サンデーサイレンス旋風の胎動 『競馬漂流記 では、また、世界のどこかの観客席で』

競馬漂流記 では、また、世界のどこかの観客席で

  • 書名:『競馬漂流記 では、また、世界のどこかの観客席で』
  • 著者:高橋源一郎
  • ISBN:978-4087451191
  • 刊行日:2013/09/20
  • 価格:720円(税抜)
  • 発行:集英社
  • 形態:文庫

元本は1996年12月刊行となっているので、ここ10年くらいの競馬界の変化については触れられていないが、サンデーサイレンスという化け物が登場する直前の日本競馬界とその周辺の変化の兆しと胎動みたいなものが書かれていて楽しい。

高橋源一郎は世界中の競馬場を訪れてエプソムダービー、凱旋門賞、ケンタッキーダービー、ドバイワールドカップなど見まくる。競馬ファンから見ると非常にうらやましい。

だが出色はアハルテケ(汗血馬)のレースをトルクメニスタンまで見に行くくだりであろう。

アハルテケは黄金の馬と言われているのだが、実際に馬が黄金に輝く瞬間を目撃するのだ・・・

高橋源一郎は競馬関連の雑誌などに登場していたので競馬関係の人だと思っていたが、どうも小説家らしく色々と小説もだしているらしいが、まだ読んだ事がない。

あとがきを読んでビックリしたのだが、著者は1995年あたりから競馬場にはほとんど行っていないというのだ。

1995年はサンデーサイレンスの子供が勝ちまくるサンデーサイレンス旋風が吹き荒れて、日本競馬に革命が起こった年であり、それ以降数々のサンデーサイレンスの血が入ったスーパーホースが現れている。

フジキセキ、スペシャルウィーク、サイレンススズカ、ステイゴールド、アグネスタキオン、ディープインパクト、アドマイヤムーン、ハーツクライ、シーザリオ、デルタブルー ス、ダイワスカーレット、ブエナビスタ、アパパネ、ヴィクトワールピサ、ジェンティルドンナ、オルフェーヴルなど近年のスーパーホースのほとんどにサンデーサイレンスの血が入っている。

今では日本の馬が海外でG1レースを勝つのは珍しいことではなくなったし、凱旋門賞ももうすぐ勝てそうだ。

その成功を知っているのか知らないのかわからないが、この状況を知って高橋源一郎はどう思うのだろか。

世界で4度目のやっと逢えたね 『四角な船』

四角な船 著者:井上靖 新潮社文庫

  • 書名:『四角な船』
  • 著者:井上靖
  • ISBN:978-4101063232
  • 刊行日:1977/12
  • 価格:480円(税抜)
  • 発行:新潮社
  • 形態:文庫

やっと逢えたね。

大学時代の友人に薦められて以来、ずーっと探していた。

今はなき吉祥寺のブックステーション、今もあるよみたや、ブックオフ、神田の古書店、などなど。古本屋に入るたびに著者名のあいうえお順に並ぶ本棚の本を見上げ、「井上ひさし」の次にあるはずの「井上靖」コーナーを探した。

あるのは大体『敦煌』や『額田女王』であり、『四角な船』は見つからなかった。

その友人は「何でないの?僕はよく古本屋で見つけるけど」などと言っていたが、なぜか会う機会がずっとなかった。

なんで読みたかったかと言うとノアの方舟の話だと聞いていたからだ。

洪水伝説は世界のあちこちにあるようだが、洪水を船に乗って生き延びるという発想というかアイディアがとにかく気になったのである。

当時私は大学で西洋史を学んでいて、指導教授の専門は西アジア、つまりメソポタミア周辺であり、昔は洪水を繰り返していた地域である。

教授が授業中にたしかに伝説の元になるような洪水はあったはずである、みたいな事を言っていた。

大津波か大雨が大地を襲う、そして選ばれた人と動物たちが船に乗り込み、先の見えない航海に出発する。

目的地となる陸地があるかどうかわからない、絶望的だ。

しかし水は徐々に引いていき、舟は山の頂上に乗っかっていることに気づく・・・

今年の5月に河辺に引っ越して結婚したその友人から近くのブックスーパーいとうに『四角な船』が売られているとのメールが来た。

彼のメールには「買っておこうか?」と書かれていたが断った。

本とは出会い方が大切。

私が行った時になかったら縁がなかったのだ。それも古本探しの楽しみ。

夏の終わり、河辺の彼の家に遊びに行き、奥さんに挨拶してお昼ご飯のカレーをごちそうになって談笑をした後に、彼とそのブックスーパーいとうへ行った。

子供達向けのカードコーナーやゲームコーナーの奥に文庫コーナーに、井上靖のコーナーがある・・・そしてあった!!!

