新・さ迷える転職大変記 第10話 「おたく、何の会社ですか?」

早く帰りたい

かなり間が開いてしまったが、今回も唐突に始まる。

家を買う話は順調に進んでいく

仕事と家のことで精神的にきつくなったので心療内科に行き始めた、心はすこし楽になったが、会社は経営が苦しいようで社員への締め付けが厳しくなってきた。

転職が先か倒産が先か、みたいな気分になり転職活動が進まない焦りがドンドンと募ってくるが、ワケありの私でもお金を借りられそうだということになりローンの面接に行くことになった。

お金を貸してくれそうなところは大手都市銀行系列のローン会社である。都市銀行系列なのでどの支店でも貸してくれるのかと思ったがそういうものでもなく、知り合いの工務店の近くの郊外の私鉄沿線にある支店での面接となった。

私はスーツを着て、妻と一緒に転職の面接よりもある意味緊張しつつ郊外の都市銀行の支店に隣接するローン会社に行った。

が、工務店側とある程度話が進んでいるらしく、顔合わせという感じで無事にローンの面接は終わった。

おそらく、お金は借りられるであろう、なので、土地を買いそこに家を建てることになる。

だから、転職活動は頑張らなければならないし、さらに転職が決まるまでは今の会社がつぶれないように頑張らなければならない。

なんだかプレッシャーがさらに重くなってきた。

仕事は拘束時間が長くなる

多くの会社には繁忙期があるようだが、私の会社の繁忙期は秋だった。

主力製品2個を毎年この季節にリニューアルしてリリースする、そのためのパッケージやらチラシやらを作るのだが、それはほぼ私の仕事であった。

売れる売れないはパッケージ次第!という空気が社内には色濃かったのでダメ出しがとにかく多い、さらに昨日OKが出たから印刷会社に出稿したのに、今日になり「やっぱやり直して、印刷会社には待ってもらって」みたいなこともあり、印刷会社との連絡も私の仕事だったのでその連絡に時間を取られ作業が進まない、というような事態になることもあった。

1日中印刷会社とのやり取りで終わってしまい、作業が全く進まない日もかなり多かった。

心療内科でもらえる薬のおかげでそこまで最悪というところまではいっていなかったが、徐々に心が心療内科に行く前の状態に戻りつつあるような気がしていた。

土地を買って家が建ち始めるが、私が採用した後輩が辞める

仕事は大変だったが、家の話は順調に進み無事にお金を借りて土地も購入でき、工務店が建設工事に入った。

だが、仕事が遅くまで続き家の新築のことはお金のことも含めて妻にまかせっきりという状態が続いていたので何度か妻とケンカをした。

心の平衡状態はなんとか保っているというか、いろいろなプレッシャーの中でなんとか平衡を保っているという感じ。つまり心配事がひとつじゃなくてたくさんありすぎて、それらが上から下からバランスよく圧力をかけて来ているので崩れずに済んでいるという感じ。

で、そんな中、2年前に私が面接して採用を推した後輩から話があると昼ごはんに誘われた。

その後輩は、最初はバイトとして入社していて、社員になって1年くらい経っていた。会社の先も見えないし、自分の給料も安い(手取りで17万くらい)ので辞めることにした、とのこと。

オレより先か・・・と思ったし、そうも言ったが、しょうがない、その後輩は私より若いし家族もいないので簡単にやめることができる。

昼ごはんのメインの話題は後輩の新しい仕事よりも、私の悩みになってしまって、その後輩から励まされる始末である。

おたく、何の会社ですか?

そして、また面接をすることとなった。

所在地は渋谷の道玄坂上、会社から歩くと15分くらいのところである。

あちらから興味通知オファーというのが来て、「ありがとうございます、そちらの会社に入った場合私はどんな仕事をするんでしょう?」と返したら、「じゃあお会ってお話ししませんか?」と返されたので、近いし会ってみるかとなったのである。

転職サイトで見たところその会社はWeb系である、つまり何をやってるかよくわからない。だから、面接当日にどんな会社か教えてくれるのだろう。

私は面接というよりも、軽い雑談のようなつもりであった。

面談日時は会社の昼休みに合わせた。

会社をいつものラフな格好(パーカーだったが一応中はシャツ、でも下はジーンズ)で出て道玄坂上に向かった。

会社は道玄坂上交番の奥にある大きなビルの中にあった、そこの何階だかに上がるとキレイなエントランス。

笑顔を絶やさない人事の女性がやってきた、彼女がおそらく転職サイトで連絡をした人間だろう。

彼女に履歴書を渡すと、デザイナ?のような男性が登場した。

まず自己紹介をしてくれと言われたので、自己紹介と職務経歴の紹介をしたが、この面談ってまずは人事と軽い雑談をするのが目的じゃなかったっけと頭のなかにクエスチョンマークが出てきた。

で、私の番が終わるとデザイナ男性が

「私らの会社が何やってるか知ってますか?」

と聞いてきた。

いや、その説明を受けに来たんだけど、と思ったが

「Web系ですよね?」

「どんな?」

「よく知りません」

「あなたね、面接に来るのなら普通会社調べてくるでしょう、私たちはインターネットを世界に広めるための仕事をしてるんです!その理念に共感できない仲間はいりません!」

「そうですね」

面接が終了した。

どんな会社かの説明も何もないが、会社の雰囲気はよくわかった。

あと、何やっているかも。

プロバイダだ、たぶん。つまりイケイケな社長がいて、それについてくるイケイケな営業部隊がいて、それらのまわりにいろんな部署がぶらさがっているのだ。

それで私はおそらくそのぶらさがりの中のデザイン部みたいなとこで、暗い顔した上司にこき使われるはずである。

よかった、今の会社の方がいい。

面接は破談となったが、いい経験はした。

まず、面接って言うか雑談ですよ、ハハハみたいなメール内容であっても、一応相手の会社のことは調べておいた方が話がこじれない。

でも今回の場合はとくに行きたいという気持ちはなかったので、その気持ちの再確認ができたから下手に調べないでよかった。

お互い時間の無駄だったのではという疑いも大きいが、私にはいい経験になった。

その後は何事もなかったかのように会社に戻り、業務を再開した、面接はすぐに終わったのでホントウに昼休み1時間分でなんとかなった。

連載 「新・さ迷える転職大変記」バックナンバー

かなりまともなお話 『不愉快な現実』

不愉快な現実

  • 書名:『不愉快な現実 中国の大国化、米国の戦略転換』
  • 著者:孫崎享
  • ISBN:978-4062881494
  • 刊行日:2012年3月20日
  • 発行:講談社現代新書
  • 価格:760円(税別)
  • ページ数:274
  • 形態:新書

かなりまとも、日本国中が感情論になっているようこのご時勢、かなりまともなことを言っている。筆者の孫崎享は外務省出身のおじさんのようである。

彼の主張は下記の通り。

  • 米国は日本の利益を考えていない、当たり前だけど自国の利益を考えている
  • 尖閣諸島問題は中国側と話し合え
  • 自国の主張の正しさを主張しすぎると武力衝突になる
  • 相手の主張がどうあれ、相手はこちらに対して主張があるので聞くべき
  • 中国と戦争しても勝てるわけない
  • 米国は日本より大きい貿易相手である中国と日本のかわりに戦争なんかしない

