岩井三四二の小説は短く感じる『崖っぷち侍』

崖っぷち侍

  • 書名: 『崖っぷち侍』
  • 著者: 岩井三四二
  • ISBN: 978-4167903190
  • 刊行日: 2015年3月10日
  • 発行: 文春文庫
  • 価格: 720円(税別)
  • ページ数: 354
  • 形態: 文庫

安房(千葉県)を本拠とする里見氏は相模を拠点とする北条氏との戦争に明け暮れていたが、豊臣秀吉の小田原攻めにより運命が変わっていく。

小田原攻めでは秀吉が勝利したのだが、秀吉の怒りを買い里見氏は減封される、関ヶ原の戦いの後には加増されるものの、その後改易されてしまう。

本書はその里見氏の家臣である金丸強衛門を主人公とした戦国時代小説である。

金丸強衛門は主家が頼りにならないので、前から行なっていた廻船商売に本腰を入れ始め、たくましく生きていく。

岩井三四二の小説は人物造詣が非常にうまくできていてストーリーもしっかりしているのでこれ以上の説明は野暮かもしれないが、いい意味でも悪い意味でもストーリーとか語り口に特徴が無い、つまり変なクセがない。

私は岩井三四二の作品はこれまで『霧の城』、『おくうたま』、『理屈が通らねえ』の3作品しか読んだことは無いが、強烈な印象を残さない代わりに妙な後引き感みたいなのがある。

なんだろう、もっと読んでいたいな、というような感覚である。何でかと考えてみると、それは主人公の選び方がうまい作家なのではないかなと思う。

『霧の城』の主人公は武田家の家臣としては有名だが小説の主人公にはしにくい秋山信友、『おくうたま』は信長に滅ぼされた浅井長政の庶子が主人公、『理屈が通らねえ』は算法者の二文字厚助が主人公である。

最近の時代小説というか、戦国時代の小説は織田信長、豊臣秀吉、徳川家康などの戦国の大有名人を主人公にした物語よりも、信長の家臣であるとか、秀吉の家臣、はたまた家康の家臣を主人公にしたものが結構多い。つまり大名ではなく、その配下である中間管理職の武将を主人公にしたものが流行っているのだ。

バブル期に中小企業の社長が金持ってウハウハしていた頃とは打って変わり、最近は独立はハイリスクとみなされ、寄らば大樹の陰と大企業に入っていることがステータスになっているような気がするが、その大企業でさえクビになるかもしれないし円形脱毛症になるかもしれないし結構大変なんだ、それに海外企業に買収されるかもしれないし・・・

みたいな世相を反映しているのか、中間管理職モノが大流行である。中でもやはり信長を主に持った武将やら職人やらの悲哀を描いたものが多い。

で、まあそんな大企業に勤めるというか、上から圧迫される側(『おくうたま』形は違えど信長からの圧迫の末、家が無くなった)をたくさん書いているのが岩井三四二なのだと思う、本書を入れて4冊しか読んでないけど。

本書はその最たるもので、自分の主は信長ほどの実力は無い、だからそれに伴って自分たちの実力(兵力)もない、だから時代の波に翻弄されるわけなのだが、主人公は後世に名を残すような有名な武将でない分、非常に粘り強い。

つまり世間知らずのボンボンでない分、しぶとい。

もっと読んでいたかった。本書もこの3倍くらいのボリュームで出しても問題ない。

というか戦国時代を舞台にした小説は押しなべてみんな短い。戦国時代の小説は大体において主人公の一代記になるので、1人の人生分くらいの長さの物語を1冊の小説で語らなくてはならなくなる。

だから、重要と思われるような合戦とか事件の描写が思ったよりも短くなり、読者はあれ?こんな軽い扱い?なんか短い気がするな、となるのである。

唯一ちょうどいい長さかなと思ったのが山本一力の『朝の霧』くらいで、これは一代記ではなく主人公の破滅という部分にターゲットを絞ったためそうなったと思われる。

それ以外の戦国時代の小説はとにかく短い、戦国時代の小説の印税はページ枚数が増えれば増えるほど割合が増えていく、みたいな形式にして作者に枚数を競わせるような出版社が出てきてもいい。

余韻がずっと醒めない映画みたいな傑作 『平原の町』

平原の町

  • 書名: 『平原の町』
  • 原題: “CITIES OF THE PLAIN”
  • 著者: コーマック・マッカーシー(Cormac McCarthy)
  • 訳者: 黒原敏行
  • ISBN: 978-4151200588
  • 刊行日: 2010年1月20日
  • 発行: ハヤカワepi文庫
  • 価格: 1,060円(税別)
  • ページ数: 495
  • 形態: 文庫

私がコーマック・マッカーシーの作品を初めて読んだのは『ザ・ロード』である。

終末SFの作品として紹介されていたので、読んでみたのだがあまりに暗くて気持ちがどよーんと落ち込んだのを覚えている。

ストーリーは父と息子が最終戦争後のアメリカと思しき場所を安住の地を求めて彷徨するというもので、SF的な説明などはほとんど無く、疲れきった親子の会話を中心に話が進んでいくという、とにかく絶望的な話だった。