「やっと逢えたね」、辻仁成がパリで初めて中山美穂に会った時に言った言葉のようであり、2人はそのまま結婚した。

私も妻と息子に初めて会った時そう思った(言った)。

だからこの『四角な船』に対して言った「やっと逢えたね」は世界で4番目で言われたセリフということになる。

このお話は地球を大洪水が襲い、方舟に乗った人たちが苦労する話だと思っていた。

苦労の連続の航海の果てにどこに行き着くのか?そんな小説だと思っていた。

しかし、読んでみるとなかなか洪水が始まらない。船作りも一向に進まない・・・

そして方舟の製作依頼をした方舟のオーナーはなかなか姿を現さず、結局世界は終わらずにオーナーの死という形で物語は終わる。

面白い話ではあった、しかし私の想像していた手に汗握る人類対洪水の戦いは見られなかった。

しかしこんな「やっと逢えたね」もあるのだ。

『夢はターフを駆けめぐる』 これスゲーいい名前だなぁ

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  • 書名:『夢はターフを駆けめぐる』(13巻まで出ている?)
  • 著者:狩野洋一、かなざわいっせい、他多数
  • ISBN:978-4877190415
  • 刊行日:1993/09
  • 出版:光栄
  • 価格:不明

こんばんは。

世の中には競馬をする人間としない人間の2通りしかしない、と言ったのは誰だったでしょうか。

今ではコーエイテクモゲームスと名を変えたかつての光栄が出していた競走馬に関するエピソードをまとめたのがこの本です。

Amazonで検索しても画像がなく、Google検索でもほとんど出てこないのですが当時は本屋で結構見かけたような気がするのですが今では忘れ去られている本のひとつですね。

アスキーからは競馬ゲームの傑作『ダービースタリオン』シリーズの2、3が発売。

同じく、光栄からは『ウィニングポスト』シリーズの第1作目が発売されたのがこれくらいの時期でした。

競馬界はオグリキャップ、タマモクロス、イナリワン、スーパークリークのなどのスターホースが引退して、ナリタブライアンという新世代のモンスターが現れようとしていた時期です。

1994年にナリタブライアンは牡馬三冠と有馬記念を制覇、さらにその年にデビューしたアメリカ産の暴れ馬サンデーサイレンスの子供たちが日本競馬の歴史を塗り替えていくちょうどターニングポイントの時期です。

サンデーサイレンスという言葉を日本の競馬ファンに投げかけると、大体30分くらいはいろんな話を聞かせてくれるので知人に競馬ファンがいて話題に困ったときはその話をふってみましょう。

サンデーサイレンスはそれくらいすごい馬なのですが、今回サンデーサイレンスの話をしてしまうと話がとめどなく続いてしまうので話を戻しましょう。

オグリキャップの競馬ブームがいったん落ち着き、今度はゲームを媒介にした競馬ブームが起ころうとしていたのですが、それに勢いをつけようとして光栄が出したのがこの本です。

私はちょうど中学生、ゲーム大好きなお年頃です。

ダービースタリオンもウィニングポストもやり始めていて、競馬に非常な興味を持つようにもなっていました。

そんな時にこの本と出会います。

狩野洋一やかなざわいっせい(競馬ファンでないとわからない名前でしょうが・・・)という競馬好きのライター達がそれぞれの思い入れのある名馬を思い入れたっぷりに紹介していて、それを読んだ当時中学生の私はまさに夢をターフに駆けめぐらせたわけであります。

一巻ごとにテーマが決められていて、悲劇の名馬、追い込み馬、ダービー馬、などをまとめて紹介していました。

私が好きだったのは「逃げ馬」の巻でした。

(何巻目だったかの情報は残念ながらAmazonでは得られず・・・)

キーストン、トキノミノル、カブラヤオー、マルゼンスキー、トウショウボーイ、アイネスフウジン、ミホノブルボン、サクラシンゲキ、ツインターボなど、競馬ファンなら一度は聞いたことのある名馬たちのお話に私は胸をワクワクさせました。

