「かと」で止めるのは止めたほうがいいかと

私が今働いている会社ではSlackメッセージのやりとりで業務を進めている。

で、最近同僚とSlackでやりとりをしていてイラっとした。

こんなメッセージを受け取ったのだ。

パターンA
  • 私: これって●●●でしたっけ?
  • 同僚A: そうです。なので、▲▲▲おく必要があるかと
パターンB
  • 私: サーバー落ちてますね。原因わかりますか?
  • 同僚B: ▲▲▲が原因かと

私が質問すると、「かと」で返ってくるのだ。

「かと思います」と書くところを「思います」を抜いて「かと」だけで済ましているのだが、で、どうなのよと私は言いたい。

「かと思います」という表現自体、理由が分かるだけでその後どうしていくかという今後の方針を意図的に隠してしまっている。

それをさらに「思います」を削っちゃったらどうなのよ。

私も同僚も問題の当事者だと思うのだが「かと」で止められると、「文脈を想像してみろよ、俺様が教えてやるからお前がやれよ」と暗に言われれているようだ。

何故止めるのか

文章を読んでいる時に「かと」が出て来ると、そのあとに何らかの言葉が来ると思ってそれを期待するのだがそれが無い。

なので脳みそはそのあとを想像してしまう。

小説じゃなくて業務上のやりとりなんだから、できる限り相手に対して解釈の余地を残さないようにしないといけないのになんでそういう言い方するの?

私のようにこれにイライラしている人が他にいないかとネットで調べてみると、こういう文章の書き方をしたり止めというらしい。

「はてなブログ」のタグのページなので本当なのかふざけているのかはよくわからないが「したり顔が浮かぶような顔で文章を止める」というのはよくわかる。

何故に質問に対してしたり顔になって答えるのか。

読む側を余計にイライラさせるので、「かと」は使わないほうがいいかと。

以上。

ワーニング問題に新たな局面

以前の記事で”warning”は「ワーニング」ではなくて、「ウォーニング」ではないかと言うことを書いたが、いまだに私の周りは「ワーニング一派」で固められていてイライラしている。

最近は会社のメンバーが”false”のことを「ファルス」と言っているのを聞いて、うーむとうなってしまった。

私みたいに細かいことを言っている人は会社にはいないので私だけがモヤモヤしているのだが、やっぱ元の言語に近い発音で言おうよ。

と思っていたらあることに気づいた、最近よく触れることの多いJAVAの”.war”ファイルのことを私は「ワー」ファイルと読んでいた。

よく見てみると、というか綴りからしてこれは「ウォー」である可能性が高い。

調べてみると確かに「ウォー」。

私は知らないうちに「ワーニング」一派と同じ読み方をしていた。

厳密に考えすぎると色々精神的に辛いのではないかと思いつつ、明日から”.war”ファイルのことを何て呼ぼうか迷っている。

※この投稿のURLが https://www.tanokatu.com/2021/05/16/kso-waring/ となっていたので修正しました。”waring”ってなんだ。

検温しても体温を忘れる問題

去年(2020年)の春の緊急事態宣言くらいから私の所属している会社では業務開始時に体温を報告することになった。

リモートの人も出社している人もslack経由で勤務開始の旨と体温を報告する。

私はたびたび検温を忘れてしまい勤務開始時に狼狽しているのだが、そもそも検温したとしても体温を覚えていないことも多くさらに狼狽する。

私は検温を忘れた場合は速やかに常に携帯している体温計をさっと取り出し検温をしているのだが(半分以上ウソ)、世の大半の方々(私以外の人々)はおそらくというかたぶんというか確実に適当な体温を書くことであろう。

私もその気持ちがわからないでもないというかよくわかるというか身に染みてわかるというか、「わかるわかる、それよくやるよね」なんて思うのだが、その場合その体温報告自体に意味はあるのであろうか。

そのことが気になって夜も眠れないし、それが原因で体温が上がり検温を忘れてしまいそうになる。

おそらく適当な体温を報告している多くの人々(私以外)は、適当な体温報告がばれるのを恐れて不眠症になっていることだろう。

そういえば最近私の所属している会社のメンバーたちの勤務開始時間が以前よりも遅くなっているような気がする、やはりみんな適当な体温を報告して、それがばれるのを恐れて不眠症になっているのだ。

適当な体温報告は控えめにした方がいいと、その人たち(私以外)に私は言いたい。

リモート勤務祝1周年

去年の4月の緊急事態宣言の前あたりからリモート勤務を始めてから1年が経過した。

リモート勤務とはいっても緊急事態宣言が出ていない時期は週1程度で会社に行っていたので完全リモートではない。

去年の今頃はさすがに来年にはなんとかなっているかと思っていたが状況はほとんど変わらず。

オリンピックをやるために緊急事態宣言を小出しにしているようだがアホなのか。

オリンピックの経済効果はわかるのだがそこまで意地にならなくても新規感染者数が1日xxxx人になったらやりますとか言えばいいのに、コロナが流行ってから「具体的な数字」を出すみたいなことがとってもおろそかにされている気がする。