最後にはほんの少しだけの希望が示されるのだが、それが希望なのか、ホントに希望と受け取っていいのか悩むような希望である。

SFを読みたいと思って読んだのに、なんというか強烈なカウンターパンチを浴びてしまい、読後の印象は悪かった。

しかし、少し経ってから越境三部作が売られているのを見て、3冊全部買ってしまった。(正確には『すべての美しい馬』と『越境』を買って数日してから『平原の町』を買った)

もっと正確に言うと『すべての美しい馬』と『越境』を買ったのが2010年の11月27日、『平原の町』を買ったのが同年の11月30日である。

ついでに言うと11月30日は私が初めてのスマホであるシャープのIS03を買った日だ、すごい期待していたスマホだったが、初期のAndroidはとにかくなんつーかがっかりな出来だった。

って関係ないか。

正確に日付けがわかるのは私が日記をつけているからなのだが、それもまた関係ない。

『平原の町』はコーマック・マッカーシーの越境三部作の第三作目であり、本作では『すべての美しい馬』の主人公であるジョン・グレイディと『越境』のビリー・パーハムがメキシコとの国境近くの同じ牧場で働いている。で、本作の主人公はどちらかというとジョン・グレイディである。

『すべての美しい馬』と『越境』とたしか『ザ・ロード』もそうだったが、本作も登場人物たちが喋るセリフに鉤括弧(「」)がない。最初はそれに戸惑うが、だんだん慣れてくると映画のワンシーンをスローモーションで見ているような陶酔感を味わえる。

『すべての美しい馬』と『越境』はページに文章が詰まっていて少し読みにくかった記憶があるが、本作は改行が結構あるので読みやすい。

しかし文章を1回なぞっただけではすぐに頭に入ってこない、これはグレイディが喋ったのか、それともビリーが喋ったのか?よくわからないので何度も何度も読み返すのだ、それが映画をスローモーションで見てるような感覚を呼び起こすのだろう。

溶けなくて絶対に飽きないアメをなめているみたいだ、舌がしびれることも無い。私は読み終わったけどまだ、私の口に入っているアメは全く溶けてない感じだ。

ストーリーは解説を読めばいい、解説は非常によくまとまっている。ストーリーを追うタイプのエンタメ作品ではないのでストーリーが気になるのであれば解説を読んでから買えばいい。

取り留めの無い説明になったけどすごいいい映画を1人で映画館で見て、帰りの電車の中でも映画の余韻から醒めない、みたいな状態がずっと続くような読書体験ができる。つまり傑作だ。

文禄・慶長の役は暗いんだよな 『黒南風の海』

黒南風の海

  • 書名:『黒南風の海』(くろはえのうみ)
  • 著者:伊東潤
  • ISBN:978-4569760957
  • 刊行日:2013年11月26日
  • 発行:PHP文芸文庫
  • 価格:762円(税別)
  • ページ数:413
  • 形態:文庫

文禄・慶長の役(1592~1598年)で、加藤清正陣営から朝鮮側についた佐屋嘉兵衛と、朝鮮側から加藤清正側についた金宦(良甫鑑)、この日本と朝鮮の2人の主人公の葛藤を描いた歴史小説が本書である。

明を征伐するために、朝鮮半島へ侵略する日本軍の中で、佐屋嘉兵衛は徐々に戦いの大儀に疑問を持ち始める、そんな中朝鮮軍に捕らえられた彼は日本軍への使者の役目をさせられることとなる・・・

結末は文禄・慶長の役と同様苦い。佐屋嘉兵衛と金宦の文禄・慶長の役での活躍を描いた物語なので戦争の後の彼ら2人のその後が詳しく語られないのが残念、その後が気になる。

戦国時代とその前後の時代の歴史小説はかなりの数が出ているはずだが、文禄・慶長の役を主題にしたモノはあまり出ていないはずである。

何故なら、話が暗くなるからである。信長・秀吉に仕え、関ヶ原では勝ち組になった武将を主人公にした歴史小説などを読んでいても、文禄・慶長の役はサラリと流されてしまうことも多い。

あれ、これだけ?と。

加藤清正にしても、小西行長にしても、文禄・慶長の役で彼らがなにを行なったかを書いてしまうとカッコいい武将の物語のはずなのに、あれ、薄汚い政治家に過ぎなかったの?みたいな印象を読者に与えてしまい困るのであろう。

戦国時代のヒーローであるカブキ者・前田慶次郎を描いた『一夢庵風流記』でさえ、文禄・慶長の役の描写に限り非常に暗い気がするし妙に短い、でそのスピンアウトとなったマンガ作品である『花の慶次』ではなんと、慶次郎は朝鮮ではなく琉球に向かっている。