競走馬のレースの仕方は大きく分けて4つあります。

最後方から進んで、最後の直線に賭ける「追い込み」。

中団の後ろ辺りにとりついて、最終コーナー辺りから徐々に前に進出する「差し」。

中団の前目にとりついて、最終コーナーから先頭を奪いに行く「先行」。

そして最初から先頭を行く「逃げ」。

医者は心臓が悪い人には「追い込み馬」を買えと薦めるようです。

確かにそのとおりで、追い込み馬を買ったら最後の直線だけドキドキすればいいのですが、「逃げ馬」を買った場合、まずスタートがうまく行くか、そもそも先頭で走り続けられるか、最後の直線まで持つか、そしてゴールまで先頭でいられるか、とずーっとドキドキしっぱなしで心臓に悪いことこのうえありません。

でもこのずーっとドキドキが続いて逃げ切った時のしてやったり感というのはたまらないものがあります。

最近の馬ではダイワメジャーとダイワスカーレットというすごい逃げ馬兄妹がいたのですが、この2頭が私は大好きでした。

特に妹のダイワスカーレットの3歳時(2007年)のチューリップ賞と桜花賞のレースは忘れられません。

ダイワスカーレットにはウオッカという好敵手がいました。

3歳の牝馬(メスの馬、ひんばと読みます)は、春の桜花賞、オークス、秋の秋華賞という大レースの制覇を目指して走ります。

その第一戦目となるのが桜花賞のトライアルレースのチューリップ賞です。

桜花賞と同じ阪神の芝1600メートルで行われるレースは桜花賞に直結する最重要トライアルレースです。

四位洋文の乗る前年の2歳牝馬チャンピオンのウオッカ、対するは地方の笠松競馬場で天才の名を欲しいままにして中央デビュー前のオグリキャップにも乗っていた生ける伝説のジョッキー安藤勝己が乗るダイワスカーレット、ウオッカとは違い裏街道を進んで来ましたが、兄のダイワメジャーが前年にG1を2勝していて注目を浴びていました。

ファンが出した結論は、ウオッカの単勝オッズが1.4倍の1番人気、スカーレットは2.8倍の2番人気、3番手のローブデコルテは大きく離れた14.6倍。

オッズは低ければ低いほど、人気が高いことを示します。

つまりファンはこのレースはウオッカとスカーレットの2強対決だと判断したのです。

レースはスカーレットが逃げて始まりました。ウオッカはそれを見ながら中団前目でレースを進めます。

直線に入るとスカーレットが脚を伸ばして後続を引き離しにかかりますが、ウオッカもそれを黙っては見てません。

ウオッカが後ろに迫ってきたとき、安藤勝己がちらりと後ろを見てスカーレットの勢いをフワリとゆるめました(という風に見えました)、そしてウオッカはスカーレットをクビ差交わして1着、スカーレットは2着となりましたが、私には安藤勝己がウオッカの強さがどれくらいなのかを試したように見えました。

2頭が後続に付けた差は6馬身(馬6頭分の差、タイムだと1秒ほど)、2頭だけ別次元の競馬をしました。

私は桜花賞はダイワスカーレットがウオッカに勝つと確信しました。

そして迎えた桜花賞、1番人気はウオッカ、スカーレットは3番人気に落ちました。

桜花賞で不利とされる大外枠(競馬のコースは円形をしているので外を回る馬は距離を多く走らされるので一般的に不利と考えられている)も嫌われたのでしょう。

私はスカーレットが1着、ウオッカが2着に来る馬券を買いました。

レースは他に飛ばす馬がいたのでスカーレットは3番手に待機、ウオッカはさらに後ろでスカーレットを狙います。

直線に入るとスカーレット先頭、そして、ウオッカがそこに襲い掛かります。

みんなウオッカが交わすかと思ったでしょうが、そうは問屋が卸しません。

チューリップ賞でウオッカとスカーレットの実力を比べることができた安藤勝己はさらにスカーレットにギアアップを命じます。

すると、スカーレットがウオッカを突き放し、ゴール。

会心の勝利、私も会心の馬券でした。

1番びっくりしたのはウオッカに乗っていた四位洋文でしょう。

この後ウオッカは牡馬(オスの馬、ぼばと読む)のダービーに挑戦して勝利し、ダイワスカーレットは牝馬のオークスを目指しますが熱を出して回避、2頭はまた秋に再対決することになります。