オリンピックの銭勘定ができるんならそれぐらい簡単でしょって思うのだけど、そうもいかないのかってアホなのか。

「1964年の東京オリンピックの夢を再び!」みたいな感じも強烈にダサいし、オリンピックの2週間(1か月?)のためになんでこんなに我慢、というか不自由な思いをしなければならないのか。

  • A. 外出禁止 => 補償金は出すよ
  • B. 外出しろしろ => ワクチンはあるよ

おそらく上記のAかBを提示してくれたら安心できるのだが、AもBも実現されてない。

  • C. オリンピックやらないと景気がよくならなさそうだから(やってみないとわからんけど) => モロモロ我慢してね

今はCの方針に基づいて作った「お願い」を大本営発表みたいに垂れ流してるだけ。

大丈夫か、コレ。

大丈夫じゃないよね。

来年の今頃リモート勤務2周年を祝ったり寿いだりはしたくないよ。

映画の専門学校に入った

映画の専門学校に入学した。

授業には何回か出たのだが、単位が取れるのか心配になり始めた。

さらに、自分のお金ではなく親にお金を出してもらっていることもうしろめたくなってきた。

目が覚めた。

映画学校のパターンは初めてだ、今までの単位が取れない夢は中学・高校・大学のどれかだったが専門学校は初めて。

ただ映画学校だからと言って、特にそれっぽい演出がされなかったのが気になる。

授業に使うカメラが見つからないみたいな展開にはならなかった。

今回は漠然と単位が取れない不安だけを感じている夢だった。

もうちょっと起伏があってもよかったのに、私の頭が疲れているのか。

リモートだとすぐに連絡つかない問題

週に4日くらいは家でリモートワークをして、残りの1日出社している。

家でやっている時は気づかなかったのだが、会社からリモートワーク中の同僚と急ぎの会話をしたいとき結構もどかしいことに気づいた。

お互いが会社にいる場合は同僚の席まで行って聞きたいことを聞けばそれで済むのだが、slack越しでやり取りをしているとどうにも間延びしてしまう。

早くしてくれと思ってしまう。

ずっと会社に来ている上司は「連絡がすぐにつかないし何やってるかわからん」と以前言っていた。

その時は「この人は何を言っているのだ」と思ったのだが今ならその気持ちがよくわかる。

コロナ前より報告とか打ち合わせが極端に少ない会社だったのでプロジェクトがなんとか回っているのが不思議だったが、リモートになり報告と打ち合わせはもっと減った。

大丈夫なのかな?と思ってはいたのだが、たぶんこれは大丈夫ではなさそう。

週一で会社へ

緊急事態宣言が解除されてから会社に週に一回程度自転車で行っている。

会社にはつねに数人しか人がおらず閑散としているが、家より静かなので仕事がしやすい。

コロナ前のことはよく覚えていないから何とも言えないが街の人出はかなり少ない、人も車も自転車もチラホラと言う感じ。

東京ってもう少し人とか車がミッシリいた気がするが、それも遠い昔の記憶で本当にそうだったのかよくわからない。

国はオリンピックをなんとか開催したいようなので、こんな感じの雰囲気がまだまだ続くのか。

もう開催しなくていいよ。2週間程度のオリンピックのために1年以上我慢させられてるのはどうなのか。

みんなに金メダル配って、オリンピック開催して楽しかったねってことにして終わらせたらどうか。

裸で面接を受けてきた

面接官の一人が友人、もう一人は肌つやのいい髭の男性だった。

部屋には私を含めて3人の人間がいたが全員裸だった。

面接官の二人は私を採用する方向で話を進めているのだが、私にはどうにもその仕事に乗り気ではない。

どうやって断ろうかと考えていると、2人は気づかぬうちに服を着ていた。

私だけ裸だ。

なんで面接で裸か。

目が覚めた。

私の夢が新展開を迎えつつある、夢の私は転職に成功するのだろうか。

いや、転職できたとして、それは成功と言えるのか。

歩くだけで疲れる問題

会社まで電車で行った。

今日は自転車ではなく電車を使って会社まで行った。

緊急事態宣言が明けたが、そこまで渋谷は混んでいなかった。

久々に駅の啓文堂書店に行ったらガラガラだった。

渋谷駅から会社までは坂を上って歩いていくと10分弱くらいで着くのだが、最近はあまり歩いてないせいか非常に疲れた。

去年だったらこんなんで疲れるのかという距離なのだが、もう歩きたくないよとなってしまった。

1時間近くかけて自転車で渋谷に行くよりも、渋谷駅から仕事場までの10分ほどの方が疲れてしまった。

結構これはやばいかも、体力がかなり落ちてしまっている。歩いて会社に行った方がいいかもしれないが、家から何時間かかるんだ。