『花の慶次』は『週刊少年ジャンプ』で連載されていたので、文禄・慶長の役は少年たちにはあまりにヘビーだと判断されたのだろう。実際、琉球編から別のマンガ、いい意味でも悪い意味でもジャンプのマンガらしくなった。って『花の慶次』の話ではなかった。

文禄・慶長の役は他国(尾張とか美濃とかの国じゃなくて海外の国)に対する侵略戦争である、戦争が終わって朝鮮半島に泰平が訪れていたら侵略に大儀が生まれて解放戦争という扱いになっただろうが、そうはならなかった。

平たく言えば、日本の軍隊が外国に行って、そこの住民から食料を取り上げ、さらに住民を殺して、その後に何も残さなかったのである、大儀も何も無い。日清戦争から太平洋戦争に至るまでの日本の侵略戦争となんら変わらない。

信長が殺された本能寺の変を頂点として、戦国時代もののネタというのは面白みがなくなっていくと私は考えているが、たぶんそれは秀吉が暗くなるからだろう、なんでこんなに暗くなるか、専制君主は暗いのか、そうか、そういうことか。

「本屋が選ぶ時代小説大賞」を受賞したという帯がまかれているので、エンターテインメント大作と勘違いしてしまうかもしれないが、エンターテインメントならほぼ同じような題材の『徳川家康 トクチョンカガン』(荒山徹)をオススメする。

って、本書が面白くなかったかと言われれば、そういうわけではない、ただ歴史小説や時代小説に爽快感を求めているとするなら、ちょっとオススメできない。読後に気持ちがどんよりするので、心して読むように。

新・さ迷える転職大変記 第11話 「心療内科、ついに終了」

ok

また、かなり間が開いてしまったが、今回もいきなり始まる。

フレンドリーな会社に面接に行きちょっと落ち着く

前回、何をやっているかわからない会社に行き、当然のように破談となったが、それから1ヶ月後くらいにまた面接に行ってきた。

JR秋葉原駅近くの普通のマンションにあるソフト開発会社であるが、色々な会社のプロジェクトに社員を出向させている、まあ実態はIT系の派遣会社である。

迎えてくれたのは社長と人事のおじさんで、詳しくは聞かなかったが2人で会社を立ち上げたようである。

現状は派遣会社になってしまっているが、将来的には出向している社員を本社に戻し、会社もこのマンションから広いところに引っ越して受託開発を自社でしたいという野望を持っているようであった。

この会社のおじさん2人はかなり腰が低くフレンドリーだったので、現状(給料下がったこととか、ちょっと精神的に参っているとか、心療内科に行っていることは伏せたがちょっとほのめかしはした)を正直に話した。

で、彼らから出てきた答えは「デザイナからプログラマに職種が変わるし、さらにまずは出向という形になるからかなり環境が変わる、給料も少し減るだろうから家族いるけど大丈夫か?というかまずちょっと冷静になれ」というかなりまっとうなものだった。

実際に私を採用するかどうかということではなく、まず、私の現状を心配された感じである。

まあそうだよな、と思った。

社長は私の誕生日が彼の娘の夫、つまり義理の息子と同じだったのもあり、かなり親身になって色々話して聞いてくれた。

今私が行っている心療内科の先生より親切な感じだった。

彼が話している中で「プログラミングのセンスは、まとめて、伝える力」という発言が出てきたのだが、プログラミングだけでなく仕事をする際に一番大事なことであるなと思った。

逆に、それが無いとどこ行ってもダメだということである。

少しだけ今所属している会社で頑張ってもいいかなと思った。

2人からは、「すぐに結論は出さずに、色々考えてやっぱりプログラミングしたいならもう一度直接でいいから連絡くれ」と言われた。

ありがたいことである。

転職活動というのは、ドラクエで知らない土地にひのきのぼうだけ装備した状態で行って、次々と襲ってくるバラモスみたいなのから色んな攻撃魔法を浴びてもジッと我慢をするというイメージだったが、人の心を持った優しい人たちもいるのだな、ということがわかった。

こういうまともな感じの人たちがやっている会社もあるのだな、本当に困ったらここに連絡しようと思った。私は今がどん底のように感じてしまっているがそんなことは無いんだよなと思った。

心療内科終了

で、そんな中心療内科に行ってきた。

薬をほとんど飲んでいないことなどを話すと、じゃあ終わりにしましょうと言われた。

実際俺の何がわかっているのかよくわからない先生ではあったが、心療内科の先生が「終わりにしましょう」と言ってくれたことは、「まあなんとかこの人大丈夫そう」、と思われたということなので、そのことに少しほっとした。

いつも心療内科の隣にある薬局で薬をもらっていたが、今日はそれも無しで、お金だけ払って外に出た。

少し空がキレイに見えた。なんつって。

連載 「新・さ迷える転職大変記」バックナンバー

フラショナールのスーツが着てみたい 『カエアンの聖衣』

カエアンの聖衣

  • 書名: 『カエアンの聖衣』
  • 原題: “THE GARMENTS OF CAEAN”
  • 著者: バリントン・J・ベイリー(Barrington J. Bayley)
  • 訳者: 冬川亘
  • ISBN: 978-4150105129
  • 刊行日: 1983年4月30日
  • 発行: ハヤカワ文庫
  • 価格: 660円(税別)
  • ページ数: 342
  • 形態: 文庫

