構マジメにやっている(ってちょっと表現がおかしいか)ので、怪獣や超兵器が出てきてもそこまで変な感じはしない。

さらに、古代から続く日本の天皇家と朝鮮王家との「密接」な関係が物語の背後にはあり、全部が全部ホントウなのかわからない、というか、実際にどうだったのかは今では確かめるすべがないのだが、冷静に読むと結構シリアスな小説かもしれない。

この小説に出てくる「歴史的事実」がどの程度ホントウのことなのかはよくわからないが、色々な歴史解釈を下地にして、この物語が作られている。

基本的には、モスラやオスカルに興奮しながら読書を楽しめばいいが、荒山さんが言いたかったことは「歴史は支配者の都合で捻じ曲げられるし、それをのちの世の人たちがホントウなのかウソなのか確かめるスベっつーのはないのだよ」ということなのかもしれない。

哀しみのないサバイバル小説 『透明人間の告白』

透明人間に迫り来る影

  • 書名:『透明人間の告白(上・下)』
  • 著者:H・F・セイント
  • 翻訳:高見浩
  • ISBN: 978-4102377017(上)、978-4102377024(下)
  • 刊行日:1992年5月
  • 発行:新潮文庫
  • ページ数:398(上)、381(下)
  • 形態:文庫

主人公の証券会社に勤める男が、ある研究施設での事故にまきこまれ透明人間となってしまう。彼は透明人間を捕まえようとする当局から逃れるためにニューヨークの街を逃げ回ることとなる・・・

本の雑誌のオールタイムベストテン(過去から今まで全ての作品のベスト)の何位かに入っていたので、面白そうだなと思い読んでみた。

そういえばオールタイムベストという表現ってなんかおかしいなと思っていて、和製英語かなとWebの辞書で調べてみたら、「史上最高の」という意味だった。

和製英語ではなかった・・・

本書は上下巻合わせて700ページ超えの結構なボリュームだったがさらりと読むことが出来た。ただ読むことが出来たのはとても面白かった!からではなく、結末が気になったからである。

透明人間になった男がどのような結末を迎えたのかはあえて書かないが、なんとなく肩透かしをくらわされたような結末ではあった。

この小説の設定で気になる点が一つある。

透明人間の食事場面は出てくるのだが、排泄の場面がほとんど出てこない。

読んだ人ならわかると思うのだが、この透明人間から排泄されるモノが透明か否かでストーリーと主人公の行動に大きな影響が出てくるのである。

もちろん、透明人間になったため排泄はしなくなったのかもしれないのだが、それだと冒頭でおしっこをしている場面の説明がつかない。

それとストーリーと関係ないところで一つ。

訳が古い、訳者のセンスがないだけかもしれないが女性の言葉遣いなどが、今じゃありえないよ・・・というものがあった。20年弱前ってそんなに言葉が違ったかな?と思ってしまう。

そしてこの主人公、なんだか感情移入できない。運命の神様の気まぐれかなんかで透明人間になってしまった主人公、とても哀しそうではあるのだが、なんだか彼の哀しさにリアリティが全く無いのだ。

それは主人公を描写する作者の腕の無さだと思うのだがいかがだろう。

なんだか罵倒している文のようになってしまい、上下巻を律儀に読んだ私はなんだったのか?と思ってしまうが、そこまで悪くは無い小説です、ただ期待してた分、がっかりしたのも確かなのだ。

でもやっぱスマホとパソコンが巷に溢れる現代では、ちょっとこの透明人間の話じゃ面白くないかもしれない。(現代に照らし合わせると違ってくる部分が多々あるんです、過去の作品に現代の価値観を当てはめるのはルール違反なのだけど、とにかく期待が大きかった分だけ落胆も大きかったのです)

