謎の競馬場

東京競馬場に似た競馬場の馬場内もしくは府中本町側入口の横あたりに小さな丘のようなものがあって、その丘を超えると競輪のオーバルコースくらいの小さな地方競馬場がある。

東京競馬場側では中央の開催が行われ、小さな地方競馬場側では中央側の発送時間と少し時間をずらしてレースが行われている。

小さな地方競馬場は小さいせいか玄人風のお客さんで満員状態で非常に盛り上がっている。

という謎の競馬場が出てくる夢をよく見る。

私はだいたい東京競馬場(風の競馬場)から近くにある、というか東京競馬場風競馬場の構内にあるような気がするその地方競馬場に向かって歩いている、気持ちは高ぶっていて早くその地方競馬場に着かなくてはと思っている。

その地方競馬場に着くとレースが始まる直前で大体目が覚める。

馬券は買えたり買えなかったりだが、結果はわからない。

小さな地方競馬場は小汚いのだが非常に楽しそうな感じで行くたびにワクワクするのだがすぐに目が覚めてしまうのでなかなかその競馬場の雰囲気を味わうことはできない。

競馬場が隣接していて同時に開催しているというのは非常に楽しそう。

すごくいいことが全く思い出せない

先週会社に行った時、業務が終わり同僚と雑談をしていた。

何かの話をした拍子にすごくいいことが頭の中に思い浮んだ、「よしそれを帰ったらやろう」って思ったのまでは覚えている。

だがしかしすごくいいことが全く思い出せない。

とんでもなくいいことだった気がするのだがホントウはどうだったのか。

あれは何だったのか?考えられるのは以下の通り。

  • とてもいいこと
  • すごいアイディア
  • すごく気持ちよくなれる何か
  • すごく儲かる何か
  • 宇宙の大きな謎が解けた

思いついた瞬間に忘れた感じだったので1週間以上そのことについて考え続けているのだが全く思い出せない。

あれはなんだったのか。

すごいことを思いついたという記憶自体怪しくなってきている。

説明する力が弱くなってる

私の勤める会社では毎年の仕事初めの日に新年のあいさつというものをする、その時に前年の反省と今年の目標とかをみんなの前で発表することになっている。

今年は去年に引き続きリモートでの開催となった。

特に何も考えずに話そうかと思っていたのだが、発表直前に何も考えていない状態だと話すことが全くないことに気づき焦った。

だが時すでに遅し、そのままの状態で発表に突入して、仕事でやりたい(ようなそうでもない)こと、仕事での課題(なのかどうなのかもよくわからないこと)などを話したというかゴニョゴニョとつぶやいた。

自分でも何を言っているのかわからず終始あいまいな笑みを浮かべたまま、みんなの映っているZoomの画面は直視できず発表は終了。

終わった後はぐったりした。

私の後に話した年上の社員は、内容はほとんどないもののゆっくりと笑顔で話していて、新年の挨拶はこうでなくてはならないと強く思った。

ちょっとこれじゃまずいなと思うのだが、まあいいか。

2021年のまとめ

去年の春ごろより始めたリモートワークは今年も続いたが、今年後半になり私は出社日数を増やした。

去年は新型コロナウィルスにより仕事環境が一変したが今年はちょっとだけコロナ前に戻ろうという気持ちが強くなった。

私の仕事および生活が今年はどうだったか下記にまとめてみる。

  1. 自転車に乗る時間が大切になる
    家で過ごしている時間が長いため、会社に向かって自転車を漕ぐ時間が外の世界を味わうための貴重な時間となる。今年は会社までのルートを見直してほぼ住宅街の中の道だけを通って行くという安全ルートに変えた。危ない道を通れば1時間くらいで着くところを1時間半かけて行っているがとても楽しい。

  2. ネットで何かを買うのが習慣化した
    新型コロナが流行する前もネットで色々買っていたが、コロナの流行を境にAmazon Primeの契約をしてまだ継続中。駅前のコンビニとか薬局で買えるもの(ウェットティッシュとか)をネット経由で買うようになった。今まではそういう細かいものは実店舗で買っていた。

  3. 会社に行きたい気持ちが強くなる
    2020年の春の時点では会社に行きたくない気持ちが強かったがほぼリモートワークの状態が1年半以上続くと飽きてくる、緊張感と仕事している感がほしくなる。

  4. 貴重な時間を無駄にしているのではないかという気持ち
    外に出なくてもいいという事が常態化してしまっていることが私の人生における「今」というものを無駄に消費してしまっているのではないかという焦りみたいなものが出てきている。登校拒否になった中学生の時の気持ちと似ている。

  5. この時間はだれかからのギフト的な何かなのではないかという気持ち
    焦りとは逆に、今までだったら何も考えずに外に出ていた時間を、外に出ない時間として過ごしているというのは何かの贈り物的ななにかなのではないかと感じている気持ちもある。なんつーかそう思ってる。