高価なカエアン製の衣装を大量に積んだ宇宙船がとある惑星に不時着する、そのお宝を秘密裏に回収したリアルト・マストとペデル・フォーバースが本作の主人公。

ペデルはお宝の中に、カエアンの伝説の服飾家(サートリアル)であるフラショナールが幻の生地プロッシムで作ったスーツがあるのを見つける。惑星カエアンでは人間の中身よりもその人が着る衣装が重要とされ、その衣装にも不思議な力が宿っており、人々は様々な衣装を着けかえることで見た目だけでなく人間の性格や能力も変わってしまうのだという。

フラショナールのプロッシムのスーツはそのカエアン文明の生み出した最高傑作の衣装であり、ペデルはそのスーツを着ることで超人的な能力を発揮し、権力の座に登りつめようとするが、実はプロッシムという生地は知能を持っていて、人間に寄生し支配しようと企んでいたのである...

着る服で能力が変わるとまでは行かないかもしれないが、気分が変わって一種の高揚感を得ることはある。一番わかりやすいのがスーツだろうか、わたしはあまりスーツを着る機会がないのであるが、たまに着て歩いていてビルのガラスに自分の姿が映ったりすると、あ、スーツもたまにはいいかもと思う。

気取った店だとフォーマルな格好じゃなきゃだめよ、といわれたりもするし、実際仕事の面接などにビーチサンダルと短パンなどで行くと、人格が高潔で能力抜群であっても、社会性を疑われることになりおそらくというか絶対面接に受からないだろう。

もっとわかりやすい例で言えば、夏に真っ裸で道路を歩いていたら警察に捕まる、つまり現代の社会もカエアンと似たような感じにはなっているのだ。って当たり前か。

でも、このフラショナールのスーツ、着てみたいな、一度だけ。

続編はまだ出ない 『タフの方舟』

タフの方舟

  • 書名:『タフの方舟 1 禍つ星』、『タフの方舟 2 天の果実』
  • 著者:ジョージ・R・R・マーティン
  • 訳者:酒井昭伸
  • ISBN:978-4150115111、978-4150115166
  • 刊行日:2005年4月30日、2005年5月20日
  • 発行:ハヤカワ文庫SF
  • 価格:840円、700円(ともに税別)
  • ページ数:479、351
  • 形態:文庫

大昔の失われた技術で作られた巨大な宇宙船・方舟号(全長30キロメートルくらいある)に乗るのは船長のタフとその飼い猫達。

方舟号には宇宙の様々な種類の生物のDNA情報が蓄積され、そのDNAを持つ動物を短時間で「創造」する事ができる。
夢のような船である。

タフは自称「環境エンジニア」であり、失われた古代のクローン技術を使い、さまざまな生物を作り出しトラブルを解決する。困っている惑星があると、そこにフラリと”タフ”と方舟号は現れる。そして法外と思われる値段をふっかけて笑ゥせぇるすまんのように「私に解決出来ますが、ドーン!」、と迫る。

最初は「そんなにお金払えない!高い!」と言っていた困っている惑星の人々も結局その金を払う事になってしまう。

という連作短編集が本作である。
SFの装いをしているが、中身はいわゆる名探偵モノに近い。

ちょっと変わった刑事か探偵(古畑任三郎やとかポワロみたいな)が、まわりをヒヤヒヤさせながら事件を解決する、というようなあれである。

また、酒井昭伸氏の翻訳がいいのか、出てくる生物の名前が面白くてかっこいい。
艨艟(もうどう)とか、鋼牙(こうが)とか、『獣の奏者』に出てくる闘蛇を思い出したが、あれより名前のレパートリーというか引き出しが多い気がする。実際の英語版ではどんな名前になっているのだろうか。

「もうどう」なんて、どうやって訳したらその名前が出てくるのか、なんかよくわからんけどスゴイ化け物感ってのが出てて、スゲーなー。スゲーなーってプロに失礼か。

酒井昭伸氏は私の大好きなハイペリオンシリーズも訳しているので、この人の翻訳が私は好きなのだろう、たぶん

巻末の解説で酒井氏も書いているが、ハイペリオンが好きな方であれば本作も好きになること請け合いである、カヌーとかアイネイアーとかシュライクは出てこないけど。

このシリーズの唯一の欠点というか大いなる不満点は、まだタフの方舟シリーズは2巻までしか出ていないということである、ページ数で言うと800ページちょっとだ。連作の大SFシリーズになる余地があるのに残念な事である。

今後、大SFシリーズに育っていくことを期待したいが、作者のジョージ・R・R・マーティンは大人気シリーズである『ゲーム・オブ・スローン』(氷と炎の歌)で忙しそうなので酒井さんが続編を代わりに書いてくれないだろうか、どうかな、やっぱダメかな。