そして2頭の最強牝馬の戦いが始まるのですが・・・

話が長くなるので今回はここまでにしましょう。

全集のお話1~全巻集めたい! ドラゴンボールの記憶

著者:鳥山明 出版:集英社

こんにちは。久々の更新です。

「全集」、なんて甘美な響き。

好きな作家のすべてがそこに詰まっているのだと錯覚してしまいます。

いえ、錯覚ではありません。

ホントに詰まっているのです。

出ているのだから、全巻集めたいという人間の欲求をくすぐるのも全集の魔力でありましょうか。

今回は作家の全集ではなく、まず私が初めて集めた本(マンガ)のお話です。

今はなき吉祥寺ロンロン(2013年現在はブックファーストに・・・)にあった弘栄堂で、ドラゴンボールの単行本第1巻を見つけたのは小学校1年生くらいだったでしょうか。

と思って調べてみたら初版の発売が1985年の9月になっているので1980年生まれの私はまだ5歳の年齢。

小学校ではなく保育園生だったことになります。

その時に字が読めたかどうかの記憶はありませんが、母さんに買ってと言って買ってもらいました。

我が家は父が漫画家を目指していた(本気だったかどうかはわかりませんが手塚治虫ドンピシャのマンガ黄金期世代なので漫画家になるという夢は一般的だったんでしょう)影響か、すでに父がアラレちゃんを買っていて全巻そろっていたような気がします。

あと子供にはよくわからないマンガも並んでいました。

たぶんガロ系のマンガだったんでしょう。

ギャグマンガの『らんぽう』も並んでいました。

で、ドラゴンボール、読んでみたら楽しい楽しい。さらにはまったのが我が父、アラレちゃんにすでに注目していたところに息子が買ってきた鳥山明の新作に反応しないはずはありません。

なのでドラゴンボールは父と息子の共有物のような感じでドンドコと蓄積されていったのです。

ある時は私が母に買ってもらい、ある時は父が本屋で見つけて買ってきて、ある時は父と2人で本屋で見つけたりという事が続けられていったのです。

ドラゴンボールはまず、少年ジャンプで一番新しい話が展開され、その次にアニメ、最後に単行本という順だったと思います。

最初はアニメの話が一番遅れていて、途中でアニメが単行本を抜く瞬間があった記憶があるのですが、まあとにかくそのような順番で公開されて行ったわけです。

毎週水曜日は父が早く帰ってくる日で、テレビでドラゴンボールも放映されていました。

私が夕飯を食べ終わったくらいに、父が帰ってきて夕飯を食べ始める8時(7時だったかも)にアニメのドラゴンボールが放映されます。

我が家のリビングでは父がご飯を食べながら母と話をし、息子がドラゴンボールを見るという図が展開されていました。

父は単行本が出てから読むのを楽しみにしていたので、話が先行しているアニメ版の事を知ってしまうとつまらなくなってしまうので私にヘッドホンで見るようにと指示をし、私もそれに従ってヘッドホンでアニメを見て、見終わるとニヤニヤしながら父の顔を見て「オレこの先知ってるもんね」と優越感に浸る毎水曜日でした。

水曜日は父がレンタルビデオ屋で何本かビデオを借りてくる日でもあり、その後に『X電車で行こう』とか『王立宇宙軍 オネアミスの翼』とか『未来少年コナン』とかを一緒に見てました。

コナンは私の一番好きな宮崎アニメで、何巻かの続き物だったので毎水曜日のドラゴンボール→コナンのコースが2ヶ月くらい続き、それはそれは楽しい至福のひと時でした。

あと、記憶に強く刻まれているのが『不思議惑星キンザザ』です。

父が借りてきた実写映画の中で1番印象的で1番好きな1本でした。

映画内で「クー」と頬に手をやった後に手を下に広げる挨拶があるのですが、父と私との間でその挨拶が流行りました。

幸せな時代でした。

そして、9時くらいに私が寝た後に父は昔の映画などを見ていたのでしょう。

夜、トイレに起きると白黒の渋い映画を見ていた記憶があります。

黒澤明が多かったように思います。

話が大きくそれそうになったので、ドラゴンボールに戻ります。

私の人生の黄金時代というのはちょうどバブルがはじける前の、小学4年生前後、1990年くらいでした。学校も楽しい、景気もいい、なんだか幸せだったんだな、と今になるとそう思います。

