で、結局誰なの? 『下山事件最後の証言 完全版』

線路

  • 書名:『下山事件最後の証言 完全版』
  • 著者:柴田哲孝
  • ISBN:978-4396333669
  • 刊行日:2007年7月
  • 発行:詳伝社文庫
  • ページ数:602
  • 形態:文庫

下山事件の事を知ったのは、何気なく読んだ森達也の『下山事件(シモヤマ・ケース)』だった。

図書館で少し読んだだけだったのだが、気になったので後にアマゾンで買ってみた。

しかしハードカバーの本のため、電車の中で読めず(私の読書時間はほとんど外出先か電車の中であり、文庫に比べて大きなハードカバーはカバンに入らないので絶対に持ち歩かないのだ・・・)、そのままになっていた。

そんな時、この『下山事件最後の証言 完全版』を見つけた。

森達也の『下山事件(シモヤマ・ケース)』は、自分の親族が下山事件に関わったのでは?と疑う人物の登場で幕を開けるのだが、その人物こそが本書の著者である柴田哲孝なのである。

本の概要としては柴田哲孝の祖父が勤めていた亜細亜産業が下山事件に関わっていたのでは?という疑い、そして事件にはアメリカが深く関わっていた、という事を言っている。

しかし亜細亜産業の重要人物、矢板玄にインタビューを慣行するのを頂点に、柴田哲孝の文章のテンションがドンドンと落ちていく。

伏字も多くなり、結局誰が下山事件を起こしたのかをハッキリと言う事はなくこの本は終わるのだ。

矢板玄とのインタビューで何か確信みたいなものを得たものの、何かが怖くなって書かなくなったという風にも読める。

とすれば、そのインタビュー相手はかなり黒に近いのではないかとも推測できる。

ノンフィクションものとしてはいまいちの出来である、うーん。

しかし、ノンフィクションというよりも小説的には面白い。次々に明るみに出てくる新事実、ウソか誠か確かめる術はないのだが、その情報に右往左往する著者の姿もまるで小説の中の主人公である。

だったら、フィクションとして世に出せばよかったんじゃないか?

下山事件について気になる方は、色々な関連本が出ているし、さらにネットでも情報があるのでgoogleやwikipediaなどで自分で調べるように。

怪しいからこそやめられない『日本競馬 闇の戦後史』

競馬場

  • 書名:『日本競馬 闇の戦後史』
  • 著者:渡辺敬一郎
  • ISBN: 978-4062811569
  • 刊行日:2007年11月21日
  • 発行:講談社+α文庫
  • ページ数:336
  • 形態:文庫

普段なら私にとっては聞き慣れない名前である講談社+アルファ文庫の本を買う事はないのだが、「闇の戦後史」というコトバに魅かれて買ってみたのが本書。

闇の戦後史であるから、どのような生々しくて恐ろしい真実が書かれているのかと思ったが、何の事はない、おじさんの戦後競馬の回顧録である。

驚愕の新事実などは特に無いのだが、私の知らない戦後の競馬(私は1990年代からしか知らない)のお話はなかなかに興味深い。

特にこの本の面白さは八百長のお話と、ノミ屋(私設馬券屋、もちろん違法)のお話である。

競馬がまだ市民権を得ておらず、スポーツではなくギャンブルだった時代のニオイを感じることが出来る。

現在、馬券売り場に並びもせずに、家で悠々とネット馬券を買っている私には感じることの出来ない競馬のお話である。

しかし気になることがある。

この本には誤植なのかもしれないが、事実とは違うのではないか?という部分があるのである。講談社+アルファ文庫の「+アルファ」の部分は誤植や間違いの「+アルファ」なのではないかと意地悪な事を考えてしまう。

私の買ったのは第2刷だが、次に刷る時は直した方がいいんでないのかと思う。

競馬には常に八百長疑惑がついてまわる、基本的には競馬関係者は馬券を買うことができないという決まりなので、八百長は起きない、ということにはなっているが、競馬関係者が友人やら知人に馬券を買ってもらったらその前提はあいまいになる。