ハイペリオンシリーズの続編・・・ではないんだけど 『宇宙船とカヌー』

宇宙船とカヌー

  • 書名: 『宇宙船とカヌー』
  • 著者: ケネス・ブラウアー
  • 訳者: 芹沢高志
  • ISBN: 978-4480022363
  • 刊行日: 1988年6月28日
  • 発行: ちくま文庫
  • 価格: 950円(税別)
  • ページ数: 420
  • 形態: 文庫

本書は理論物理学者のフリーマン・ダイソンとその息子で科学史家であるジョージ・ダイソンを主人公とした、伝記ノンフィクションである。

著者はジョージ・ダイソンと一緒にカヌーでの旅などをしていたケネス・ブラウアーというノンフィクション作家である。

本書が普通の伝記モノと大きく違うのは、主役となる人間が2人いて、その2人が親子であるということである。

フリーマン・ダイソンと言えばダイソン・スフィアやダイソン・ツリーなどのSFでよく使われる小道具を考え出した人として私は記憶していたが、実際には物理学者であり数学者であり、原子力発電の研究にも携わっていたという、まあつまり科学界の有名人である。

伝記モノらしくダイソン親子の生い立ちなどにも触れつつも、ページの多くはジョージ・ダイソンのカヌー(カヤック、バイダルカ)を中心として話は進んでいく。

科学技術で宇宙のフロンティアを見つけそこに小さな共同体を作ることを夢見る父、カヌーによって地球のフロンティア(主に北極圏周辺)を旅しそこに小さな共同体を作ることを考える息子。

物理学の世界で生きる父と、カヌーの世界で生きる息子であるが、目指すものは非常に似通っているというのが面白い。

本書を前に読んだのは今から10年前、当時私は独身であった。だから私は息子であるジョージ・ダイソンに自分を投影して読んだ、しかし私には数年前に息子ができたので、今回は父であるフリーマン・ダイソンに自分を投影して読んだ。

わかりあおうと努力する父と息子、でもお互いに理解しがたい壁があり、でも他人から見ると2人は双子のように似通っているというかそっくりである、という関係。

私は息子(4歳)と仲がいいと思っている、ケンカをするとときもあるが、ダイソン親子のように数年間会わないというような関係でもない、というかそんな風になる時が来るとは想像しにくい。

だがまあしかし、息子が思春期に入ると私のことを「オヤジ」とか呼び始めてヒゲとか生えてきて、少し臭くなってくるんだろうな、ああ悲しい。で、結局息子は私の元から離れていくのだろうか、寂しいな。

で、最初に本書を読んだ10年前はちょうど、ダン・シモンズの「ハイペリオン」シリーズを読み終えた直後だった。

シリーズの後編の主人公の1人であるエンディミオンはカヤックで宇宙をめぐる川を下る旅に出るのだが、そのエンディミオンにジョージ・ダイソンが重なり、さらにハイペリオンシリーズに出てくるアウスターという種族はフリーマン・ダイソンの哲学を実地で行くように自分たちの体を宇宙空間に適用させて進化をしている、さらにシリーズの重要な乗り物となるイグドラシルはどう見てもダイソン・ツリーである。

「ハイペリオン」シリーズは私の読書体験の中で一番の興奮と楽しさを与えてくれて、まあとにかく面白かった。それを読み終えて放心状態になっていて、かつ続きが読みたい!という欲求が強かったからなのか、本書はハイペリオンの続編なのではないかと思いつつ読んだ記憶がある。

実際、ハイペリオンシリーズの続編かもというべき「イリアム・オリュンポス」シリーズはちょっと違うなと思ったし、ハイペリオンシリーズの本当の続編である「ヘリックスの孤児」は短すぎて歯ごたえが無さ過ぎた。

だから、本書はハイペリオンの正しい続編である、ってなんのこっちゃ。

本書は1978年に発表されベストセラーになったようだが、それをダン・シモンズが参考にしなかったという保証はない、まあ「ハイペリオン」シリーズの続編がハイペリオンの発表(1989年)の10年前に書かれているというのはおかしな話だが、まあとにかく何かが似ているのだ。

当時も似ているなと思って何が似ているかよくわからなかったのだが(カヌーとかダイソンの考えたアイディアとかが出てきているという以上に何かが似ている)、今回読んで、確かになんか似ている気がするのだが何が似ているのはやっぱしよくわからなかった。

本書のタイトルである『宇宙船とカヌー』ってハイペリオンシリーズの副題でも通じるかも、実際には「宇宙船とカヌー、時々シュライク」になるはずだけど。

SF書評家の大森望あたりがそんなこと書いていないのかな。

本書の主役の2人はまだ生きていて、フリーマン・ダイソンはこの動画(フリーマン・ダイソン「太陽系の外れに生命を探そう」)の中で動いて喋っている。興味がある人はぜひ。