Nexus 5Xが欲しいけど9「さよならY!mobile」

Y!mobileからやっと値引きのお知らせ来たる

Y!mobileでNexus 5を使っていると端末代金の完済後(2年目以降)に月額料金が高くなるかも!と私が騒いだおかげかどうかよくわからないが、Y!mobileから値引き(現状維持)のお知らせがやってきた。

kaitei_ymobile20151130

私のY!mobileでのNexus5の現在の月額使用料金は下記の通り、端末代は2016年1月の支払いで終わる予定。

[Nexus 5の端末代込みの月額]

基本使用料:3,696円

オプションサービス料:300円

端末代:2,100円

月々割:-1,556円

合計:4,540円

で、Nexus 5の端末代を払い終わると下記の通り、ふざけんなという料金。2,000円近くの値上げだ。

[Nexus 5の端末代完済後の月額(改定前)]

基本使用料:5,934円

オプションサービス料:300円

合計:6,234円

で、今回の値下げ後の月額料金が下記である。

[Nexus 5の端末代完済後の月額(改定後)]

基本使用料:3,996円

オプションサービス料:300円

合計:4,296円

6,234円が4,296円になっているので、2,000円近く値下げしているように見えるが、よーく考えてみて欲しい。

端末代込みで4,540円だったものが、端末代の2,100円を引いたら2,440円になるはず。

でもそこで、月々割のマジックが効いてくるのだ、月々割は端末代を割り引いてあげていたんですよ、端末代がなくなったら月々割もなくなるに決まっているでしょうが!ということだ。

でも私の感覚からすると端末代を引いた2,440円が正しい金額、だって端末代払い終わってるんだよ、こっちはさ。

値下げと言いつつ実質値上げの事実は変わらんよ、だからサヨナラ

なので、私はもうY!mobileからさよならします。DMM mobileあたりに鞍替えします。

さようなら。

連載終了 「NEXUS 5Xが欲しいけど」バックナンバー

  1. 「理想と現実」
  2. 「Nexus 5のままでいいのか?」
  3. 「Nexus 5、Nexus 6、Nexus 5X、Nexus 6Pのスペック比較してみた」
  4. 「Android6.0は何が変わった?フォントだよ!」
  5. 「Y!mobileでの月額料金が決定・・・」
  6. 「買わないことにした」
  7. 「買わないことにしたけど、欲しくなる」
  8. 「(Nexus 5Xが買えない)Nexus 5ユーザーに送るNexus 5Xとのスペック比較」
  9. 「さよならY!mobile」
  10. 「やっぱりさよならY!mobile」
  11. 「欲しい端末が出てきた?けど」
  12. 「ついにMNP予約番号をって、取れないじゃん・・・」
  13. 「MNP予約番号を取得!そして格安SIMに申し込んだ」
  14. 「格安SIMに乗り換え完了、Nexus 5をしばらく使う予定」
  15. 「Nexus 5の後継機はAcer Liquid Z530に」(番外編)

明治維新は何故明治革命ではないのか? 『増補 靖国史観 日本思想を読みなおす』

靖国史観

  • 書名:『増補 靖国史観 日本思想を読みなおす』
  • 著者:小島毅
  • ISBN: 978-4480096272
  • 刊行日:2014年7月10日
  • 価格:1,000円(税別)
  • 発行:ちくま学芸文庫
  • ページ数:154
  • 形態:文庫

明治維新という言葉が何故明治「革命」ではなく、明治「維新」なのか?ということと靖国神社の成立を絡めて説明したのが本書。

明治維新の後に西洋化が進み、それにより日本の近代化がなされてみんな幸せになったという学校教育を私は受けたしそういう印象を持っていたが、そうではなく明治維新では朱子学的(儒教的)な王政復古(革命じゃなくて)がなされたというのだ。

そして明治維新で命を落とした英雄たちを祀っているのが靖国神社であり、その「英雄」たちは江戸時代の考え方からすると革命を企んでいたテロリストであるのだそうだ。

靖国神社は勝った官軍(つまり元テロリスト)だけを祀り、それに負けた賊軍(元政府軍か)は祀っていない、だから靖国神社に参拝してテロとの戦いを標榜する昨今の首相の姿は片腹痛いということなのだ。