というもの。

相手の国よりこっちの国が優れていて、ここは美しい国だし優秀な国民しかいない、みたいなことを言っているだけの人たちもこれを読めばいい。

中国や、韓国や、北朝鮮をバッシングするような報道をしたり、まあそういうことをネット上で展開しているこの状況って異常だぜ。

お隣同士なんだからさ、仮にむかついても仲良くやるしかないんだよ。

去年隣人が、あなたの家が深夜に毎日大声でケンカしててうるさいんだけど、迷惑です、出るとこ出ますよ!と言ってきたことがある。

私の家族は10時くらいには寝てしまい、そもそも深夜にお話などをほとんどしないのでまさに寝耳に水だったし、何をこの人は言っているのだろうと思って、コノヤロと思ったのである。

マイクとカメラを設置して、こちらの無実を証明するしかない!と思ったが、結局そんなことはやらずに今に至っているし、アレ以来お隣も何も言ってきていない。

たぶん、こちらに苦情を言ってきた時に、コリャ何か言ってもムダだと思ったのか、それともうるさいのはこの家じゃないと思ったのかはよくわからない。

だが、我が家と隣人はその問題を今のところ棚上げしている状態である。

仮にどちらかが正しいかを突き止めるために、カメラとマイクを設置して裁判になったとしたら、どちらかが負けるか、どちらも主張を曲げずに泥沼の戦いに陥っていくのである。

そりゃそうだ、お隣同士なんだから、紛争状態になったら近所も巻き込んでの激しい争いになる。

だったら棚上げしておけばいいのだ、お互いそのことをわかっているだけ日本と中国に比べてよほど賢い、我が家と隣人の関係は数年だが、日本と中国は1,000年以上付き合っているはずだ、何で賢く立ち回ることを考えないか。

つーか、扇情的なことを言う政治家もアホだし、それを真に受けるネット民たちもアホ、さらにそのネット民に煽られてさらにクソみたいなことを政治家が言ってと、アホスパイラルに陥っている。

自分らが優秀だと思っているんなら、争うのやめて日本から引っ越せよ、ほんと。

って私も感情論になってしまった。まあ落ち着け。

中世ドイツの星を継ぐもの? 『異星人の郷』

異星人の郷 Eeifelheim

  • 書名:『異星人の郷』
  • 原題:”Eifelheim”
  • 著者:マイクル・フリン
  • ISBN:978-4488699017(上)、978-4488699024(下)
  • 刊行日:2010年10月29日
  • 発行:創元SF文庫
  • 価格:各940円(税別)
  • ページ数:349(上)、366(下)
  • 形態:文庫

舞台は中世ドイツ南部フライブルクの近くにある上ホッホヴァルトという小さな村。ある日その村に異星人の宇宙船が不時着する・・・

主人公は上ホッホヴァルトに住む少しワケありの神父ディートリッヒ。彼と異星人であるクレンク人とのファーストコンタクトから物語は始まる。

クレンク人の姿はバッタかカマキリのようで、村人の多くはクレンク人を悪魔だと思ってしまう。キリスト教の世界観が支配する中世においてこの事件は外に漏らしてはいけないものだった。もしこの事件が外に漏れると、村人は悪魔と交流を持ったということになり、異端審問にかけられ命の危険もある。

クレンク人はワープ?中に事故にあい、中世ドイツの森に不時着したようだ。これから自分たちがどうなるのかわからないという不安がありつつも徐々に村人と打ち解けていく。自分たちの世界に戻ろうと乗り物を修理しようと躍起になるが、場所は中世ドイツの村なので修理に必要な材料はなかなか集まらない。

異星人とファーストコンタクトする際に一番の障壁となる「言葉の問題」はクレンク人たちが持っているハインツェルメンヒェンというスマホのような機械が言葉の翻訳をしてくれるので、地球人とクレンク人の間には簡単にコミュニケーションが成立する。

面白いのは、クレンク人たちがディートリッヒの説明するキリスト教の神に興味を示し、キリスト教に改宗をするクレンク人も出てくる。クリスマスには主が降臨すると教えられ、その主が自分たちクレンク人を助けてくれることを期待するが、実際に主が降臨することはなくクレンク人たちは落胆してしまう。

ディートリッヒがクレンク人の必要としていた銅線を調達するために奔走した結果、クレンク人たちはなんとか船を修理して、地球に残ると言う4人だけを残して故郷にたどり着けるからわからない旅に出発する。

クレンク人たちが出発した後、ペストが上ホッホヴァルトにもやってくる。村人たちの一部はクレンク人がペストを持ち込んだのではないかと疑うが、4人のクレンク人たちは懸命に看護をする。

物語は中世ドイツのディートリッヒの視点、現代パートである歴史学者トムの視点を交互にして進む、現代パートの分量はあまり多くなく、そもそも必要があったのかどうかは少し疑問なのだが、物語のリアル感というかSF感を出す効果は出ている。

基本的にかなり淡々とお話は進んで行き、出てくる村人も多くて、誰か出てくるたびに冒頭の登場人物一覧に戻って名前を確認するような読書が続くのだが、この物語の面白さはたぶんストーリーのホントっぽさにある。

宇宙人とのファースコンタクトSFものの舞台は大体にして未来なので、リアルさはあまり感じないのだが、本書は設定が過去の話だからなのか本当にあったことではないのかと思ってしまう。

やってきた宇宙人の悪魔のような格好は『幼年期の終わり』(アーサー・C・クラーク)のオーバーロードを思い出すが、現代パートで中世ドイツに宇宙人がいたのではないか?という仮説を検証しようとするところは、設定も時代も違うが『星を継ぐもの』(ジェイムズ・P・ホーガン)を読んだときと同じような興奮を覚えた。

そして中世の生活も面白い、異星人と地球人の遭遇であるから異星人の生活と考え方が気になるはずだが、中世キリスト教の世界に縛られていないクレンク人の方が現代人寄りな感じ、中世ドイツ人が異星人みたいに見える。

地球人の言葉とクレンク人の言葉はハインツェルメンヒェンが通訳してしまうのですこしつまらないが、その訳文が少し面白い、クレンク人がよく「私の頭の中の文」や「肉体の原子に書き込まれている」という表現をする。

前者は「頭の中で考えている」という意味で、後者は「遺伝子で決まっている」というような意味であるのだが、この訳文は結構うまい、原書ではどう書かれているのか気になる。

村の祭り?(みたいなもの)の様子を見たクレンク人が

「奇妙な習慣だけども感じるものはある、世界全体を愛することはできない、大きすぎるから。でも目の届く範囲の土地ならば何よりも大事だと思うことができる」

と言うセリフがあるのだが、異郷の地で苦しむクレンク人の言葉だけに非常にグッときた。

本書を最初に読んだのは6年前のことであったが、再読しても面白さは失われていなかった。育った環境も違い、姿かたちも違う地球人とクレンク人が少しずつわかりあっていくという典型的な流れながらも非常に胸に迫るものがあった。