2021年の私の仕事について

去年は1年経ったら終息してるかもと思っていたが、2021年の終わりになっても新型コロナウィルスはいなくならなかった。

私の職場も1月から多くのメンバーがリモートワークで仕事をしていたが、年末になってだんだんと出社組が増えてきている。

今までは週1回程度の出社のお願いだったのが週2回程度は出社をしてくれと経営陣は社員たちにお願いをし始めている。

会社の業績は幸運なことにまだ落ちてはおらず、しばらくは潰れなさそうであるが新しい取引先との仕事が増えたりということもないのでこのままではやばいのではないかなとも思っている。

私の業務自体も去年とあまり代り映えがせず緊張感も乏しい、大いなるマンネリの期間という感じで楽ではあるがこのままではまずいという思いも強いので内心は結構焦っている気がする。

だがしかしなんというか刺激に欠ける一年であった、来年はどんな一年になるのか。

我々は何を待っているのか

オミクロン株が日本で大流行する嵐の前の静けさなのか新型コロナの感染者数は低い数で横ばいが続いている。

私が今勤める会社は出社人数が数人という状況がまだ続き、多くのメンバーはリモート勤務をしている。

毎日定時にプロジェクトのメンバーでリモート会議をしているのだが、いつも最後はコロナの話題となる。

オミクロン株の濃厚接触者がサッカー観戦をしていたというニュースが会議で話題にのぼった、会議のメンバーはその接触者にはかなり批判的で罰金刑を課せだとか、名前をさらした方が抑止力になるとか言っている。

罰金はともかく名前をさらすなんてどうかしてるがそんな判断力もつかなくなるほど疲れているのだろうと思うことにした、だって会社の同僚がそんな狭量な人間だと思いたくないから。

でもこんな意見が大半だとしたらコロナに感染したなんて軽率に言えないよね。

だから黙って観に行っちゃうわけなんだろう。

卵が先か鶏が先かという話だけど、感染者に優しい社会はたぶんいい社会だ。

新型コロナウィルスの感染が広がり始めた1年半くらい前から私はずっと何かを待っている、最近は何を待っているのかよくわからなくなってきた。

社員が逃げた会社みたい

新型コロナウィルスの感染者数は減ってきてはいるが、私の所属している会社のメンバーたちの多くは私も含めてリモートワークを続けている。

私は週に2回は会社に行くようにしているが多くのメンバーは週1回会社に来ている。

会社にいるのはいつも来ているメンバープラス、その日が出勤日の数人で多くて6人くらいというのがほとんど。

前に所属していた会社で業績が悪くなりドンドン歯が抜けるようにメンバーが辞めて行った時もこんな感じだったということを思い出したが、今の会社は業績が悪くなったわけではなく多くがリモート勤務になってしまっただけだ。

リモート勤務が始まったときはリモート勤務はなかなかに快適だったが、1年以上も続けてくると飽きてくる。

私の場合はPCのスペックが家より会社の方がいいので家のPCから会社のPCに繋げて作業をしているのだが、タイムラグがあるため家だとあまりはかどらない。

リモート勤務はいつまで続くのか、もうリモートは週1回くらいで十分だという気持ちになっている。

コントレイルはディープインパクトの後継種牡馬になれるのか

コントレイルがファンの期待に応えて引退レースのジャパンカップに勝利した。

2歳・3歳・古馬でG1を勝ったので種牡馬的にはかなり箔が付いた感じになり、ディープインパクトの後継筆頭に躍り出たことになる。

2022年の種付け料はキズナと同じ1200万円に設定された。

キズナはG1勝利が日本ダービーのみなので、競争成績ではG1を5勝のコントレイルがかなりリードしている。

ただ、キズナは種付け料250万からのスタートでここまで上がってきたので種牡馬実績という意味ではキズナの方がかなりリードしている。

ディープインパクトの後継種牡馬であるには父と同じ三冠馬であった方がいいという強い期待が実績でかなりリードするキズナと同額の種付け料という事になったのだと思う。

ただ、JBISサーチによると2021年の日本の種牡馬数は283頭に対し、父ディープインパクトの種牡馬は38頭で全体の13%も占めている。

さらに、ディープインパクトの父であるサンデーサイレンス系の種牡馬は、フジキセキ、アグネスタキオン、ダイワメジャー、ステイゴールド、ハーツクライ、ネオユニヴァース、ブラックタイド、マンハッタンカフェの系列などもひしめている。

実際、2022年の種付け料のトップは父系が非サンデーサイレンスのエピファネイアとサンデーサイレンスが血統内に含まれていないロードカナロアの2頭である。

これをサンデーサイレンスの血が入った繁殖牝馬がひしめく日本で打ち破るのは並大抵ではないだろう。

勝ち目があるとしたらエピファネイアやロードカナロアなどの天下が10年くらい続き、非サンデーサイレンス系の繁殖牝馬が増えてからかもしれない。

有馬記念を走ってくれコントレイル

明日(11/28)のジャパンカップはコントレイルが一本被りの人気になっている。

前日時点のオッズはコントレイル1.7倍、2番人気はシャフリヤール4.5倍、3番人気オーソリティ8.0倍となっている。

おそらく出てきたらコントレイルと人気を分け合うであろうグランアレグリア(引退)、クロノジェネシス、デアリングタクト、エフフォーリアは出走しないし、さらにBCを勝ったラブズオンリーユーもいないし、ソダシもいない。