八百長でよくやるらしいのが、グリグリの本命馬をビリッけつにして、それに次ぐ馬たちを故意に勝たせるというもので、本命馬と二番手の馬の騎手を抱きこんでしまえば結構簡単にできるようである。

もちろんその騎手を抱きこむにはその騎手を脅したり、借金まみれにしたりという前工作が必要なようではある。

昔の地方競馬ではそういうことが結構あったらしい。

八百長ではないのだが、目標となるG1レースの前哨戦などで人気の実績馬が調教代わりにレースに出て適当に走って負けたりすると、騎手が故意に負けさせたのではないか?みたいな疑惑が浮上することがある。

そういう場合は、馬券を買っている人には非常に迷惑なので出馬表には「調整」とか「調教代わり」などという表記をしてほしいことがある。

つーか金返せ!

などと言いつつ毎週馬券を買っているので私も懲りない、なんつーかそのあいまいで怪しい部分も競馬の魅力なのである。

って何を言いたいのかわからなくなったが、とにかく今年も競馬を頑張るぞ!と思ったのだ。

文庫の値段が1,000円超え『略奪都市の黄金』

この本に宇宙人は出てきません

  • 書名:『略奪都市の黄金』
  • 著者:フィリップ・リーヴ
  • ISBN: 978-4488723026
  • 刊行日:2007年12月
  • 価格:1080円(税別)
  • 発行:創元SF文庫
  • ページ数:411
  • 形態:文庫

今からは遠い遠い未来、地球は荒れ果て、地上では「移動都市」達がお互いを食い合っていた・・・

都市自体が「ハウルの動く城」のようにキャタピラを持ち移動する、そんな都市達の世界、それが本作の舞台である。

本作は前作『移動都市』の続編にあたる物語、本作は「移動都市」で生まれ育った主人公が、苦難の冒険を繰り広げるという、ワリと単純なものである。

前作で「移動都市」というワリと突飛な設定が出てきたので、ひきこまれた記憶があるが、今作はその続編ということで特に驚きはない。

これを読むならば前作を読んだ方がいいと思う、一作目が良かったから二作目が出ましたという典型的なパターンだと思う。

しかし一番の驚きは値段である、文庫なのに1080円(税別)もするのだ。

最近文庫の値段が高騰してきている、特に単行本が発売されず文庫本が国内デビューとなるSF系の文庫にその傾向が強い。

ハヤカワSF文庫と創元SF文庫からの新刊はほぼ1,000円を超えていて、文庫だと思って手軽に手にとってレジに向かうと、3冊くらいなのに会計が3,000円を超えたりして、え?となる。

あまり売れないけど、購入する固定層がある程度は存在するし、たぶんそいつらは金を出す、っていうような市場調査の結果、文庫なのに1,000円超えという事態になっているのだろう。

結婚してから自分の自由なお金が激減したので、私は新刊のSF文庫をホトンド買っていないというか買えない、かといってSF文庫は古本屋に並ぶ率も非常に低く、ブックオフの100円コーナーなんかではほとんど見かけない、あまりに何も無いのでブックオフに入ってSFコーナーを覗くのすらやめた。

私はどこでSFを買えばいいのだ、あ、Amazonで中古の一円で出てるのとかを買えばいいのか。でも送料がすごいんだよな・・・送料が。

間違えて2回買った 『つげ義春1968』

つげ義春1968

  • 書名:『つげ義春1968』
  • 著者:高野慎三
  • ISBN: 978-4480037589
  • 刊行日:2002年9月10日
  • 価格:700円(税別)
  • 発行:ちくま文庫
  • ページ数:248
  • 形態:文庫