ですが家族の幸せな時間はというのは長くは続きませんでした、1993年の春、私の中学入学と同時に両親が別居。バブル崩壊の影響も大いにあったのでしょうか、その頃の話はいまだに母には詳しく聞けず、なんともよくわかりませんが、その頃は父が家にいると家の中が暗くなっていたので、別居は私にとっては朗報でした。

ドラゴンボールは父の家に置いてきました。

べジータを倒したくらいから、私はドラゴンボールに興味があまり持てなくなり、ドラゴンボールはどうぞ・・・

となったのでしょう。

我が家は三鷹の井の頭4丁目にあったのですが、父はその家に残り、私と母は3丁目に引っ越しました。

父とは週に1回月曜日に会いに行くという約束になりました。

私がドラゴンボールを手放した後も父はドラゴンボールを買い続けていました。

ただ、ドラゴンボールの話をする機会はそのころはほとんどなかったと思います。

昔3人で暮らしていた家でポツンと一人暮らす父の姿とその家のたたずまいは、なんともいえない家族の事情が反映されていて私はホントウになんともいえない気持ちになっていました。

そして、父は井の頭から早稲田に引っ越します。

私が中学2年(1995年)の頃だったと思います。

3人分の家の家賃を払うのがアホらしくなったのでしょう。

早稲田はワンルームのマンションでした。

私は週に1度月曜日に早稲田に行くようになります。

そこでもドラゴンボールはドンドンと積みあがり、遂に完結しました。

調べてみると少年ジャンプでの連載終了が1995年の25号なので、6月くらいに連載終了。

そして1995年の8月に最終巻の42巻が出ます。

もちろん父は42巻を買い、全巻が揃ったのです。

「ドラゴンボール終わったね」みたいな会話をした記憶はありますが、それ以上の話は父とはしてないような気がします。

私と父のドラゴンボールへの熱は黄金時代(1990年くらい)をピークに下がり始め、父も惰性で買っていたのでしょうが、その変なマジメさみたいなものに私は感心していたような気がします。

そして父はその2年後の1997年の10月に急に亡くなりました。

倒れて病院に駆けつけてみると、くも膜下出血とのこと。先生から説明を受け、手術でなんとかなるかもと言っていましたが、助かっても植物人間になってしまうだろうとのこと。

あ、これは死んだんだなと思い涙が出ました・・・

当たり前ですが、父が死ぬのは悲しいのだなと私は思いました。

そしてその4日後に父は亡くなりました。

父は漫画家になりたかったようですが、私が生まれたくらい(1980年くらい?)に塾の経営を始め、私が小学校5年くらい(1989年くらい?)に塾をたたみます、それから40代になると小説家を目指し始めそれも夢破れ、最後には塾の先生として再就職を果たしました。

その再就職が父の晩年でした、晩年の春くらいに就職が決まりました。

「この年で新人研修を受けたりしてるけどすごく楽しいんだ」と私に話していました。

8月には父の就職した塾に夏期講習に行き、父はそこでは事務的な仕事をしていたようなのですが、父の周りに子供たちが集まり冗談を言い合っているのを見て、「やっと天職を見つけた、いや天職に戻ったのだな」と思いました。

若い死でしたが、最後は幸せだったのかなと思います。

父の死後にワンルームマンションに残された膨大な書籍は母の知り合いの古本屋さんに全部引き取ってもらうことになりました。タダで全部持っていく代わりに、買い取りはしないという条件でした。