初読時も再読時も電車での移動中などにブツぎれで読んでしまったが、次はじっくりと一晩で読みたい重厚なSF小説である。

マカヒキは負けた、そして海外レースの馬券発売はJRAの踏ん張りどころ

競馬

競馬に興味がない人にはどうでもいい話題でしょうが、競馬に興味がある私には今年一番のニュースと言ってもいいのがJRAの「海外レースの馬券発売」です。

なんで私が興奮しているのかは、興味がない人にはほんとうにどうでもいい話でしょうが、あえてお話しさせていただきます。

毎週というかほぼ毎日、日本のどこかで競馬のレースが行われているので、私を含む競馬ファンたちは日本国内のレースの馬券を現地、またはネットで買うことができます。

実際に馬券を買うには20歳以上である必要があったり、ネット購入であれば銀行口座を持っている必要があったりするわけですが、日本国内の競馬のレースであれば基本的には全てのレースが買える状態にあるわけです。

中距離では日本馬はかなり強い

で、ここからが馬券とは少し違う話になるのですが、今から500年くらい前に今と同じような形の競馬がイギリスから始まって世界に徐々に広まってきました。

日本にも明治維新をキッカケにイギリス発祥の競馬が入ってきました、それまで日本にいた馬は日本在来種がほとんどでしたが、海外から体が大きくスピードも速いサラブレッドが入ってきました。

海外から入ってきたサラブレッドに子供を生ませ、日本でもサラブレッドの生産が始まりました。当初は日本の馬は外国(特にヨーロッパ)の馬には太刀打ちできませんでしたが、1990年代中盤頃より段々と海外のG1レースを勝つようになってきました。

で、2016年現在では、おそらく競馬の中長距離路線では日本の競走馬のレベルは世界のトップかトップグループに位置するであろうと、少なくとも日本の競馬ファンは考えています。

実際2014年には、日本の中距離路線のトップホースであるジャスタウェイがワールド・サラブレッド・ランキングで1位を獲得しており、日本馬が大挙して海外のG1レースに挑戦したら半分くらいは勝ってしまうのではないかという勢いであります(私の見解)。

日本の競馬ファンにとっての海外レースの中での一番の権威がフランスで行われている「凱旋門賞」というレースです。現在の競馬のメイン距離芝2000メートルよりも、凱旋門賞は芝2400メートルと400メートル長いですが、とにかく凱旋門賞はあこがれなのです。

凱旋門賞には日本から何度も挑戦しているのですが、エルコンドルパサーもオルフェーブルも、そしてディープインパクトも勝つことができませんでした。

凱旋門賞に日本馬が挑戦するたびに話題になるのが日本からの出走馬があるのになんで馬券が買えないんだ?というものでした。

で、遂に今年、海外の大レースに日本馬が出走する場合にはそのレースに限り馬券が発売されるということが決定されたのです。

で、私は大いに興奮したのですが、マカヒキが大敗して、その後に売り上げ41億達成!というニュースを見て、待てよ、これ大丈夫か?と思ったわけです。

まず、今回のマカヒキの負けた原因はよくわかりません、というか競馬の敗因なんつーのは、競馬ファンがそれぞれ一家言みたいのを持っていて私がどうこう言えるようなものではありません。

私自身はとくにマカヒキを応援していたわけではなく、凱旋門賞の馬券が買えるということに興奮していたので、マカヒキが負けたこと自体には特に感想はありませんが、本当に勝ちにいきたいなら、マカヒキを勝たせるためのペースメーカーを数頭連れて行くとか、今回3着までを独占したエイダン・オブライエン厩舎のように同じ厩舎の馬を数頭連れて行き、チームで勝ちに行くとか、日本のエース級を10頭くらい同時に出走させるとかをすればいいと思います。

まあ、そこまでしてタイトルが欲しいのかと言われればどうなんだろうと考えてしまいますが、今までの日本馬の凱旋門賞への挑戦スタイルはあまりにフェアというか潔すぎるようにも思えます。

で、本題ですが、マカヒキが勝っても負けても、日本競馬にとっては大きな損失になるのではないかと私が思ったという話が重要です。そう、その話がしたかったのです。

マカヒキの世代は史上最強かも?と言われている超ハイレベル世代でマカヒキ以外にも別の年に生まれていたらエースだったはずの馬がゴロゴロいます。

その最強世代のダービー馬であるマカヒキが凱旋門賞に大敗したわけです。マカヒキが強くないということは、国内に残った最強世代の他の馬たちもたいしたことないのでは?という疑いが出始めるはずです。

マカヒキ以外の最強世代は菊花賞に参戦します、ここで勝った馬が暮れの有馬記念で帰ってきたマカヒキと対戦することになるのを望んでいますがどうなることでしょう。

海外挑戦はリスクがいっぱい

マカヒキの凱旋門賞での大敗を見ると、もしかしたら故障したのではないかとも思え、このまま引退の可能性もあります。

結果論になりますが、凱旋門賞挑戦はマカヒキにとって大きなリスクだったかもしれません、私はマカヒキのファンではなくライバル馬のディーマジェスティのファンなのですが、凱旋門賞を勝ったマカヒキをディーマジェスティが有馬記念で破るというのを夢見ていただけに非常に残念です。

今年の有馬記念の楽しみが減った、と私は感じました。

つまり日本馬の海外レースへの挑戦が、日本の競馬界が一番大事にすべき国内のレースへのファンの興味を殺ぐような結果を導いてしまってはダメだと思うのです。

凱旋門賞に挑戦するなとは言いません、遠征費などの金銭上のリスク、致命的な故障のリスクを考えた上でのチャレンジは賞賛すべきものだと思います。

マカヒキがあと2回海外で走ればスプリンターズSと売り上げが同じになる

で、今回の凱旋門賞です。

同日の日本馬が全16頭中16頭出走した国内G1スプリンターズSの売り上げが126億円に対し、日本馬が全16頭中1頭(マカヒキ)だけ出走した凱旋門賞はなんと40億円、1/16の出走頭数で売り上げは1/3、すごい割合です。

マカヒキに海外であと2走してもらえばスプリンターズSの売り上げとほぼ同じです。

創設から数十年国内で頑張って築き上げたG1レースの売り上げが126億円で、日本馬1頭が出走しただけの他人の国の凱旋門賞が40億円です。

自分らで頑張ってレースを開催するより、有名な海外レースだけ発売すりゃあいいじゃんとJRAが思ってしまったら大変です。というかそう考えるJRAの職員も出てくることでしょう。

でも、私ら競馬ファンが見たいのは地元での面白いレースです、面白いレースとは何か、それは強い馬がたくさん出るレースです。

だからG1レースに人が集まるし、有馬記念の売り上げがすごいことになるのです。

で、私の一番の望みは世界一強い馬たちが地元でしのぎを削って欲しいのです、凱旋門賞はおまけです、おまけ。

で、話を戻しますが、今回の凱旋門賞で一番リスクを負っているのは誰かということです。

JRAでしょうか?まあ、それなりにリスクは背負ってるでしょう、でも一番リスクを背負ったのはマカヒキとマカヒキの馬主です。

渡航費を出して、故障のリスクを負っているわけです。わざわざ凱旋門賞で勝たなくても日本であとG1を3勝くらいすれば渡航費もかからず凱旋門賞と同じ額のお金が入ってくるのです。

さらに馬主と馬の次にリスクを負っているのはファンです、われわれは地元で強い馬を見たいのです、仮にマカヒキが故障で引退となれば、もう地元でマカヒキを見ることができません。