仕事が終わって、その後に人と会う予定があった。それまで時間が空いているので夕飯を食べてから喫茶店で本でも読もうと思って、新宿のジュンク堂で本を探していた。

それまでハシカにかかっていて、病み上がり(と言っても完治していない)の状態だったのでフラフラした頭で文庫コーナーをさ迷った。

ちくま文庫のコーナーで高野慎三の『つげ義春を旅する』と『つげ義春1968』が並んでいた。

無類のつげ義春好きの私としては、その二つの本を持っている可能性が非常に高い。

しかし『つげ義春1968』の表紙には全く見覚えがなかった、奥付を見ると初版の発行が2002年となっている。

2002年と言うと私は大学3年生でちょうどつげ義春に狂っている頃だった。

だからこの本を初版で買っている可能性が非常に高い。

でも、表紙に見覚えが無い、俺はこの本持って無いぞ!という思いが強くなってきた。だから買ってみた。

喫茶店で読み始めると、これはやっぱり読んだ事あるなぁと思い始めた。

家に帰って自分の部屋の本棚のつげ義春コーナーを見ると、見事にこの『つげ義春1968』がドデンと鎮座していた・・・

しかし読んだのは2002年のはずであり、それはかなり前の事である。

内容の細かいところなんて忘れている、だから続けて読むことにした。

本書はつげ義春が漫画雑誌ガロに問題作『ねじ式』を発表した1968年前後のつげ義春とガロ周辺の人々の事を、ガロの編集者だった高野慎三が綴ったモノである。

本書を読んだら、私はつげ義春を読みたくてたまらなくなった。

つげ義春好きじゃなきゃまず買わない本なので、つげ義春にまず興味を持っていたら文庫版のマンガが沢山出ているのでそちらをオススメします。

ナンパな文章で特攻隊の話をまとめた大傑作『KAMIKAZE神風』

零式戦闘機

  • 書名:『KAMIKAZE神風』
  • 著者:石丸元章
  • ISBN: 978-4167137083
  • 刊行日:2004年8月4日
  • 発行:文春文庫
  • ページ数:334
  • 形態:文庫

私のお気に入りの作家・高野秀行が「本の雑誌」誌上でオススメしていたのが今回紹介する『KAMIKAZE神風』。

謎の老人からの依頼をきっかけに石丸元章の元神風特攻隊員に対する取材が始まる。

巨大な助手キム、運転手でゲイのDボブ、成り行きで付いて来たキャバクラ嬢、そして薬で捕まった事のある筆者、キャラクターが立ちすぎな感はあるが、彼らの繰り広げる珍道中と元特攻隊員へのインタビューが渾然一体となって石丸元章ワールドを作り出す。

軽くナンパな文章にクセがあると思う方もいるかもしれないが、読み進めれば別にそんな事は気にならなくなるはず。

最後の章「痛みを抱きしめながら、あの旗を撃て!」の話は出来すぎな気もするが、まあ出来すぎでもそれはそれでいいんだねと思える出色の出来。

新宿に仕事の面接に行った帰り、新宿御苑のウェンディーズ(今はもう無い)でこの本を読み終えた。ちょうど昼前に店に入ったのだが、読み終わる頃には昼ご飯タイムの真っ只中となり店内はほぼ満員だった。

その真っ只中でちょっと涙ぐんでしまったが、まあいいやと思って読み終えた。

生きてて良かった、今が平和で良かったなと思った。

神風特攻隊の本を読むのはこれが初めてだったが、これぐらいの出来の本じゃなけりゃ他のは読みたくないな、なんてかなり勝手な事を思った。

家族の黄金時代 『かえっていく場所』

空

  • 書名:『かえっていく場所』
  • 著者:椎名誠
  • ISBN: 978-4087460315
  • 刊行日:2006年4月
  • 発行:集英社文庫
  • ページ数:299
  • 形態:文庫

人生には楽しくもはかなげな黄金時代というものがある、はずだ。

黄金時代というのはその時には気づかないのだが、あとになって「ああ、あの時は私の黄金時代だったのだな」と気づくものだと私は思う。

私の父は18年前に亡くなり、私が家を出るまでの10年間ほど私は母親と2人暮らしをしていた。その2人暮らし時代に母との間に出てきた話題というものは私が小学生の頃のものが多かった。

私が小学生の頃の家族の姿が、私と母の記憶および思い出に一番強く残っているのだろう。だからその頃の私の家族、それが私と母(と父)の「黄金時代」と呼べるものなのだろう。

父はもうこの世にはいない、母はもはや母と言うより「おばあさん」と言える年齢だ。母の兄弟である私のおじさん、おばさんも母と同様に「おじいさん、おばあさん」になっている。