この動画の中でフリーマン・ダイソンは宇宙の生物について語っているが、息子のことにも触れている、まあ見てみて。

あ、これは「ハイペリオン」シリーズの続編なんだぁ!と強引なことを私は言ってるんだけど、シュライクとアイネイアーは出てきません、あしからず。

ドレッシングから私のカバンを守ってくれた 『影武者徳川家康』

影武者徳川家康

  • 書名: 『影武者徳川家康』上・中・下
  • 著者: 隆慶一郎
  • ISBN: 978-4101174150(上)、978-4101174167(中)、978-4101174174(下)
  • 刊行日: 1993年8月25日
  • 発行: 新潮文庫
  • 価格: 上下巻705円(税別)、中巻743円(税別)
  • ページ数: 544(上)、564(中)、534(下)
  • 形態: 文庫

私にとっての隆慶一郎の最高傑作は『鬼麿斬人剣』(隆慶一郎の最高傑作はテレ朝時代劇にピッタリ 『鬼麿斬人剣』)で間違いないのだが、その次に好きな作品はどれかと聞かれれば本作『影武者徳川家康』である。

まずタイトルがいい、影武者と徳川家康、タイトルだけである程度内容がわかるというのはよい、買うときに迷わない。影武者という設定がイヤだったら買わなければいいし、影武者と聞いて心踊るのであればすぐに本をレジに持って行けばいいのだ。

ここまでシンプルな歴史小説の書名も珍しい、新田次郎の『武田信玄』レベルのシンプルさである。

主な登場人物は、もちろん影武者徳川家康こと世良田二郎三郎、敵役の徳川秀忠、秀忠の参謀となる二郎三郎の親友・本多正信、二郎三郎の参謀兼護衛である甲斐の六郎、その舅である風魔小太郎の父・風斎、そして島左近、あと前半の関ヶ原で二郎三郎が家康を演じ続けるきっかけを作った本多忠勝、二郎三郎の妻(恋人)となった元家康の側室お梶の方などである。

関ヶ原の合戦で家康は島左近の放った忍びである甲斐の六郎に殺されるがとっさの機転で二郎三郎は影武者が死んだこととし、家康を演じ関ヶ原の合戦を勝利に導く。

二郎三郎はすぐに家康役を辞めるつもりだったが、周りがそれを許さず、家康を演じ続けることになる。その秘密を知るのは本多正信、秀忠にお梶の方、本多忠勝、そして甲斐の六郎と島左近等である。

徳川秀忠は家康のニセモノである二郎三郎を殺したい、しかし世間的には実力者家康は生きていることになっていて、家康が生きているからこそ徳川家に従う大名も多く、その家康を殺してしまっては徳川家に反抗する勢力が出てきてそれを自分の力だけで倒すことはできない。

その反徳川勢力の最先鋒が豊臣家であり、逆に豊臣家がいるからこそ実力者家康の重さが生きてくるのである、二郎三郎にとっては徳川家の仮想敵である豊臣家の存在が自分の存在価値を認めてくれるものなのである。

豊臣家と徳川家の勢力の均衡の中でこそ自分は生き続けられると考える二郎三郎は、豊臣家存続を願う島左近と甲斐の六郎と手を組むことになるのである・・・そして二郎三郎は駿府に自分の城である駿府城を築き、そこに自分の国を作っていく。

それを面白く思わない江戸の徳川秀忠からの暗殺指令を受けた柳生忍軍の総帥・柳生宗矩は二郎三郎暗殺を何度も試みるが、甲斐の六郎と風魔軍団に守られた二郎三郎はその野望を叩き潰す。だが、その失敗の度に秀忠と柳生宗矩は少しずつ成長をしていくのだ、だから本作の裏主人公は徳川秀忠である。

本作では自分のことしか考えず、残忍で酷薄で、人の命をなんとも思わないくせに臆病などうしようもない小人物として徳川秀忠は描かれている。彼はとにかくしつこい、ホントにしつこい。いい加減二郎三郎を解放してあげたらどうだと思うのだが、まあしつこいんだ、ほんとに。

私は『影武者徳川家康』を数回読み直しているが毎回その面白さに興奮している、本書の特徴はフィクションと正史を合わせて、さらにチャンバラで味付けしたというところで、本書が無ければ『ふたり道三』も『徳川家康 トクチョンカガン』も書かれなかっただろう。

で、そんな名作歴史小説を私はドレッシング漬けにしてしまった。会社に行く時にカバンに本書の中巻と弁当を入れて持って行ったのだが、弁当のドレッシングがカバンの中で漏れて中巻がそれを吸ってしまったのだ。冒頭の書影をよく見るとわかると思うが、中巻だけ左下が少し膨れているのだ。

しかしそのおかげでカバンの中があまり汚れずに済んだ、『影武者徳川家康』が本来汚れるはずのカバンの身代わりになって影武者的な役割を演じてくれたのである、なんつって。