私はその古本屋さんが来る前に父の部屋に行って、自分の興味のある本とマンガを持って帰ることにしました。

その頃は小説を読んでなかったので、今見たら目の色が変わるような小説があったかもしれませんがその時はよくわかりませんでした。

だから、持って帰ってきたのはマンガ本がほとんどでした。

その中にドラゴンボール全巻もありました。

ドラゴンボール自体への興味は薄れていましたが、父との思い出だからという思いもあったのでしょうか。

そして、時は流れ・・・それから10年後、私は小金が必要になり、ヤフオクでいらないものを売ろうと思い立つのです。

そのいらないものリストの中に私はドラゴンボール全巻を含めました。

父との思い出ですが、42巻売ると5000円以上になると知り、出品します。

すると7000円で落札。

父との思い出は7000円になりました。

そして落札したのは岩手県の方でした。

父の故郷は岩手県、なんだか因縁を感じずにはいられません。

その時には他にも色々出品して計5万くらいの小金を手に入れた記憶がありますが、出品と発送の手間がとにかくかかり、グッタリと疲れた記憶もあります。

そして・・・

次に出会ったのが、と行きたいところですがドラゴンボールと父の話でこんなに長くなるとは思わなかったので次に続きます。

『繁栄』と『世界を変える日に』を読んで転職だ!

繁栄

  • 書名:『繁栄 明日を切り拓くための人類10万年史』
  • 原題:”The Rational Optimist”
  • 著者:マット・リドレー
  • 訳者:大田直子、鍛原多惠子、柴田裕之
  • ISBN:978-4-15-050388-8
  • 刊行日:2013/07/10
  • 価格1,197円

世界を変える日に

  • 書名:『世界を変える日に』
  • 原題:”The Testament of Jessie Lamb”
  • 著者:ジェイン・ロジャーズ
  • 訳者:佐田千織
  • ISBN:978-4-15-011909-6*
  • 刊行日:2013/07/10
  • 価格:945円

久しぶりの更新になります。

本を読んでいないわけではなかったのですが、最近効うつ剤を飲み始めたのでなんだか注意力が散漫というかぽやーっとしていまい、電車の中ではスマホをいじってFacebookとLINEばかりしています。

スマホはぽやーっとしているのにいじれる面白いデバイスなんですね。

で最近やっと読了したのが上記の2冊です。

どちらもハヤカワ文庫です。

数年前からハヤカワ文庫は背が高くなり、本棚に入れにくくなりました。

ハヤカワは文庫であるという大前提をよく考えるよーに。

あと、ハヤカワ文庫だけじゃないですが文庫の値段がバカ高くなっていませんか?奥さん!財布に優しくない!文庫って安くて小さいから好きだったのに・・・

で、本題です。

『繁栄』は人類は労働の「分業」と労働の結果の「交換」によって繁栄をしてきて、さらにその「分業」と「交換」を進めていけばさらに繁栄するのだ!という論調の楽観論の本です。

基本的にテレビやネットで流れるニュースは悲観論が多いですが、なるほどとうなずける部分も多く楽しく読みました。

あと、そうだったか、と思ったのがお金の意味。

お金って昔はお米がお金の代わりをしていたという話を聞いていたのでお金=人間を動かすためのエネルギーと交換できるもの、という感覚だったのですが。

筆者はお金=労働(+結果)だと言っています、確かに。そう言われるとそうですね、コンビニに行ってポッキーを買う。これはポッキー自体にお金を払っているわけですが、ポッキーを作ったことに対してもお金を払っているわけで、さらに、ポッキーの材料を作った人の労働に対してもお金を払っているわけです。

だから、お金はグルグルまわしてみんな働かせろ!と思った次第なのですが、私はのんびり窓際族みたいに定時で上がりたいな、さらにそれで高給で定年まで保障されているような仕事ないでしょうか?

『世界を変える日に』は子供が生まれなくなるウィルスが蔓延してしまった世界。そして、そのウィルスに勝つ解決法が発見されます。それはウイルスに耐性を持った子供を生むことはできるのですが、生んだ母親は死んでしまうという方法です。

その死んでしまう決死隊みたいな母親に志願した少女の奮闘の記録です。原題は直訳すると「ジェシー・ラムの遺書」です。

物語は少女が子供を生むまでは書かれていないのですが、おそらく無事に子供を生み、少女は死んだのでしょう。

あとがきを読んであれ?と思ったのですが、この本の主題は「少女の自立と決断、実行」だそうです。

でも、私が感じたのは破壊的なウィルスに対してもあきらめずに立ち向かっていく希望を未来に託すという人類の気持ちみたいなものに心を打たれたわけです。

で、2冊を読んで感じたことは人類は子供を増やし、どんどん分業化し、交換を促進し、がんばって繁栄しろ!ということです。

抗うつ剤を飲んでひいこら生きていますが、なんつーか、希望ってものを忘れたらいかんのよね、そいで、分業ってのは大切なんだよね、いまやってる仕事っていろいろな種類のあわせ技みたいなので自分の身になっているのかな?ただの便利屋じゃないかオレ、転職しようと思ったのであります。