本書は、椎名誠が家族の黄金時代を懐かしみつつ、再び結びつこうとしている自分の家族の話をするというものである。

家族は再び結びついて新しい黄金時代を迎えることができるのだろうか。

母との2人暮らしを終えて私は結婚をした。母の家から歩いて30分ほどのところで、子供を入れて4人で暮らしている、子供を連れて私が母の家に行くのが楽しみらしく母の笑顔が増えた。

今が我が家の新しい黄金時代なのかもしれない。

自分の失敗を他人に見せる勇気『キミは他人に鼻毛が出てますよと言えるか』

鼻毛

  • 書名:『キミは他人に鼻毛が出てますよと言えるか』
  • 著者:北尾トロ
  • ISBN: 978-4344407992
  • 刊行日:2006年6月
  • 発行:幻冬舎文庫
  • ページ数:307
  • 形態:文庫

少しの勇気とやる気を出せば出来る事をフリーライターの北尾トロが実行した記録がこの本である。

電車の中でマナーの悪い人に注意する、高校時代好きだった人に告白する、他人の鼻から出ている鼻毛を指摘する、競馬で一点勝負をする、電車で知り合った人とその日のうちに飲みに行く、ポエトリーリーディングに参加する、競馬場で席取りをしている人に挑む、などなど。

ちょっと気になるけど、勇気が無くて出来なかった事。

北尾トロは、出来ないままで終わったら後悔だけが人生に残る、と思い果敢にチャレンジしていくのである(と言ってもそこまで大仰なことではないけど)。

私にとって一番難易度が高いのは電車の中でのマナーの注意と電車の中で知り合った人とその日のうちに飲みに行く事であろうか。

電車の中で他人に対して悪感情もしくは好感情を持ち、その他人と交流をしなくてはならないというのが私には難しい。

前者はまあケンカになる確率が高い、後者はナンパみたいなもんである。

まあケンカもナンパも何が恐いかと言えば、失敗(殴られるとかフラレル)を第三者に見られる事であろう(私にとっては)。ええカッコしたいのである、失敗をするような人間であると他人に思われたくないのである。

だから電車の中でマナーの悪い人に注意しているおっさんや、街でナンパしている若者はスゴイなーと思う。

あと、結構難易度が高いのが競馬の一点勝負、これは競馬をずっとやっている人ほど実行ができないことだと思う。

初心者だとそもそも当たるかどうかもわからない、というか自分が当たる状態を想像すらしていないので、100円だけと言って一点勝負をすることになる、で、実際これが一番賢い買い方なのだが、なまじ何度か当たったことのある競馬中毒者はこれができない。

簡単な話なのだが、詳しくなればなるほど出馬表に出てくる馬たちを知るようになり、1枠のこの馬は前走はダメだったけどこの条件ならよさそうだし、2枠の馬はお父さんが好きな馬だし、3枠に乗っている騎手は今日は調子よさそう、4枠は毛ヅヤがいいよね~、5枠は勝ちまくってるから今回もいいとこ行きそう、6枠は俺のラッキーナンバーが6だから・・・

結局買った馬券を見てみると、どれが本命だったのかわからない、さらにどのパターンが来ても馬券を買いすぎたためギリギリプラスになるかならないか、じゃあ最初から一番来そうにない最低人気を100円だけ一点買いでもしといた方が、よかったよ。ハハハ、なんて思ってレースを見るとその最低人気が1着で単勝100円がなんと5,000円になる大穴馬券・・・

で自分の馬券は全部外れ。

なんてことになるのである、さらに当たっていても結局は自分の本命馬を一点買いしていた方が配当も大きい。

たとえば、1着を当てる単勝馬券が下記のような倍率の場合。

本命:3.2倍

対抗:5.6倍

3番手:8.7倍

三頭の馬券をそれぞれ買うと、100円×3で300円となり、配当は320円から870円の間となる。三頭のどれかが来る限り、最低でも320円の配当なので損はしない、でも、300円買って320円ということは20円の儲けであり、だったら買わないほうがましである。