おい吉祥寺、話題のツイートなんか流さないでくれ

私は毎週ネットで馬券を買っているが、テレビの生中継は見ない。家にいたとしてもテレビの生中継は見ない、見ないったら見ない。

なんでかというと、家族と過ごしているからだ。家族と一緒に見ればいいかと思うのだが、妻があまりいい顔をしないのだ。独身時代は当時は恋人だった妻と一緒に競馬場によく行ったのだが、結婚してしまうと色々変わってしまう。

馬券を買ったレースの生中継を見ないというのは、馬券の楽しみの75%くらいをドブに捨てているようなものなので、非常に悔しい。

で、考えた。

結論はすぐに出てきた。馬券を買ったらネットの情報をシャットアウトして、さらにテレビのニュースも見ないようにする、もちろん競馬仲間からメールやらLINEなどが来ても絶対に見ない。

そいで、夜に家族が寝静まったらゆっくりとPCの電源を入れ、ブラウザを立ち上げ、JRAのサイトに行って、当該レースの結果ページまで行き、レース映像の再生ボタンをポチっと押すのだ。

なんでJRAのサイトかと言うと、トップページからレース結果のページに行くまでの間に結果がどこにも書かれていないのだ、レース映像も結果を見る前に見ることができるようになっている。

当日の大レースの結果くらいトップページに載せとけよ!みたいに言う人もいるかもしれないのだが、JRAは私に気を遣ってトップページには結果を載せていないのだ。エライぞJRA!

その点netkeiba.comは競馬のニュースサイトのためうっかり開くと悲惨なことになる。トップページにレースの結果が載っているのだ!恐怖、恐ろしいサイトである。

昔、サッカーの試合をよくテレビで見ていた頃も似たようなことをやっていた、深夜とか早朝の試合を録画しておいて情報をシャットアウトしてから、次の日の夜に家で見るのだが国際試合などだと、というか1日たっているため電車などに乗ってしまうとスポーツ新聞の1面に結果が載っていたりしてその計画がおじゃんということがよくあった。

おっさん、電車の中でサッカーの結果の載ってるスポーツ新聞読むなよ!みんなから見えるように開くなよ、と思ったが、そんなのおじさんの自由である。

先週、競馬のジャパンカップの馬券を買った(ネットで)のだが、もちろん生中継は見なかった(というか見られなかった)。

で、その日は夜に友人と吉祥寺で会う用事があった。私は京王線のつつじヶ丘に住んでいるので吉祥寺に行くのには自転車か、バスか、電車(明大前経由)になる。一番速くて楽なのは自転車なのだが、その日はあいにくの雨であった、で、電車に行くことにしたのだ。

それが大きな間違いだった。

夕方(ジャパンカップの結果は出ていたが私はその結果をもちろん知らない)、つつじヶ丘駅で新宿行きの電車を待っていると、ホームに滑り込んできた電車がちょっと混んでいた。何でかなと思ってすぐに気づいた、府中にある東京競馬場から帰る人たちが乗っているのだ、それも私の買ったジャパンカップを見終えた人たちである。結果を喋っている人がいるに決まっているので非常に危険だ、バスに変えるか?と思ったがまあしょうがないと思って乗ってしまった。

で、明大前駅に着くまで競馬帰りの人達の話が耳に入ってこないように、と祈るような気持ちで電車に乗っていたが、みんなこれから何食べる、とか来週の馬券は、とかなんとか未来の話をしていて過去の話をしている人はいなかった、幸運にもジャパンカップの結果は耳に入ってこなかった。

よかった、と思って明大前のホームに降りた瞬間、降りた人の口から「キタサンブラックに全部突っ込んでおけばよかったよ・・・」、ああついに聞いてしまった。

実際に勝ち馬を言っているわけではないが、少なくともキタサンブラックが馬券に絡んだことは確かであろう。なんだよ・・・、さらにキタサンブラックが馬券に絡んでいるとなると私の馬券が外れている確率が非常に高くなる。

で、さらにふざけんなは続く。

明大前から井の頭線に乗り、吉祥寺で降りた。井の頭線改札を出るとすぐにJR吉祥寺駅の改札の前にでるのだが、その改札の上辺りに横長の電光掲示板(デジタルサイネージというの?)があって、なんとそこに「キタサンブラック」という文字が・・・

何でだ?と思って見ると「話題のツイート」というタイトルで1位から3位までの今話題のツイートが載っているのだ。さらにご丁寧に2着に入ったであろうサウンズオブアースの名前まで出ている。

私の馬券は99%外れである、夜にJRAのサイトでレースを見て馬券が当たるかどうかをワクワクドキドキしながら見る楽しみはどこかに行ってしまった。

どうでもよくなったのでnetkeiba.comでジャパンカップの結果を見た、たしかに1着キタサンブラック、2着サウンズオブアースである。

私の馬券は外れた。大はずれである。

家に帰って調べてみた、何で吉祥寺に「話題のツイート」か。するとこんなページが出てきた。

住みたい街ランキング常連のあの駅で話題のツイートが見られるようになりました

Yahoo Japanの公式ブログなのだろうか、吉祥寺駅で話題のツイートが見られるようになったとのこと。たぶんYahooの「話題のツイート」の宣伝として吉祥寺駅で流しているのだろう。

でも、こんな掲示板に宣伝効果あるのだろうか、と思ったがJR吉祥寺駅はWikipediaによると1日の乗車人数が14万人ほど、で、この掲示板があるのが南口(公園口)、おそらくここをその半分の7万人が通るとしてこの掲示板を見るのが10%とすると7000人が見るのである、結構な数字である。

で7000人のうち少しでも実際にYahooの話題のツイートにアクセスしてもらいたいのである、って知るか!