ジャパンカップは日本で一番強い馬が世界の強豪を迎え撃つというレースのはずだが、今年は非常に物足りない顔ぶれ。本レースが引退レースでもあるコントレイルが三冠馬なら強いはず!というファンの希望も含めて1番人気に押し出された。

すでに同舞台の日本ダービーを勝っているので、ジャパンカップを勝っても種牡馬的な価値があがるとは思えないが何故か挑戦してきた。

去年もアーモンドアイが有馬記念ではなくジャパンカップを引退レースとしたが、その際はコントレイルとデアリングタクトというその年の三冠馬2頭が参戦していたのでまあ納得できた。

でも今年はコントレイルがジャパンカップを引退レースに選ぶ意味はよくわからない、今年は有馬記念がかなりのハイレベルになりそうなのでそれを避けたように見える。

ジャパンカップが毎年盛り上がりに欠けるのは外国馬があまり来ないのも一つの理由だとは思うが、ジャパンカップを勝った馬が有馬記念に出走しないのも大きな理由だと思う。

ジャパンカップは適当に走っていいから、引退を撤回して有馬記念も走ってくれないだろうか。

私はガンダムという作品を観たことも聞いたこともないし、好きでもなんでもない。アムロと言えば安室ちゃんだし、シャアってなんだよ、おしっこのことか 『アニメと戦争』

アニメと戦争

  • 書名: 『アニメと戦争』
  • 著者: 藤津亮太
  • ISBN: 978-4535587533
  • 刊行日: 2021年2月28日
  • 発行: 日本評論社
  • 価格: 2000円(税別)
  • ページ数: 261
  • 形態: ソフトカバー

私が小学生1年生になった1987年春、わが家にLD(レーザーディスク)デッキと新しいテレビがやってきた。

それまで私はテレビを観ることを禁止されていたが、LDデッキと新しいテレビの到着によりテレビ解禁となりLDも買ってもらえるようになった。

初めて買ってもらったLDはディズニーのアニメだった気がするが小学校3、4年になるとディズニーにはメカが足りないので飽きてきた。

そんな時に買ってもらったのがガンダムの『ポケットの中の戦争』と『逆襲のシャア』だった。

買ってもらったガンダムのLDをセリフを覚えるくらい何回も観た。

第二次世界大戦時の日本・ドイツ・アメリカがごっちゃに投影された「連邦軍」と「ジオン軍」というフィクションが少年の私には妙なリアルさ・ホントっぽさを感じさせてくれた。

それからはガンダムのプラモデルも作ったし、ガンダムを題材にしたゲームも結構やってきた。

でもガンダムを楽しんでる自分もいる一方で、現実世界の戦争はイヤなのに、なんでフィクションの中の戦争はOKなのか?という疑問もあった。

ガンダムを観たり楽しんだりすることへの罪悪感が私の中に芽生え、できれば”ガンダムが好き”であるということを他人に知られたくないという想いも大きくなっていった。

私の本棚やKindleにガンダムの本が並んでいるという状態を他人に見られるというのは、ベッドの下にあるエロ本を誰かに見られるよりも恥ずかしい、というより知られたくない。

「戦争ごっこ」を好む人間であるということを他人に知られるのがイヤなのだ。

実際に自分が戦争の渦中に投げ込まれるのはイヤなクセに「戦争ごっこ」は平気なの?と思われたくないし、実際に自分がそういう人間であるということも認めたくない。

誰かに好きな映画とかアニメ作品とかを聞かれたとしてもガンダムが好きですなんて事は言えないし言ったことも無いと思う(たぶん)。

同年代の友人とのお酒の席で話題が無くなるとガンダムの話題が出ることもあったが、あくまでもたしなみ程度に知ってるよって感じでごまかしてきた。

そんな時に『本の雑誌』に本書が取り上げられていたので、自分の中のアンビバレンツな気持ち的なナニかについて書かれているかと思って買ってみた。

本書は日本のアニメの中で戦争(第二次世界大戦)がどのように扱われてきたのかが書かれている。

主に扱っている作品は『桃太郎 海の神兵』、『ゲゲゲの鬼太郎』、『宇宙戦艦ヤマト』、『パトレイバー2』。

表紙にザクが描かれ帯には富野由悠季の「戦争を見たがる心、したがる心とは何か…」という文が書かれているので、『ガンダム』を中心に「アニメと戦争」を論じていると思ったのだがそうではなかった。

本書はそこには踏み込まずに、まずは日本のアニメにおける戦争の描き方を丁寧に追った感じで、心に踏み込むのは次!という感じだった。

本書の冒頭にある寺山修司の文が非常に気になった。

戦争の本質は、実は少年たちの「戦争ごっこ」の中に根差している。十歳や十五歳の少年が、戦争ファンであるあいだ戦争はなくならない。
少年たちが成長するように、彼らの「戦争」もまた成長していくのだから。
-寺山修司『さかさま世界史』より

これがホントウなのであれば私は『ガンダム』への想いを断ち切らなくてはならない。

ああ、困った。