マカヒキのファンは地元でマカヒキの馬券を買って応援して、そいでマカヒキが買ってお金も入ってきて欲しいのです。

マカヒキのアンチ(私)はマカヒキじゃない馬の馬券を買って応援して、そいでマカヒキが負けてお金が大きくなって返ってきて欲しいのです。

だから、今回の凱旋門賞の40億円の売り上げはマカヒキ陣営かファンに還元するようにしないといけないと思います。

あ、ホントウは40億円ではなくて40億円の25%にあたる10億円ほどがJRAの利益になります。

テラ銭(寺銭)として売り上げの約25%がJRAに入る

この25%は別名テラ銭、または控除率とも言います。

マカヒキとディーマジェスティの2頭が走るレースがあるとして、そこで3人の人間が馬券を買うとします。

Aさんはマカヒキに100円

Bさんもマカヒキに100円

Cさん(私)はディーマジェスティに100円

という馬券だった場合

馬券の総売り上げは300円になりますが、レースの結果、払い戻し金を払わなくてはいけません。

マカヒキが勝った場合は総額300円をAさんとBさんで分けるのでAさんBさんにそれぞれ150円が支払われます。

ディーマジェスティが勝った場合は300円全部がCさん(私)に支払われます。

ですが、プールされたお金を全部馬券購入者に支払っていたらレースの主催者は何も収入がなくなります、だから手数料を取るのです、それがテラ銭です。

JRAのテラ銭の率はだいたい25%なので、300円の25%である75円が引かれ馬券購入者に支払われる総額は225円になります。

だから、実際にはマカヒキが勝った場合はAさんとBさんには112.5円(一桁以下は切捨てなので実際には110円でオッズは1.1倍)が支払われます。

ディーマジェスティが勝った場合は225円(実際には220円でオッズは2.2倍)がCさん(私)に支払われます。

で、今回の凱旋門賞のJRAの売り上げ約40億円の75%は払い戻しに使われ、その余りの25%の約10億円が手数料としてJRAに入ることになります。JRAの2013年の国庫納入金が2500億円ほどなので10億円はそれと比べると小さい数字ですが、この10億円は誰のものなのかということです。

何か還元してくれ、ぬいぐるみでもいい

10億円で競馬場の施設がよくなったりすれば競馬界全体にとって悪いことではないと思いますが、施設がよくなるといっても、それは凱旋門賞の売り上げ云々ではなく競馬全体の売り上げが上がればそうなるわけで、10億円だけ使って施設を作っても何が作れるでしょうか、東京競馬場にトイレを2個くらい作って終わるのではないでしょうか。

2500億円は国庫納入金なのでちょっと比較するのはどうかと思うのですが、仮にJRAが2500億円の利益を出していたと仮定した場合、10億円は年収500万の人でたとえると、大体2万円ほどです。(利益の中から払った国庫納入金が2500億円なので実際にはもっと利益は出ている)

で、この2万円の年収アップですが給料がアップした2万円ではありません、たとえて言うなら道で拾った2万円です。

いや違いますね、パソコンに詳しくない人にヤフオクに出品してくれと頼まれたけど、めんどくさかったのでそれを友人に丸投げしたら10万円ほどの売り上げとなって、その依頼人からお礼として3万円もらったけど友人には1万円だけ渡して何もせずに2万円もうかった、ああよかった、みたいなものです。

つまり何もしてないのです、拾ったよりも性質が悪いかもしれません。リスクを負ったのは出品を頼んできたパソコンが苦手な人と実際に出品した友人です。

その2万円は空から落っこちてきたと考えなければいけません、だからその2万円で酒飲んで終わり、みたいにしたらいけないのです。

つまりその2万円はパソコンが詳しくない人に返すか、それとも出品した友人にあげるか、または困っている人にあげなくてはならないのです。

つまり、この10億円は体を張って凱旋門賞を取りに行った、つまりリスクを負った馬主か、ファンに目に見える形で還元しなくては納得しないということです。

いいアイディアが浮かびませんが、たとえば有馬記念の払い戻し額には今回の10億円を上乗せするとか

有馬記念にマカヒキが出走した場合、マカヒキの単勝を先着順で割り引き販売するとか

マカヒキ陣営に出走ボーナスをあげるとか

あとは日本における凱旋門賞と言ってもいい海外馬招待レースのジャパンカップの払い戻しに上乗せするとか

10億円を元出に、有馬記念だけで新しい馬券を販売するとか。

つまり目に見える形で海外馬券の売り上げをみんなでシェアしてますよ、って感じを出していかないと、今回から始まった海外馬券発売はリスクを負う馬主とファン、ノーリスクのJRAという風にファンに見られて、悪いことが起きるのではないかと思うのです。

馬が故障して、日本国内でのレースに出られなくなったうえに、売り上げを目に見える形で還元しなかったらファン離れに繋がり日本の競馬の衰退に繋がると私は危惧しています。

ほんとに何でもいいんです、くだらないDVDを作ってファンに配るんでも、ほんとに何でも、マカヒキのぬいぐるみを作って配るのでも、文句は言いません、欲しくないけど。

(※10億円が全部JRAに入るわけではなく、凱旋門賞の主催者であるフランスギャロに何割かが払われるはずです。)

戦争には兵士じゃなくて普通の人が行くのだ 『終わらざる夏』

終わらざる夏

  • 書名:『終わらざる夏』 上・中・下
  • 著者:浅田次郎
  • ISBN:978-4087450781(上)、978-4087450798(中)、978-4087450804(下)
  • 刊行日:2013年6月30日
  • 発行:集英社文庫
  • 価格:各630円(税別)
  • ページ数:354(上)、326(中)、374(下)
  • 形態:文庫

舞台は太平洋戦争末期の日本、1945年8月15日の敗戦まであと少しという時。日本軍は戦争が終わった時の各地での米軍との交渉役として英語が喋れる国民に対して召集令状を出す。

主人公は岩手県出身の招集年齢ギリギリの片岡直哉、彼は東京の洋書関連の出版社に勤めもうすぐ45歳を迎えようとしていたが、占守島の通訳要員として召集されることになる。

彼と共に招集された鬼熊軍曹(何度か召集を受けたが日中戦争で指を負傷し銃が握れなくなったため岩手に帰っていた)、医専を出たばかりの菊池少尉もともに占守島に赴くことになる。

太平洋戦争モノの小説なので、戦地に赴いてからのお話かと思っていたが、本書は参謀本部で各戦地に必要な人員の計算をするところ、そして参謀本部の指令が末端の各地方に行き召集令状が届くところ、そして召集された普通の人が戦場に赴くまでが丁寧に描かれる。

私の父は岩手出身なのだが、岩手出身者が主人公のため、モデルとなった人たちは私の父や祖父の知っている人たちなのではないか?と思いながら読んだ。

父は確か10人(くらいだったはず)兄弟の末っ子で、1948年生まれである。歳の離れた兄や姉がいて、父母を早い時期に亡くし一時は姉の家で暮らしていたとのことである。

父は大学に入るために上京し、それ以来ずっと東京に住んでいた。岩手の実家(お姉さんの家)には私が小さい頃に一度だけ行ったきりで父の家族の話を父から詳しく聞く前に父は死んでしまった。