まあ、確かに。

靖国神社は太平洋戦争で戦死した兵士たち(A級戦犯もふくめ)を祀っている敗戦国としてのお墓みたいなイメージを持っていたが、そうではなく明治維新の官軍(結果的に勝った人たち)を祀った戦勝国の神社なのだというお話は私には驚きであった。

明治維新の後に日清戦争、日露戦争、そして日中戦争と太平洋戦争に至り日本は戦争に負けることになるのだが、その流れの一旦を担ったというかその流れを作ったのが靖国神社に英雄たちを祀った人たち(生き残った官軍でありテロリストたち)であるのだろう。

だから中国や韓国が、日本の首相が靖国神社に参拝すると怒るのもわかる。(※本書の主張は少し違うが)

靖国を成立させた原因とか、その周辺の事情わかってるの?中国とか韓国が占領されたり占領されそうになったんだよ、知ってるのそのこと、安倍さんよ?とも言いたくなるだろう。

また中国や韓国を侵略するつもりがあるんじゃないの?みたいに考えるのもしょうがない。

で、歴史認識であーだこーだ言って色々国同士がこんがらがってそこに住む人たちが迷惑するから、今日からは何があってもとにかくみんなが仲良くするってのはどうだろう、簡単じゃない?

海外ドラマの隠れた名作、または海外の(アメリカ)のチョコみたいな雰囲気 『航路』

passage

  • 書名:『航路(上・下)』
  • 著者:コニー・ウィリス
  • ISBN: 978-4789724388(上)、978-4789724395(下)
  • 刊行日:2004年12月20日
  • 価格:各950円(税別)
  • 発行:ヴィレッジブックス
  • ページ数:665(上)、647(下)
  • 形態:文庫

転職して初めての今年の夏休みは3日間。3週連続で月曜日に休みをもらい、3週連続の3連休とした。

ほぼ家族と過ごしたが、一日だけ自分のために休みを遣い、街をブラブラとした。

新宿に行こうか、渋谷に行こうか、それとも神保町に行こうか迷ったが結局行ったのは立川。

立川にはオリオン書房と言う立川を占領しているような巨大な本屋があり、そこの本店(モノレールを降りたとこにある)が大学時代からの私のお気に入りなのだ。

ワンフロアーにズラーっと本が並び、気持ちがいい。

だが同じ本屋に1日いるというのも大変なので、ブックセンターいとうの本店に行ってみたのだ。

多摩都市モノレールに乗って中央大学・明星大学駅で降りて、中央大学構内をぶらついたあとに大学近くにある本店まで歩いた。

ブックセンターいとうの本店の隣には復活したバーガーキングがあり、本店の1階はお酒やお菓子などを売っていて地方のヴィレッジバンガードのようだった。

2階(3階だったか)には文庫コーナーがあり、背の高い本棚にズラーっと作者名順に本が並んでいた。

普段行くブックオフでは見かけないようなものも多数あり、全部買おうと思ったが、それなりの値段だったので、自分に落ち着けと言い聞かせ、100円のものだけを買ったのである。

その中にあったのが本書。

カオスなスケジュールとカオスな病院

主人公のジョアンナはマーシー・ジェネラルという病院に勤め、NDE(臨死体験)を研究している。

そのマーシー・ジェネラルにはマンドレイクというノンフィクション作家もいて、同じようにNDEを研究しているのだが、彼は死後の生について超自然的な見解を持つかなり偏向した(トンデモ)おじさんである。

マンドレイクがNDEを経験した患者にインタビューをすると、彼の答えの誘導により、みんな天使を見て、宇宙の真理がわかったような気になってしまい、ジョアンナの研究に使えるようなコメントが取れなくなる。