『甲賀忍法帖』と『マルドゥック・ヴェロシティ』はすんごく似てる

ブックオフを初めて知ったのは10年くらい前、下品な黄色いカンバン、「いらっしゃいませ」と連呼する店員、そして100円コーナーが衝撃的であった。

本を流通させて、その流通にかかる費用だけをもらいますよ、みたいなビジネスライクな感じに当時は反感を持った。

「本は文化なんだ、それをお粗末に扱いやがってふざけんな!こんなとこで買ってやるか!」と当時大学生だった私は叫んだ。

10年くらい経ち、私が買う本の半分はブックオフの100円コーナーのものである。

100円コーナーは楽しい、ブックオフもいいもんだ。

『マルドゥック・ヴェロシティ』(冲方丁 ハヤカワ文庫JA)の全3巻はどこだか忘れたが、どこかのブックオフで買った、100円コーナーにあったかどうだか忘れたがとにかくブックオフで買った。

『甲賀忍法帖 山田風太郎忍法帖1』(山田風太郎 講談社文庫)は今の家から歩いて10分くらいの国道沿いにあるブックオフで100円で買った。

舞台は未来と戦国末期という違いはあるが、どちらも異形の集団同士が異形の戦いを繰り広げるというもの。

両者とも非常にアニメチックというか、なんというか漫画的、映像化がされているのは『甲賀忍法帖』の方だけであるが、『マルドゥック・ヴェロシティ』も前作の『マルドゥック・スクランブル』が映画化されているので近いうちに映像化するのではなかろうか?

はじめましてこんにちは

はじめまして、こんにちは。

1年前に結婚して、それが原因でとは言いたくはないが数年間続けていたブログみたいなWebサイトを閉鎖した。

本の話とか映画の話とか、日記とかを載せていて、1日に1人が見ればいいくらいのアクセス数でこそこそと5年くらい続けていた。

大学時代、映画サークルの会報をメールマガジンの形で発行していたのだが、それがWebサイトに移行した、というなんとも動機や思想があいまいな形のモノであった。

動機や思想があいまいと書いたが、実は小さな野望、いや大きな勘違いというか打算があった。

そのサイトが大きくなれば自分らにモノを書く依頼などが舞い込み、有名人になり楽に暮らせてハッピーになる。というのがその都合のいい野望であったが、そう カンタンに行くわけもなく、誰かのブログが炎上したというニュースを見るたびに私らのサイトは何書いても誰も見てないので炎上すらしないから自分らで火を 付けようとしたらチャッカマンのガスは切れているしそもそも燃えるものがないのではないか?という大きく深い疑惑などが噴出し、さらにさらに燃えるための 酸素がここには不足していて、地球から2、3光年離れた宇宙空間に漂っているのではないかという疑問も出てきて大変だったのである。

結局わかったのは燃えるには理由があるということで、燃えないのにも理由があるのである。

それがわかったくらいの時に結婚をした、他の人たちはどうだか知らないが2人暮らしはなかなか自分の時間が持てない。

で、その全く燃えないサイトを更新する気力が失せてしまい閉鎖としたわけなのである。

なのだが、週に1回の間隔で更新していたサイトがなくなると、1週間の思いや愚痴を吐き出す場がなくなり、なんだかストレスが溜まり始めて会社でもうまく行かなくなってきた。

facebookに「今日行ったオシャレなカフェのランチプレートです」と食べ物の写真を載せたり、空の写真を載せた誰かの投稿に「いいね」をしてストレスが解消されるかためしてみたが、ストレスはなくならない。

twitterで、誰かがいいことを言っていたらすぐにリツイートするようにしてみたが、そんなことでもストレスはなくならない。

結局私にはあの「燃えないサイト」が必要なのではないか?と感じ、再度同じようなサイトを始めることになったのである。

前回はサイトの性格がよくわからなくて読んでいる小数の人間すら混乱させてしまっていたと思うので、ルールを決めた。

-新ルール-

「何の話を書いてもいいけど絶対にそれを本と絡ませる」

これで私も書きやすくなるし、人気の本の紹介ブログみたいになって私の小さな野望が達成できるのではないかという打算もある。