父の兄弟や父の父(祖父)が徴兵されて戦争に行っていたかも知れず、本書に出てくる人たちと同じような状況で戦争に行っていたかもしれない。

一方私の母方の祖父は徴兵拒否をしたようで、戦争には行っていないそうだ。拒否といっても実際に拒否をできるはずはなく、おそらくニセの診断書などをでっち上げてもらったのだろう。その話を詳しく聞きたかったが私がそのことに興味を持つ前に祖父も亡くなっている。

本書は戦場に赴くまでを丁寧に描くので戦闘の場面はホントウに一瞬で終わる、実際の占守島の戦いも数日で終わったようであり本書の主役は戦闘ではない。

本書で描かれるのは実際に戦争に行った(行く)人間と、戦争に行かなかった(すでに行って戻ってきた人も含む)銃後の人間との差みたいものである。

戦場で死ぬのが一番きついけど、戦地よりは安全なはずの日本国内も結構きつかったのだと。

本書の主人公が赴くことになる千島列島の占守島は昔から住んでいる人間はほとんどいなく、あるのは鮭缶工場くらいのもの。何故、そこに赴く必要があるかというと、地理的に千島列島の端っこにあるのでアラスカが近くアメリカ軍が攻め込んでくるのではないかと日本軍が考え精鋭部隊を配置していたのである。

しかし目立った戦闘があるわけでもなく、さらに日本軍の劣勢が明らかになってくると周辺海域の制海権もおぼつかなくなってきたので、その精鋭部隊を他の戦地に転身させることもできなくなり、ほぼ無傷の日本軍部隊が北の島に残されているという形になっていたのである。

で、この占守島、終戦まで目立った戦闘があったわけでもなく、アメリカ軍も攻め込んでこなかったのになんで小説の題材になるのかというと、敗戦後つまり8月15日の少しあとにソ連軍が攻め込んでくるのである・・・

攻め込んできたソ連側の兵士も悲惨である、日本が負けたのになんで戦争をしなければいけないのか、何故かというとこの占守島で犠牲者を出しソ連と日本との戦後交渉を有利に進めて千島列島をソ連領にしようという目論見が働いていたようなのである。

無駄なことすんなよ、と思うが8月15日の後に実際に戦闘が始まってしまったのだからしょうがない。

私は実際に戦争になったら母方の祖父のようになんとしてでも戦争に行かないという選択をしたいが、実際にはどうなることだろう。

徴兵年齢なのに国内に残っているというのも色々な意味でキツいものがあるはずだ。

ちょと気になったので第2次世界大戦の戦死者数を調べてみたところ、wikipediaに「第二次大戦の犠牲者」というページがあった。

それによると当時の地球の総人口20億に対して、軍民合わせた地球上の総戦死者数が6000万から8500万人、割合にすると3.17%から4%になる。

日本は人口7138万人に対し、軍民合わせた総戦死者数は262万から312万人で、割合にすると3.67%から4.37%である。(日本軍として戦った朝鮮人、台湾人、中国人などが含まれているかは不明、朝鮮人・台湾人は含まれる?)

全国民の20人に1人の割合くらいで戦死しており、私の今勤めている会社のメンバーが20人ほどなのでそのうちの誰か1人が亡くなっているということになる。

ただ、会社には召集されないであろう40歳を超えたメンバーが4分の1くらいなので彼らが死ぬ可能性は低く、30代である私が死ぬ可能性の方が高いことになる。

また、第二次大戦時の日本軍は地域ごとに師団が作られその師団ごとに派遣される戦場が違うので、出身県や出身地域によっては戦死率は4%を大きく超えたところもあるかもしれない。

沖縄県は戦場になったので、戦死者の割合はかなりのものだっただろう。

「沖縄県平和祈念資料館」のページによると当時の沖縄県の59万人の人口に対し12万人ほどの民間人が犠牲となり、割合としては20%にもなる。これは会社を引き合いに出すよりも家族の方がわかりやすい、5人家族だったらそのうち1人が亡くなっているのだ。

つまり実際に地元が戦場になったらそういう結果になるのである。本書の占守島での戦いは前述のとおり地元民がほとんどいない状態で行われたので、死んでいった兵士たちも何のための戦いだかよくわからなかっただろう。

尖閣諸島での問題が取りざたされているが、あそこは住んでいる人がいないのでそんなに騒ぐなよと思う、日中台で仲良く漁業権と地下資源採掘権を分ければいいじゃないか。

本書の唯一の救いは占守島にある鮭缶工場で働いていた数百人の女子工員の多くがほとんど無事に北海道に帰ることができたというところである。よかった。

で、本書を何を感じたかと言うと、面白かった、というのもちょっと違う、まあ浅田次郎の小説なので面白かった、でいいかもしれないが、戦争で死んでいくのは名もない一般市民であり、というかもちろん名のある偉い人も死ぬのだけど、名のある偉い人はそれなりの覚悟と責任でもって戦争に対応しているわけであり、その人が死ぬのはまあしょうがない、でも名もない一般市民は覚悟ができてるわけでもなくというか名もない一般市民の名もない誰にも知られていない個人的内部的内世界があり、その個人的世界を生きている人たちがいやおうなしに戦争の舞台に登場し殺し殺される関係になっていく、という悲劇というものをなんつーか感じたのである。

つまりナニをいいたいかというと、戦争になるとそこらへんを歩いてるアンチャンやおっさんが戦場に行って、殺されたり殺したりをするわけである、大変じゃないか、え。

尖閣諸島の問題で勇ましい発言を繰り返しているアホな政治家やその取り巻きたちの発言を聞いてそうだそうだと言っている人たちよ、その勇ましいアホ発言が戦争を招くのかもしれないよ、そうしたら戦場で死ぬのは発言しているアホではなくあんただよ、ということである。

まあ、いいから、みんな冷静になれよ。

本能寺には丸腰で行こう 『信長影絵』

[caption id=”attachment_1604” align=”alignnone” width=”600”]信長影絵 信長影絵[/caption]

  • 書名:『信長影絵(上・下)』
  • 著者:津本陽
  • ISBN:978-4167904012(上)、978-4167904029(下)
  • 刊行日:2015年7月10日
  • 発行:文春文庫
  • 価格:各600円(税別)
  • ページ数:312(上)、345(下)
  • 形態:文庫

津本陽の代表作『下天は夢か』(講談社文庫版だったはず)を読んだのは大学生の頃だったろうか、いや高校生だったか。今から20年くらい前の1990年代後半ということになる。

今調べて知ったのだが、『下天は夢か』はバブルの頃に日本経済新聞に連載されてベストセラーになっていたようで、私はその数年後に文庫化された作品を読んだことになる。信長という革新的なリーダー像がバブルの社長たちに大いに受けたのであろう。

『下天は夢か』は信長の生涯がかなりキレイに描かれていて、10代の私は参ってしまった。つまり面白かったのだ。

津本陽いいじゃん、となりそれから彼の戦国時代小説である『武神の階』(主役:上杉謙信)とか『乱世、夢幻の如し』(主役:松永久秀)とか『宇喜多秀家 備前物語』とか、それ以外の名前をよく覚えていない作品を読んだが、とくに印象はなし、期待が大きかった分だけ落胆も大きかった。