なので、ジョアンナは常にマンドレイクに汚染されるよりも先に患者にインタビューを試みるのだが、うまく行く時はまれである。

マンドレイクはそんなジョアンナを自分の陣営に引き込もうと常に、病院の中をジョアンナを探して歩いている、その病院も建て増しを繰り返したせいで迷宮のようになっていて、まあもうとにかくグチャグチャなんである。

そんなグチャグチャな状態の中でジョアンナは新しく病院にやってきたリチャードとともに、NDEの研究に邁進するのだが・・・

ダンジョンのような病院の中でマンドレイクから逃げつつ、真実に迫る主人公

建て増しを何回も行った迷宮のような病院の中で、悪役マンドレイクから逃げつつ、真実を捜し求めるという構図は、そのまま本書のテーマである「NDEがなんなのか」という答えに繋がっていくのだが、それは読んでのお楽しみである。

さらに、本書は時間の流れ方の速さがバンバン唐突に変わる、病院で残業をしていたらすぐに次の朝の病院の描写になる。

ここまで時間の流れが変わるのが頻繁な小説ってあんまり私は読んだことがない、映画みたいだ。

と、これもテーマに関わってくる伏線みたいなものなのだが、慣れるまでは少し大変。腰をすえて読んでいれば気にならないと思うが、途切れ途切れに読むとテンポに合わせるのに時間がかかるかもしれない。

わかりやすいキャラクターたちが作る物語は海外ドラマみたい

海外小説を時々読むが、この物語、非常に海外ドラマ(アメリカのドラマ)っぽいなと感じる時がある。

たぶん、それには条件があって、

・現代が舞台であること

・アメリカが舞台であるこ

・主人公はプロフェッショナルだけど、普通の市民として描かれていること

・登場人物の役割分担がわかりやすい

だと思う。

て書くと、ほとんどの海外(アメリカ)の小説が当てはまってしまう気がするのだが、なんかそう感じる時があるのだ、わかるでしょ?ってわからないか。

本書も私が勝手に思い込んでいるこの4つの条件を満たしていてかつ、海外ドラマっぽい。

だからなんだと言われるかもしれないが、海外ドラマっぽいのだ。

海外ドラマをぼーっと見ていて、あれ、このドラマ面白いじゃん、っていつの間にかテレビを消せなくなるみたいな。

夜9時からテレビ朝日でやっているサスペンス劇場みたいなドラマも私は好きだが、あれは完璧に様式美とマンネリの世界で、いわばビジュアル系のバンドとか歌舞伎を見る時の安心感に近いものがある。

海外ドラマってのはそれとは少しちがって、すごくわかりやすいんだけど、火曜サスペンス的な日本の様式美とは違い、なんだろう、たぶん舶来感とでもいうべきなんつーか外国のチョコみたいな味がするのだ、外国のチョコというのはフランスとかベルギーとかの高級品じゃなくて、ハーシーとかの大衆チョコである。

明治とかロッテとかの味とはちょっと違う、意外性のある味がするでしょアメリカのチョコって。

その意外性っていうスパイスを火曜サスペンスにふりかけたような海外ドラマが本書なのである、ってなんのこっちゃ。

ジテタミンとθアスパルシンって?

本書には臨死体験をする際に使うジテタミンと、臨死状態からの復帰?のために使うθアスパルシンという薬物が出てくる。

この物質を使って実際にNDEを再現できるのだろうか、もう実験は行われているのか?と思いながら本書を読んでいたが、あとがきでこの薬物は架空のものであると書かれていた。

残念。

なんだかまとまりがつかなくなったが、この物語、結構面白かった。

たぶんこの装丁(女性が横になってるだけ)と名前(航路って地味すぎるよね)からかなり売れなかったはずで、人気もないはずなのでブックオフの100円コーナーに置いてあるはず、気になる人はぜひぜひ。