だが、本命の一点買いをした場合、100円が320円になる可能性があり、さらに三頭に賭ける予定だった300円を一挙に投入すれば300円が960円になる可能性があるのである。

当たりやすい買い方での薄利を狙うか、一点で儲けを狙うか、そもそも当たりやすい買い方とは言っても一点買いに比べれ少しだけ当たりやすいだけで絶対当たるわけではない。

だから大体においてというかほぼ絶対一点勝負の方がワリがいいのである。

でもわかっちゃいるのにやめられないのが馬券の買い方であり、まあそれが楽しいのかもしれないが、ホントに一点買いは難しいのである。

はい、泳げませんでした 『はい、泳げません』

プール

  • 書名:『はい、泳げません』
  • 著者:高橋秀実
  • ISBN:978-4104738021
  • 刊行日:2005年6月23日
  • 発行:新潮社文庫
  • ページ数:191
  • 形態:文庫

カナヅチの筆者がスイミングスクールに通い、泳げるようになるまでの記録を綴ったのが本書である。

私も小学生の頃は泳げなかった、あれは全国的なものだったのかわからないのだが私の小学校では何メートル泳げるか、どんな泳法が出来るかで、子供達はクラス分けされていた。

クラス分けというと聞こえはいいが、つまり子供達に階級がついていたのである。下は10級で、上は1級であったはずである。

その階級がすぐにわかるように、我が小学校の子供らは軍隊の階級章のように水泳キャップに印をつけられていた。

確か10級は黄色い線が一本、9級になると二本、そのように一本づつ線が増えていき、5級くらいで線の色が白に変わり一本にまた戻るというような感じだったはずだ。

1級は確か青色の線だった気がする。

しっかり頭の水泳キャップに階級が書かれているので、子供らはみんなプールでは同級生の顔よりも先に頭の上のその「階級章」を見て、「あ、こいつ泳げないんだ」とか「すげーコイツ100m泳げるんだ」とか思うのである。

私は泳げない上にそのような軍隊式階級社会にも耐えられなかったので水泳の時間が大嫌いであった。

結局、私は小学校の授業ではうまく泳げるようにはならず、中学生の時に友人が海でとても楽しそうに泳いでるのを見て、ボクも泳ぎたい!と思って泳いだらすんなり泳げるようになった(まあちょっと不恰好ではありますが)。

高橋秀実はスイミングスクールで「何で泳ぐのだろうか?」という考えてしまったら元も子もない問題を考えながら泳ぐ。

そんな小難しい事を考えているので泳ぎの上達は遅い、しかしついに彼は泳げるようになるのである・・・

最後まで結局泳げなかったら面白いなと思っていたが、ラストで義理の弟(いとこだったかな?)に泳ぎ方を教える場面はなかなかに秀逸。

ただこの作品の面白いところは筆者が通うスイミングスクールの生徒達(特に女性)に言われる辛辣なセリフである、なんだか身につまされるがなかなかにゾクっとするものがあるのだ。

父親にとって娘は 『海ちゃん、おはよう』

父と娘

  • 書名:『海ちゃん、おはよう』
  • 著者:椎名誠
  • ISBN: 978-4022643292
  • 刊行日:2004年5月14日
  • 発行:朝日文庫
  • ページ数:306
  • 形態:文庫

椎名誠の子供と言えば息子の岳君が有名であるが、本書は娘の海ちゃんが主人公の物語である。

実際の娘の名前は海ちゃんではないらしいのだが、椎名誠が娘に一番付けたかった名前が海ちゃんだったのかもしれない。

20代中盤に結婚し、しばらくして娘が出来た椎名誠夫婦。その当時の自伝的実話的小説が本書である。

娘の誕生にアタフタし、娘の笑顔に幸せを感じる若いお父さんの温かい文章。

主人公(椎名誠)が初めて海ちゃんに出会う時、「小さな赤いニンゲン」という言い方をするのだが、その表現がなんだか初めて出会う赤ちゃんというものに対する適切で温かい表現だなと思った。