つまり『下天は夢か』以外の小説はまったく面白くなかった、ああ津本陽は信長を題材にしなきゃダメなのかなと思っていた。で、本書である。

結論としては結構いい線行っている、『下天は夢か』と比べるとどうかと聞かれれば、若い頃に読んだ鮮烈な印象が残ってしまっているのでそりゃあ負けてしまうのだがいい線行っている。

本作品の描く期間は信長の尾張統一と桶狭間から本能寺の変までというオーソドックスなもので、『下天は夢か』とほぼ同じなはずである。

羽柴秀吉もそうなのだが、信長も晩年が暗い。文禄・慶長の役という大迷惑とは少し違うが、尾張統一の頃には持っていた少しの明るさみたいなのが消えて些細な罪で部下を斬ったり左遷したりとひどいものである。

人を信じることができず、人は裏切るものという前提で部下たちを見ている、部下からしたらたまったものではない。信長が何故そのようになってしまったのかというと、話はかなりシンプルで、母の土田御前に愛されなかったから。母の愛は本作のテーマと言ってもいいくらいである。

つまり母の愛に恵まれなかったため、弟の信行を謀殺し、浅井長政・久政・朝倉義景のしゃれこうべを薄濃にし、本願寺の門徒を虐殺し、比叡山を焼いた、ということなのである。

そうか、非常にシンプル。

本作は信長のお話なのでもちろん本能寺の変が出てくる。で、謎としては新しい見解というものではないものの、光秀に襲われるということを信長が予知していたのでは?という仮説が新鮮であった。

桶狭間の戦い、金ヶ崎の退陣、姉川の戦い、長篠の戦い、石山本願寺攻め、全て自分と敵の運命を賭けた大博打であった。そういう負けたら即破滅、というようなギリギリの戦いにこそ信長は自分の生きがいを見つけていた(ようなのである)。

たしかに、本能寺の変の起きた1582年には強力なライバルであった武田信玄、上杉謙信、本願寺などは既になく大博打を打つような戦いはもうしていなかった。

信長は丸腰の状態を光秀に見せつけることによって、光秀が襲い掛かってくるかどうかのゲームをしていたようなのである、でも実際に命張っちゃうのか、まわりは大迷惑だぞ。

私だったらやっぱり死にたくない、支配者の孤独がそうさせるのだろうか、うーん。

『下天を夢か』を読んで膨らんだ津本陽に対する期待は、それ以外の作品を読んで見事にしぼんでしまったが、本書を読んで信長モノならいけるのかもという期待が少し膨らんだ次第である。

20年前の小説とは思えない 『ダイヤモンド・エイジ』

ダイヤモンド・エイジ

  • 書名:『ダイヤモンド・エイジ(上・下)』
  • 著者:ニール・スティーブンスン
  • ISBN:978-4150115524(上)、978-4150115531(下)
  • 刊行日:2006年3月20日
  • 発行:ハヤカワ文庫SF
  • 価格:各840円(税別)
  • ページ数:447(上)、438(下)
  • 形態:文庫

この本を初めて読んだのはたしか7年前。ちょうど前の会社に入って1年ばかり経っていて、業務でプログラミングを始めた頃のことだ。当時私はプログラミングのド素人だったが、誰にも余計な口を挟まれずに、毎日プログラミングの本を読みながら楽しく仕事をしていた。

プログラミングが楽しくて仕方なかった、そんな黄金時代は1年ほどで静かに終わりを告げ、私の業務は誰かに口を挟まれる楽しくないものになっていった。会社の業績が悪くなり始めたのだ。

その後も会社の業績はゴンゴン下がり続け、遂に会社が潰れるかもしれないとなり、私は今の会社に転職した。

今の会社に入って1年近く経ったが、7年前のプログラミングが楽しくて仕方なかった時期に少しだけ戻ったような充実した仕事ができている。ああよかった。

で、そんな時期に再度本書を読み直した。

舞台は21世紀中葉の中国の上海周辺、技術の進歩から今までの国民国家という枠が取り払われ、世界の人々は信条や趣味などに分かれた種族に属して暮らしていた。

三大種族のひとつである新アトランティスに属する技術者ハックワースは、支配層である「株式貴族」から「若き淑女のための絵入り初等読本(プリマー)」の開発を依頼される。

「若き淑女のための絵入り初等読本(プリマー)」は子供向けのインタラクティブ(相互作用的なという意味)な機械で、操作する人によって内容がダイナミックに変わる高度なRPGゲームのようなものが入ったiPadみたいなものだ。

株式貴族は自分の孫の将来に不安を抱き、プリマーを使って孫を逞しく(肉体的にというわけではなく色んな意味で)育てられないだろうか、と考えたのである。

そのプリマーを偶然にも少女ネルが手に入れた事から物語が始まる。プリマーは最初3個のコピーが作られ、ネル、フィオナ(ハックワースの娘)、エリザベス(株式貴族の娘)の3人が所有することになるのだが、プリマーを一番使いこなし、かつプリマーに飽きて放り出したりしなかったのは環境的には一番恵まれていないネルだった。

ネルの父はネルが産まれる前に死に、兄と母親とは離れ離れになり、ネルはプリマーを通して話しかけてくる女優ミランダの中に母親的存在を見出し、ミランダもネルを娘のように思い始める。

ネルの「母親探し」、ミランダの「娘探し」、そしてハックワースの「自分探し」の物語を縦軸に、ナノテク、MC(マターコンパイラー)、ラクティブ(没入型のインタラクティブ劇)、ナノテクで空に浮かぶ建物、シェバラインなどの未来の乗り物などSFとしてのガジェットを横軸に本書は展開されていく。

あと、印象的なガジェットというか物語の核となるような存在なのがフィードである。MC(マターコンパイラー)は原子を使って色んなモノを作り出す機械なのだが、そのMCに素材となる原子を提供するのがフィードである。

で、そのフィードはソース(水源のようなところ)から街まで川のように流れているのである。って、どういうこっちゃ、まあつまり水道水を供給するみたいに、フィード(原子の素材?)が街まで流れてきて、街に流れてきたフィードは各家庭に小さなフィードのラインに分かれて供給されていくのである。

物語の語られ方は「若き淑女のための絵入り初等読本」が劇中劇のような役割を果たし、現実と本の中との事が交錯し、ズルズルと引き込まれる。

初回にも感じたことだが、「非常に今っぽいな」と思った。プリマーはスマホだし、MC(マターコンパイラー)は3Dプリンターであるし、ラクティブは今流行のVRだ。主人公の一人であるネルはプリマーに没頭するのだが、プリマーは今の私にはスマホ(iPadか)に見える。

この小説の発表は1995年、なんと20年近く前である、その時に書かれたものがこれぐらいい今っぽいというのも驚きである。逆に世界は20年近く何も変わっていないということなのか。

ニール・スティーブンスンは『ダイヤモンド・エイジ』の次に書かれた『クリプトノミコン』以来日本での訳書の発売がないが、早く翻訳して出してくれないかハヤカワさん。

Nexus 5Xが欲しいけど 番外編「Nexus 5の後継機はAcer Liquid Z530に」

Nexus5 Acer Liquid Z530

Nexus 5からNexus 5Xに乗り換えようと模索したが、結局キャリアをY!mobileからmineoに乗り換えて端末はNexus 5のままにしたのが今年(2016年)の1月。月額代金が3,000円近く下がり、ウハウハだったのであるが、そのころよりNexus 5の電池が悲鳴を上げ始めた。