話題のツイートを流すのはまあいい、許す、というか私には関係ない話だ。でも私が前を通る時は話題のツイートは流さないでくれ、だからと言ってその代わりに競馬のニュースなんかも流すなよ。

本を探す楽しみ

休日に転職活動の勉強のために近所の図書館(三鷹)に通うようになったのが今から2年ほど前、その時に図書館の文庫コーナーを覗くと前から読みたかった本がズラリと並んでいた。

その近所の図書館はできたばかりだったので、新刊の文庫ばかり並んでいたのだった。それ以来図書館に行くたびにちょこちょこと本を借りるようになった。

最近では遠出をして調布の駅前の中央図書館に行ってみたが、そこはビルの中の快適な空間でこれは穴場を見つけてしまったと興奮した。

休日にもかかわらず、イスがうまっておらず、かなり空いていた。

近所の三鷹の図書館は狭いせいか、休日の午後ともなるとイスが埋まってしまうのだが、調布はそんなことはない。

妻からは昔の調布の図書館は掃き溜めのようだったと聞いていたが、その時から建物も変わっているのでそんなことはなかった。

帰りに調布のブックオフに寄ると図書館の空き具合とは対照的に、立ち読み客が多くレジに列ができていた。

ブックオフのユーザと図書館のユーザは重なることはないのだろうか、重なるはずなんだけどな。

10年くらい前までは本は新刊書店でしか買っていなかったが、欲しい本が新刊書店になかったり高すぎたりすることがあり、それ以来古本屋でも本を探すようになった。

よく行っていた古本屋は主に近所の大型古本屋(昔吉祥寺周辺に数軒あったブックステーション)だったが、近くにブックオフができたせいか潰れてしまいそれ以来ブックオフを利用している。

黄色いと青の下品な看板で、「いらっしゃいませー」と連呼する八百屋みたいな古本屋なんて・・・と最初は思っていたが、最近では慣れてしまった。

ブックオフで楽しいのは、というかブックオフといえばこれ、なのだが、それは100円コーナーである。

聞いたところによるとブックオフの100円コーナーというのは、その本の価値がどうかとかではなく同一店舗に同じ本が5冊以上そろうと100円コーナーにまわされるというのである。

つまり、自分の欲しい本がその店に集まっていた場合、100円コーナーにまわる可能性が高くなるのである。だから本の多い大型店舗のブックオフほど100円コーナーに、欲しいものが見つかることが多くなるのである。

これは、結構大事なことである。

昔、つまりAmazonのようなネット書店の無い時代。私はどこで本を買っていたかというと、吉祥寺のパルコブックセンター、新宿の紀伊国屋(高島屋隣の方)、神田の三省堂である。

何でかと言うと、当時(10年くらい前)の吉祥寺のパルコブックセンターは私が住んでいる三鷹地域では一番大きな本屋だったからで、新宿の紀伊国屋と神田の三省堂は電車でちょっと行くけどおそらく東京で一、二の品揃え、だと思っていた。

つまり、自分の欲しい本が「ありそうな」本屋に行っていたのである。これがAmazonの進出によって変わる。

Amazonには無い本がほぼ無い、無い本が無いという表現自体おかしいのだが、Amazonだとつまり普通は無いはずの本が「ある」のである。

もちろん、それは中古であったり、値段が高騰していたり、送料がバカ高かったり、するのであるが、基本的にはある程度のお金を出せば、新品ではないにしても買えるのである。

Amazonで検索し、カートに入れると他の本も薦められて、それもカートに入れると1,500円以上は送料無料!(今は2,000円以上?)となって、街の新刊書店に行くより安いや、となってポチっと注文してしまう。

で、次の日かその次の日に家に本が届く、わあ、うれしい、となるのだが、そのまま積読になってしまう。なんで積んだままになるのかというとAmazonで買うと購入したという記憶があいまいになり、なんでその本が自分の部屋にあるのかよくわからなくなるのである。

たぶん、その本が10万円くらいして、買うかどうか逡巡した上でのAmazonでの購入ならそうはならない。

あまりにもスマートにすっと自分の部屋に本がやってくるので、購入するまでのストーリーがないのである。

つまり、楽しくない。

で、気づくのだ、実際の店に行ってサイフから金を出して買った方が楽しいと。

そのドラマ、過程が楽しいのである。

なのでAmazonで買うというのは、本の楽しみを半分くらいなくすような行為なので私はできる限り本屋かブックオフか、図書館で探すようにしているのだ。