話の時代背景としては椎名誠がデパート業界雑誌に勤務している頃であり、椎名誠の代表作である『哀愁の町に霧が降るのだ』から続く自伝的小説シリーズのアナザーストーリー的な部分もこの本にはある。

我が家の2番目の子は女の子だった、最初に生まれたのは男の子だったのでというか私の一方的な思い込みなのかもしれないが、私が男であるので息子は自分の分身のような感じがするのだが、女の子はそんな感じがしなかった。

どう接すればいいの?女の子っつーのは父親にとってどんな存在なのか、どうなんだ?と思ったのだが時々私がよくする困った表情にそっくりな顔をしたりして、女の子も男の子も一緒だなと思ったのだが、やっぱり女の子は謎だなと思ったりもする今日この頃なのだ。

鉄塔文学の大傑作が生まれる予感 『鉄塔 武蔵野線』

鉄塔

  • 書名:『鉄塔 武蔵野線』
  • 著者:銀林みのる
  • ISBN: 978-4797342642
  • 刊行日:2007年9月21日
  • 発行:ソフトバンク文庫
  • ページ数:496
  • 形態:文庫

「鉄塔武蔵野線」に初めて出会ったのは15年ほど前の夏休み(学生時代)の事だったと思う。

予定の無い日だったので、朝遅く起きてテレビをつけた、特に観たい番組があったわけではなかったし面白い番組があったわけではなかったのでNHKの衛星放送にチャンネルを回すと映画「鉄塔武蔵野線」(監督:長尾直樹、1997年)が放送されていた。

鉄塔に興味を持つ少年が、近所の鉄塔がどこまで続いているのか?という疑問を持ち鉄塔を辿って行くという至極シンプルな作品であった。

「少年の夏休み」が凝縮されたような映像が続き、私は息苦しくなりしばらく観てからテレビを消した。

別に「少年の夏休み」が不快だったわけではなく、うらやましかったのだ。

当時の私は鉄塔に興味を持ちただひたすらに鉄塔を辿って行くような気力と情熱が無かった、少年のその情熱というものがうらやましく眩しかった。

さらにこっちは今日の予定が無い、夏休みの午前中なのに。この映画好きだけど、なんだかこれ以上観ていたら居たたまれなくなり切なくなるなと思って消したのだ。

今度観よう、と思った。

そしてそれから数年後、レンタルビデオ屋で私は「鉄塔武蔵野線」のビデオを借りたのだ。

しかし、その時ビデオで観た映画「鉄塔武蔵野線」の感想は「なんだか鉄塔が映っているだけだな~」というものだった。

もう少し面白いと思ったのだけどな~、やはり観る時期が重要だったりするのかな?と考えた。

こちらとしては衛星放送でチラリと観た時の感動のようなものが残っているので、それでもまだ「鉄塔武蔵野線」への興味が消えたわけではなかった。

原作があるのも知っていたのでいつか読もうと思っていた。

そして『鉄塔武蔵野線』の文庫本が出版されたのである。

結構前に新潮文庫から文庫化されたのだが、それからかなりの変更を経て復刊されたのである。ソフトバンク文庫から復刊である、ソフトバンク文庫って・・・なんじゃそりゃ。

少年が鉄塔を一つ一つ辿り、その鉄塔の写真がページ毎に掲載されているというような形態の本である。

文章を読んでも、写真があるのでそっちに目がいってしまいちょっと集中がしにくい読書となってしまった、文章もあまりうまいとは私は思えず、どうにも「うーん」であった。

筆者の銀林みのるをネットで調べるとこの作品以来作品を発表していないようだ(未単行本化の物語が一本あるようだが)。

今何をしているのかはよくわからないのだが、ヒマなはずである(たぶん)。

鉄塔という題材自体は面白いと思うし、鉄塔の美しさと魅力はこの本から伝わってくる。

だから、もし銀林みのるさん、仕事がないならこの『鉄塔武蔵野線』から派生した続編だったり外伝だったりを作ったりして、色々な鉄塔作品を生み出してみたらいかがでしょうか。

多分、その沢山の作品の中からホントウの鉄塔文学の大傑作が生まれると思いますよ、なんつって。