なんか調子が悪いなと思ってあまり使っていなかったQiでの無接点充電を行ったのが逆に悪かったみたい(実際に悪かったかは不明)で、どんどんとバッテリーの調子は悪くなった。

AmazonでNexus 5の「純正品」バッテリーパックを売っていたので買ってみようかと思ったが、レビューを見ると純正品とは名ばかりで実際には1500mAhのバッテリーらしく(本物は2300mAh)、さらにバッテリー自体に当たり外れがあるらしく使い物にならないものが届くと悲惨なことになる、ということが書かれていてバッテリー交換をして余命を延ばす案も暗礁に乗り上げた。

で、結局新しい端末を買うしかないかとなった。しかしNexus 5Xを買わなかった(買えなかった)のは予算が大きな理由というか一番というか唯一の理由だった私であるので、新端末を買うとしてもNexus 5X(5万円くらい)は買えないし、というか使えるのは1万円、いやそれじゃろくなものが買えないので出しても2万円だ、あーでも2万円は非常にきつい。

と色々悩んで、色々探して候補にあがったのが「ZTE Blade V6」と「Acer Liquid Z530」。

スペック的に両者はかなり似通っていて、前者が17,000円程度、後者が21,000円程度であった。

ネット上の評価を見るとAcer Liquid Z530のバッテリーの評価が高く、この価格帯のスマホの中では動きも軽快と書かれていた。

で、ビックカメラに行ってみて、2機種を比較してみたところ確かにAcer Liquid Z530のほうがZTE Blade V6に比べてヌルヌル動く。というか他の高スペックのSIMフリースマホと比べても動きは遜色ないというかむしろいい。

ということで、ZTE Blade V6より4,000円ほど高かったがmineoでもらったキャッシュバックのAmazonポイント3,500円分を使って21,000円から17,000円強になったAcer Liquid Z530をAmazonで購入した。

2、3日で端末が届き、Nexus 5から乗り換えを行った。

Acer Liquid Z530はバッテリーがよい

で、確かにZ530、バッテリーがよい、100%まで充電すれば会社の行き帰りに軽くブラウジングするくらいなら2日は持つ。

さらに、これはなんかのトリックかもしれないのだがなかなか100%から下がらない、何時間も残充電量が100%を保っている。

私のNexus 5もかつてはこれくらいバッテリーが持ったのかもしれないが、もうよく覚えてない。出会った頃のことなんて。

ヌルヌル動く感はNexus 5と比べるとやはり落ちる、Nexus 5がiPhoneにちかいヌルヌル感つーかiPhoneをキビキビとさせた感じ、と比べるとうーむである。

だが、ヌルヌル処理をあえてあきらめているからなのか、キビキビっとは動く。途中のアニメーションを省略した感じの速さだ。FPSがどうかとかはよくわからないが、Nexus 5がFPS60とするならZ530は30か40くらいかという感じである。

あとプリインストールのはAndroid OSはまだ5.1で、まだ6.0にはなっていないし、アップデートされるのかもよくわからないが、AcerのAndroidカスタマイズは可もなく不可もなくといった感じで、まあ悪くない、not badツー感じ。

下記がNexus 5と Acer Liquid Z530のスペック比較である。

- Nexus 5 Acer Liquid Z530
キャリア Y!mobile(旧EMOBILE) SIMフリー
製造 LG Acer
ディスプレイ 5.2インチ 5.0インチ
解像度 1920 x 1080 1280 x 720
サイズ(mm) 137.84 x 69.17 x 8.59 144.0 x 70.3 x 8.9
重さ(g) 130 145
CPU Snapdragon 800 MSM8974 2.26GHz(クアッドコア) MediaTek MT6735 1.3GHz (クアッドコア)
RAM 2GB 2GB
ROM(内部ストレージ) 16/32GB 16GB
外部ストレージ - あり microSDで32GBまで
OS Android4.4→6.0 Android5.1
通信方式 3G LTE 4G LTE
無線LAN IEEE802.11a/b/g/n/ac IEEE802.11a/b/g/n
カメラ リア:800万画素(手ぶれ補正あり)/イン:130万画素 リア:800万画素(手ぶれ補正あり?)/イン:800万画素
バッテリー 2300mAh 2420mAh
FeliCa - -
NFC あり -
ワンセグ/フルセグ/赤外線 - -
非接触充電(Qi) 対応 -
USB Micro-B Micro-B
SIM ロック フリー フリー
本体価格(2016/6/8現在) ¥29,900(中古) ¥20,990(新品)

フルHDではないし、カメラもいまいちではあるが

スペック表を見てもらえばわかるが、Nexus 5の画面がフルHDなのに対し、Z530はHD、画素数では倍近い開きがある。実際にしっかり見比べてはいないがNexus 5より画面がキレイとは言えない感じだが私のNexus 5は2年半使い込んだものなので、実際には新しい分Z530の方がパッと見キレイには見えるので画面はあまり気にならないだろう。

一番オヤ?と思ったのがカメラである。Nexus 5に買い換えた時(HTC ISW13HTから乗り換えたのだがHTCは液晶がキレイだったのでスマホで撮った写真を見るとHTCのがキレイに見えた)も思ったことではあるが、あまりカメラがよくないのかなと感じた。

カメラの画素数はNexus 5と同じ800万画素ということだが、室内だとセンサーが少し死んでいるのかもしれないなというくらいの写り具合。実際にNexus 5で撮った写真をPC上で見比べてみたところ、Nexus 5の方がやはりキレイ。

室内は光が少ないうえに逆光になり勝ちなので、Nexus 5のカメラセンサーの方が優秀ということだろう。逆に言うと順光の屋外での昼の撮影ならあまり差は気にならない。スマホのカメラ性能が気になる方にはオススメできないが、そうでないならあまり気にするなというレベルかもしれない。

Acer Liquid Z530で地味にうれしいのが、Nexus 5では使えなかった外部メモリーが使えるというところ。32GBまで使えるというので早速私も32GBのmicroSDカードを買って挿して使っている。なお計算単位が違うとかで32GBをさしても認識されるのは29GB程度になるのでご注意。

あと、結構気になる大きさと重さであるが、大きさはZ530の方が少し大きいが差はあまり気にならない。Nexus 5をジーンズの尻ポケットに入れるのと、Z530をジーンズの尻ポケットに入れるのとの差はほとんどない。

重さもほぼ同じで、Z530の方が少し大きい分軽く感じる。

で、結論

買ってよかったかよくなかったかというと、買ってよかった。スペックではNexus 5には少し劣るがAcer Liquid Z530の方が新しいので互角と言ったところ。

美人の彼女と別れた後に、それより若い彼女に出会って、若さと目新しさに目がくらんでいるという状態と言ったらたとえがひどすぎるか。

でもまあ、2年も付き合ったら美人でも飽きるわけだし、少し不美人でも新しい方がいいということもある。結局乗り換えるってのは乗り換える行為自体が楽しいっつーのもあるんで、やっぱし乗り換えてよかったなと思った次第である。

たぶん高いお金を払ってNexus 5Xに乗り換えていたらこんなに穏やかな気持ちでモトカノ(Nexus 5)と今カノを比較できなかっただろうな、とも思う。

連載終了 「NEXUS 5Xが欲しいけど」バックナンバー

  1. 「理想と現実」
  2. 「Nexus 5のままでいいのか?」
  3. 「Nexus 5、Nexus 6、Nexus 5X、Nexus 6Pのスペック比較してみた」
  4. 「Android6.0は何が変わった?フォントだよ!」
  5. 「Y!mobileでの月額料金が決定・・・」
  6. 「買わないことにした」
  7. 「買わないことにしたけど、欲しくなる」
  8. 「(Nexus 5Xが買えない)Nexus 5ユーザーに送るNexus 5Xとのスペック比較」
  9. 「さよならY!mobile」
  10. 「やっぱりさよならY!mobile」
  11. 「欲しい端末が出てきた?けど」
  12. 「ついにMNP予約番号をって、取れないじゃん・・・」
  13. 「MNP予約番号を取得!そして格安SIMに申し込んだ」
  14. 「格安SIMに乗り換え完了、Nexus 5をしばらく使う予定」
  15. 「Nexus 5の後継機はAcer Liquid Z530に」(番外編)

隆慶一郎の最高傑作はテレ朝時代劇にピッタリ 『鬼麿斬人剣』

鬼麿斬人剣

  • 書名:『鬼麿斬人剣 』
  • 著者:隆慶一郎
  • ISBN:978-4101174129
  • 刊行日:1990年4月25日
  • 発行:新潮文庫
  • 価格:514円(税別)
  • ページ数:358
  • 形態:文庫

山窩(サンカ)として生まれた鬼麿が、師匠である刀工源清麿(きよまろ/すがまろ)の駄作を折るために諸国を放浪?する非常にわかりやすい時代小説。

清麿が臨終の際に鬼麿に託した願いは、昔あるいざこざから伊賀忍軍から逃げるハメになり諸国を渡り歩いていた時に作った数打ちの刀(駄作の刀)を折る、ということ。その願いをかなえるため、鬼麿は刀探しの旅に出る。

鬼麿は名前の通りの怪物のような大男で、彼の必殺技は目をつぶって大刀を大きく振りかぶって上から打ち下ろす異色かつダイナミックなもの。鬼麿に付き従うのは山窩(サンカ)の少年・たけと伊賀の抜け忍くのいち・おりん。

鬼麿が師匠清麿の駄作を見つけるとその周りには複雑な人間模様があり、そこには大体において悪いやつがいて、駄作を折ろうとするとその悪人が邪魔をする。最後には鬼麿が悪人を叩き斬り、「ためしわざ、潜り袈裟」、「ためしわざ雁金」などの決め台詞が入る、非常にテレビ時代劇チックというかわかりやすい。本書は8話からなり、各話は大体そんなような流れで進んでいく。

見てくれは悪いけど、人情に弱くて腕っぷしが強いヒーローはテレビ朝日の時代劇枠でドラマ化したら大当たりするんではなかろうか?

隆慶一郎の代表作である『一夢庵風流記』も諸国を放浪して悪いやつをこらしめる、という似たような話だが、あの話は主人公の前田慶次郎がカッコよすぎるし、男と男の義の繋がり!とか男の生き方!みたいのが汗臭く時々しつこくて鼻につく。その点本作は非常にシンプルで男と男の義の繋がり!みたいのも出てくるには出てくるがそれが本題にはならない、主役はあくまで師匠である清麿の「刀」であり鬼麿の必殺技である。

私は隆慶一郎の作品を読むと、お腹いっぱいになってしばらく同じ作者の作品は読みたくない!となるのだが、本作は隆慶一郎作品では珍しく、続きが読みたくなった。作者自身は既に亡くなっているので続きが書かれる可能性は無いが、誰か書いてくれないだろうか続きを、宮本昌孝あたりでどうだろう。

だから、本書は私にとっての隆慶一郎の最高傑作である。(『影武者徳川家康』も捨てがたいけど)

戦に負けたらどうするのか、本多政重みたいに奔走するのだ 『生きて候』

生きて候

  • 書名:『生きて候(上・下)』
  • 著者:安部龍太郎
  • ISBN:978-4087460049(上)、978-4087460053(下)
  • 刊行日:2006年1月25日
  • 発行:集英社文庫
  • 価格:600円(上・税別)、571円(下・税別)
  • ページ数:346(上)、311(下)
  • 形態:文庫

本書の主人公は本多政重、徳川家康の懐刀であった謀将・本多正信の息子であり、本多正純の弟でもある。

本書を読むまでこの本多政重についてまったく知らなかった、本多正信の息子は正純だけだとも思っていた。

本多政重は子供時代に本多家と同じ徳川家の家臣である倉橋家に養子に出され、倉橋家の人間として成長する。養父である倉橋長右衛門の死後、徳川秀忠の近習を斬り殺す事件を起こし親友の戸田蔵人とともに徳川家を出奔するのである。

その後前田利家からの依頼を受け、慶長の役の現場である朝鮮半島に赴く。そこで日本軍に虐げられる朝鮮の民衆を目の当たりにし、一度は日本に帰るものの、慶長の役を終わらそうと奔走し再度朝鮮半島に渡り日本の撤退作戦に貢献する。

豊臣秀吉が死に、天下騒乱の気配が濃くなってくると西軍である宇喜多家に身を投じ、関が原の戦いでは旧主家康と父・正信を追い詰める戦いを仕掛ける。

西軍が東軍に負けるや、今度は主君である宇喜多秀家を助けるために薩摩の島津家に赴き、宇喜多秀家の受け入れを要請する・・・

とにかく政重は走る、走る、愛馬の大黒に乗って走る、誰かが困っているとその人のためにとにかく頑張るのである。

で、この政重、頭脳派の本多正信の息子のくせにめっぽう強い、政重が主人公の小説なので当たり前なのだが、冒頭で前田利家に負けるくらいで誰にも1対1では負けない。

本作と似たようなとにかく強い主人公が出てくる戦国物で一番に思い浮かぶのが前田慶次郎(利益)の『一夢庵風流記』だが、あれは戦国の政治とはあまり関係ないところで諸国を漫遊するという体のお話なので緊張感にかける、本作は戦国の生々しい政治の裏舞台を愚直に生き抜いた豪傑「本多政重」の一代記なのである。

これくらい波乱万丈で、さらに戦国を生き抜いた本多政重はもっと有名でもよいいのにと思ったが、戦国が終わり江戸の世になるとこのように主君をころころと代える戦国時代の申し子のような政重の話は徳川的な倫理感とはかけ離れていて講談などにもしにくかったのだろう。

本多政重は宇喜多秀家助命嘆願のあとに、再度前田家に仕えることになるようだが、その話は本作ではほとんど触れられていない。また大阪の陣では真田幸村(信繁)に負けて幸村伝説に花を添えることになるようだが、その話も本作には出てこない。

本多政重の生涯のお話というか、この小説の続きをぜひ安部龍太郎には書いてもらいたい。タイトルが地味だからタイトルを一新して再度文庫化し人気が出たところで続編を書くというのはどうだろう。